三-3

「そういうことです」

 力強く返し、すぐに聞いた情報を頭の中で並べて、考え始める。

「それにしても……皆様が自邸でお過ごしの一夜が三日三晩ですか。だとすると、モノは場でなく、物に宿っている可能性が高いですね。新たな丹波守様から始まり、三番目の権中納言様まで、この流れで、なにかが受け渡されたはずです。そのあたりの話は聞けませんでしたか?」

「丹波守殿と権大納言様はがないので無理だったけど、権中納言様は、左大臣様経由で伝手があったから、謝罪に参内してきたところを捕まえて、直接話を聞けたよ」

 たしかに下向直前の丹波守と、本日自邸謹慎が解けたばかりで宮中を謝罪回りしている権大納言は、いずれも左大臣側の人ではないので、不祥事についての話を本人から聞くのは難しいだろう。帝の勅で押し通せば、それはそれで反感を買う可能性が高い。ここは、一人でも直接話を聞けたなら、十分だ。

「それで、権中納言様は、実は三日三晩経っていたという、とんでもなく長い一夜に、いったい何をしていらしたとおっしゃっていましたか?」

 もしや、すぐにも解決か、と興奮気味にの向こうに問えば、背後からいさめる声が飛んできた。

「小侍従殿、落ち着いて! そんなことを聞くなんて、はしたないわ」

 振り返れば、部屋の女房全員が顔を赤らめている。

「……え? あっ! いや、そういうことではなくてですね!」

 物語に語られる怪異で、男性がどこかで一晩過ごすと言うと、だいたいは女性と共寝しているものだ。彼女たちの想像を察して、梓子は御簾の前で慌てた。

 声を大にして否定する梓子を、今度は御簾の向こう側から笑い交じりに諫める声がした。

「いや、大丈夫。ちゃんと話せる内容だよ。……記憶はおぼろげだそうだけど、夢うつつに北の方様を相手に酒を飲みつつ雑談してお過ごしだったみたいだ。あと、ひきものらしき音が聞こえていたとおっしゃっていた。半ば寝ていたので、なんの音かまではわからなかったそうだ」

 弾物とは弦を弾く楽器のことだ。携行可能な笛などのふきものが、男性が好んで奏する楽器の定番なら、物として大きい弾物は女性が好んで奏する楽器と言われている。物として大きいから殿方が携行するのには向かず、邸宅の奥に暮らす北の方や姫君向けなのだ。

「弾物は大きいですから、別の御屋敷に移動させようとすれば、相当目立つはずです。ですが、そういった話は出ていないご様子。そうなると、音がしたからといって弾物がモノの宿りとは断言できませんね」

 梓子は、弾物の代表であることを抱えて歩く自分を想像し、まゆを寄せた。

「移動するなら、たしかに吹物のほうが適しているね」

 少将も梓子に同意して、小さくうなった。そもそも良い楽器は、家が代々伝えていくもので、家と家の間を頻繁に渡っていくようなものではない。

あるじの定まっていない女房ですから、宮中であればわたしもわりとどこにでも潜り込めるんですけどね。内裏の外は……」

 各邸宅を回って、直接その家の弾物を見せてもらうのが早いが、そうもいかない。

「誰かの女房として、連れて行ってもらうとしても、お三方への緊急訪問が許されるのは、主上ぐらいですよね。……さすがにゆきを行っていただくわけには……」

 梓子が考えを巡らせているところに、急な声が飛び込んできた。

「まあ、今度はどこに潜り込もうとたくらんでいらっしゃいますの、小侍従殿?」

 とげとげしい声とともに、母屋とつぼねの間に置かれたちよう退かして、数名の女房が写本作業の場に入ってきた。

「今回の企み、いかに典侍様の筋の者とて許されるものではありませんよ、小侍従殿」

 承香殿の女房だろうか、やや背を反らせて見下すあたり、正しく新参女房への通過儀礼の体勢である。

「企み……? なんのお話でしょうか?」

 つい、同じ作業をしていた女房たちのほうを見たが、彼女たちも首を傾げた。

「少将様を長時間独占して、振り回していることよ!」

 鋭い声に、びくっと肩が震えた。身に覚えがなさ過ぎて、反論の言葉が出てこない。

「いや、私は主上の勅で動いているんだ。どちらかというと、私が小侍従殿を振り回しているようなものなのだけれども……」

 こちらも何を言えばいいのやらという様子で、少将がそう言ってくれたのだが、相手は、少将の言葉でさえもあまり聞く気がないようだ。

「まあ! すでに主上の勅が下っているのですね。これで逃げ道はふさがれましたわね、小侍従殿」

 なにから逃げるのだろう。この状況からだろうか。梓子は、なんとか反論の言葉を絞り出した。

「いやいや、その勅の一部ですから。少将様が動かれるのも、わたしがこうしてお話を伺っているのも」

「なにを……。誤魔化さずともよいのです、少将様。この者がこのたびの騒動の諸悪の根源なのでございましょう? そのしつつかむためにいらしたのでしょう?」

 ますますよくわからないことを言われた。

「……なぜ、そのような考えに至られたのか、お聞かせいただけますでしょうか?」

 相手はモノでなく、生きた人間である。梓子としては、なんとか対話を成立させたいところだ。

「簡単な理屈ではないですか。小侍従殿といえば、怪異の噂途切れぬ者。『あやしの君』ばかりか、『モノめづる君』とも呼ばれているのですよ。この者以外の誰に、怪異が起こせましょうか?」

 ほら、典侍様が変な呼び名を増やすから、こう余分な誤解が生じるじゃないですか。梓子は、わずか数刻で後宮内に広まった新たな呼び名に関して、心の中で抗議の声を発していた。だが、実際に口に出して抗議の声を上げたのは、意外にも共に写本作業をしていた女房たちだった。

「……おやおや、それだけのことで? 小侍従殿の呼び名が何であろうと、今回の件とのかかわりを示すものは、どこにもないではないですか?」

さいしようの君のおっしゃるとおりよ、よくそれで、小侍従殿の企みと言い切るわね」

「はあ? なぜ、あなたたちが反論なさいますの?」

 予想外の方向からの反論に、承香殿の女房が驚きの声を上げれば、二番目に反論をしてくれた女房が、写本作業者の本音を返す。

「納得いかない上に、解決にもなりゃしないことで、この忙しい時に、こちらの筆を止めるからよ!」

 二人とも完全に立ってにらみ合っていた。貴族子女の端くれには入っている宮仕えの女房として、あまりにも礼儀作法に反していた。

「うわぁ、お待ちください! お二人とも落ち着きましょう」

 御簾の向こうには『輝く少将』が居て、見えないだけで周囲には多くの少将目当ての女房たちが潜んでいる。目も耳も多い中でのこの失態は、二人の今後の宮中内評価を落とすことにつながる。

 二人の間に入ろうと、梓子も立ち上がろうとしたところで、御簾の向こうからパンッと手を打つ音がした。騒がしさが夜の静けさに一気に引き戻される。

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