二-1

■ 二 ■


「君と話をするのにも、典侍様の許可が必要なのかい?」

 話す場を内侍所に移動することに、右近少将は納得がいかないようだ。

 だが、納得いかないのは、梓子も同じである。今回の写本作業こそは、円満にお仕事完了までいけると思っていたのだ。それが、少将の訪れによって、梓子ばかりか、ほかの女房たちの筆まで止まってしまった。

 正直、写本の筆を止めている時間の余裕はない、仕事にならないならば、原因を場から引き離すよりなかったのだ。

「いかに少将様の御声掛けと申しましても、上の方の許可なしに仕事を放棄して、持ち場を離れるわけにはいきません」

「なるほど。……でも、あの場の統括役でなく、典侍様の許可でないとならない理由は、なにかな?」

 この人が、あの場の者に許可をもらいたいと言ったら、きっと二つ返事で貸し出されてしまう。ここは、右近少将の圧に屈しない人物に出てきてもらう必要がある。

「女官のさいはいは、典侍様の領分にございます。それに、あの方の許可を得られれば、後宮のどこの許可もいらなくなりますよ」

 梓子としては、典侍に断ってもらうことで、今後の仕事にも支障がないようにしてもらえるとありがたい。それを期待して典侍を訪ねたのだが、話を聞いた女官統括役は、予想に反して、梓子の貸し出しを決定した。

「まあまあぁ、そういうことでしたら、ぜひぜひ小侍従殿をお連れください!」

 むしろ、写本班の女房たちよりも積極的に、梓子を右近少将に差し出そうとしている気がする。

「典侍様……?」

 真意を問おうと、几帳の裏であるのをいいことに詰め寄れば、典侍のほうも梓子に詰め寄り、興奮気味の小声で言う。

「姫さ……小侍従殿、これは好機です。少将殿は左大臣様のゆう。女性関係の噂にまみれたご本人は横に置いておくとして、横のつながりで有力なきんだちと知り合えるのではないですか。これが婿がね探しの好機でなくて、なんだと……」

 猶子とは、兄弟、親族の子などを自分の子として迎えることをいう。噂によれば、右近少将の母君が、左大臣の北の方と姉妹である関係から、右近少将の父親王が出家した後に左大臣の猶子となったという話だ。

「怪異に関わる仕事をすることと、婿がね探しは、別問題では……」

 正直、仕事でこの手の話に関わらないようにすることしか考えていなかったので、堂々と関わるように勧められても、かえって腰が引けてしまう。それに、梓子は、典侍ほどは婿がね探しに積極的ではない。むしろ、消極的ですらある。

「そこですよ、小侍従殿。今回は、貴女様の御力を存分にお使いになれるんですよ」

「いえ、そこまでやるかは……。だって、まだ詳しい話を聞いたわけじゃないですし」

 からぎぬの両肩に、典侍の手が置かれる。

「細かいことはいいのです。ここは『モノめづる君』の本領を存分に発揮してきてくださいまし」

 待ってほしい。モノをでた記憶はいっさいないのに、その呼び名はいかがなものか。御簾越しに見える右近少将が肩を震わせて笑いをこらえているではないか。これは確実に聞こえている。その右近少将を一目見ようとやや遠巻きに、でも出来得る限り近づこうと集まってきている女房たちにもきっと聞こえている。明日の朝には、この呼び名が宮中に広まっていそうで怖い。どう考えても、距離を置きたくなる呼び名ではないか。会うたびに梓子に婿がね探しを迫る典侍自らが、その前途多難さ度合いを上げないでほしい……。いや、前途多難になってくれるほうが、梓子的には、好都合なのかもしれないのだが。

「では、あとはお二人で話してください。……少将殿、貴方あなたの一挙手一投足を皆が遠巻きに見張っておりますから、小侍従殿とは適切な距離を保ってくださいね」

 きっちりと線引きしてから、仕事の話にこの部屋を使うように言い置いて、典侍は曹司を離れた。

 右近少将との間には、の隔てばかりか、ちようまで置かれている。殿方に顔を見られるのも仕事の内という女房とは思えぬ重装備だ。

「では、上の方に許可をいただいたので、さっそく話をしようか。……改めて聞かせてほしいのだけれど、君はなぜ『これは続く』と確信し、疑わしい話に『やはり』と思ったのかな?」

 さて、これはどう考えるべきなのか。

「ちょっと待ってくださいますか。どこから話を始めるか、少し考えさせてください」

「悪いが、はんとき(一時間)と待てないよ。物忌みでもないのに三日三晩出仕してこない者が続くなんてありえないから、さっさと解決してきなさい、というのが主上おかみの勅だからね」

 主上の勅。つまりは、みかどの御命令。その言葉に、梓子の頰が勝手に引きつる。帝の勅という強制力の強さもさることながら、これからの自身の発言の影響力もあまりに大きすぎるではないか。

「……規模感が想像と違ったので、断らせていただいてもよろしいでしょうか」

「小侍従殿、これは勅命だよ。面倒でも帝の臣民として、共に働こうか?」

 声の調子からいって、御簾の向こう側の少将は、きっと、にっこりと笑っているはずだ。にもかかわらず、この圧はなんだろうか。さすがは、帝の信頼を一身に集める『裏宮中の最高位に君臨する人』と噂されるだけある。

「いえ……面倒ということはありません。わたしは、基本的に役目を与えられ、それをやり遂げることを信念としておりますので。ただ……、これ以上、宮中で目立ちたくはないのです」

 隠すことなく本音を口にした。

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