三-4

いつたん、沈黙。皆、頭の中で三十数えてくれるかい?」

 有無を言わせぬ口調で少将が言えば、場の誰も逆らうことなく、梓子も含めて頭の中で数を数えていた。

「では、改めて。皆に問うので、冷静に考えて答えてほしい。今回の件、私が話を集めたところでは、三日三晩にわたり邸宅に人をとどめ置くというものだった。これが毎日宮中で仕事している宮仕えの女房である小侍従殿に可能なことだろうか?」

 物忌みや月の障りなどで、宮仕えの女房が里下りすることはあるにはある。だが、大半は、宮中に寝泊まりしての仕事である。

「無理でしょうね。本日は、この承香殿で朝から写本を行っておりました。記憶が確かであれば、典侍様からは、こちらでのお仕事の前に、殿とのもづかさのお仕事をされていたと伺っております。後宮の各殿舎にあかりをつける作業は、当然のことですが夕刻からのお仕事。小侍従殿が夜の宮中に居ない日が、どれだけあったでしょうか?」

 落ち着きを取り戻した写本作業の女房が、少将の問いに応じた後に、同部屋の他の女房に問いをつなぐ。

「ないでしょうね。わたくしを含め、ここにいるのは、朝までに写本をお渡ししたいとの承香殿のほうからの強いご希望により、典侍様がお集めになった者たち。小侍従殿も能筆だけが理由でなく、確実にこの作業を任せられる……宮中におられると解っているからお声がかかったのでは?」

 梓子本人の言葉では納得しないだろう承香殿の女房たちも、これには黙り込んだ。

「おふたりとも、ありがとうございます」

「噂の話でなく、事実を言っただけよ。……だいたいね、典侍様が自身の縁者だから過分な便宜を図ったり、不審な行動をお許しになったりするような御方だと、思っておいでの方が、ここにどれだけおられますか?」

 承香殿側の女房を含めて、全員沈黙である。少将さえも、だ。それをもって回答とすることを、視線で確認し合って話を区切る。

 そもそも、梓子が典侍から過分な便宜を図ってもらっているなら、とっくに決まった主がいるはずなのだ。宮仕えを始めて約半年、いまだに人手の足りないところに派遣される日々を過ごしているのだから。そんなことを考えて沈黙していると、察してか、皆が沈黙し、梓子に痛ましいものを見る視線を注いだ。これはこれで傷つくところだ。

 承香殿の女房が、広げた扇の裏で小さくせきばらいをしてから、口を開いた。

「……ええ、そうでしたわね。認めますわ。たしかに何度も三日三晩も宮中を下がっているなんて、噂にならないはずがありませんものね。ましてや、小侍従殿の夜の行動は、翌日の昼頃までには後宮に共有されていますもの。夕刻以降、近づいてはならない場所を把握するために」

 自身が、そんな風に宮中のお役に立っていたとは、ついぞ知らなかった。梓子は、色々と思うところをみ込んでから、場の人々に問う。

「お話を伺うに、わたしだけでなく、宮仕えの女房には無理ということで合っていますか? すでに三人の方が怪異に遭われたご様子。三件の間には日があいていたと言っても数日のこと、日が重なってはいないのですから、女官や女房であれば、かなり長く出仕していないことになります。そんな者がいるなんて噂を、どなたか耳にしておられますか?」

 場の女房たちが視線を交わし合う。

「そもそも怪異に遭遇されたきんだちは、皆様、同じ方のもとにお通いだったの?」

 承香殿の女房が疑問を口にすれば、少将の話を聞いていた写本作業の女房が首を振る。

「さきほどの少将様のお話だと、皆様、自邸でお過ごしだったそうよ。だいたい、怪異に遭われた三人のうち、二名はぎよう。そんな高位の方々に言い寄られる女房が居たら、それこそ噂になっているわよ」

「ですよね。……そうなると、やはり怪異を宿した物がお三方の間を移動したことになりますね」

 中断された思考を再開して、梓子はつぶやいた。場ではない、人でもない。なにか物が三者の邸宅間を動いたはずだ。

「なにそれ、怖い」

 場にいる女房の誰かが声を引きつらせている。それにかぶせて、別の誰かが梓子に問う。

「一所に留まらないモノとなると、いつ宮中に現れるやもしれないということでしょうか?」

「そこは、どうでしょう。お三方それぞれが自邸に居られる日を、正確に狙っていたかのようにも思われます」

 梓子は、越しに少将を見た。

「少将様、お聞きしたいことがあります。殿方は、北の方様がおいでになる邸内に、ほかの女性をお召しになるものなのでしょうか?」

 ほかのづくえから「小侍従殿ってば、またそういう話を……」という呟きが聞こえたが、御簾の向こう側の少将は、真剣に考えてから答えてくれた。

「……そこは人によるんじゃないかな。でも、世の習いで行くと、北の方と暮らす自邸というのは、北の方の生家であることがほとんどだ。権大納言様の北の方様は大納言家、権中納言様に至っては、たしか右大臣家のご息女だったはず。まず、そのようなことをしようとは思わないよ。気になる女性がいるなら、そちらへ通えばすむ話だからね」

 既婚者なのか、数名の女房が同意してうなずく。

「では、やはり移動している怪異は、人に似せた姿形も持ってはいないでしょう。移動したのも『物』だからと考えて、改めてお話を伺うよりありません」

「話を伺うって、そのモノに?」

「いえ、その邸宅に居られる方々に、ですよ。物のの場合は、自我が芽生えているので、会話可能で意思疎通もできますけど、まだあやかしの段階では姿形があいまいな上、自我がないから会話にならないんですよね」

 事象だけのモノが、場所や事物、人物と結びつきを得た段階を妖と呼ぶ。まだ固有の名を持たず、個体として認識できる姿形も持っていないので、対話ができない。ただ、物の怪に近づくほどに自我がはっきりしていき、会話ができなくもないのだが、そこまで細かい話は、この場で言うことでもないだろう。軽めの笑い話として言ったつもりの梓子だったが、場の女房たちがざわついた。

「小侍従殿、物の怪とは会話できるんだ……」

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