33話 お前の乳



 彼らがこれで死ぬとは思っていない。


 これは言うなれば、訣別の意味を込めた攻撃だ。

 今この時をもって、私は人間から魔物へと戻る。


 火球が直撃した木造住宅は、一瞬で大爆発を引き起こし、跡形もない焦土と化した。


 けたたましい爆発音を耳にして、騎士団とエレナが駆けつけるのも、時間の問題だろう。


 そのまま黒煙が霧散するのを、ただじっと待つ──すると、やはりその中からは、金髪の少女を抱きかかえた青年が、ほぼ無傷で出てきたのだった。


 殺気に反応して、バリアを張ったらしい。

 アイリスを抱きかかえているアレは、確か“お姫様抱っこ”というやつだったか。

 

 あぁ、懐かしいな。

 深手を負った私を、暴走したゴーレムの攻撃から守るために、一度だけタイガがあの形で抱えて逃げてくれたのを、よく覚えている。


 これまで生きてきた中で、私をまともに女性扱いしてくれた、数少ない存在……勇者タイガ。


 やはり彼は、いつ見ても、陰険な自分にとっては眩しすぎる存在だ。


「──邪魔をしてくれたようだな、シャル」


 タイガが、真っすぐに私を見つめて、いつもの落ち着いた声音で呟く。

 シャルティアと名乗る自分を、シャルと愛称で呼んでくれるのは、勇者パーティの三人だけだ。


 だが、きっとそんな事実も霧散する。

 国内に侵入していたスパイ、裏切り者のシャルティアと呼称され、愛称があった事実など、誰もが忘れていくのだろう。

 

「アイリスは気を失っている。爆発の衝撃もあるだろうが、お前から攻撃を受けた事実が余程ショックだったんだろうな」

「……そうか。それは、悪いことをしたな」


 心にもない発言だ。本当は、殺すつもりで撃ったのだから。


「シャル、今回の攻撃の意図を聞くつもりはない。お前にも事情があることは百も承知だ」


 タイガは極めて勇者らしく、平静なまま状況を理解し、余計な押し問答は不要だと告げている。

 やはり、彼は聡明な男だ。


「その上で聞くぞ。俺と戦うつもりはあるか?」


 ──背筋が凍りつくような、殺気。

 裏切られたことへの憤りか。

 それとも魔物と相対すれば、相手が誰であっても、必ず向ける敵意なのか。


「もっ、もちろんだ。私も……覚悟の上で、ここにいる」

「……そうか」


 彼は小さく呟くと、アイリスをそっと地面に寝かせ、聖剣を携えた腰元に手を添える。


「──魂の色が、見える」


 ロモディンを倒したであろうタイガは、奴から獲得した指輪を眺めながら……いや、すぐさま私に視線を移し、鋭い眼光で睨みつけてきた。


 喉が鳴る。

 緊張と恐怖で、胃の奥底が痛み始める。


 今この瞬間まで、彼と敵対するということの本当の意味を、私は理解できていなかったらしい。

 心臓の鼓動はもはや爆発してしまうのではないかと錯覚するほどの速さを刻んでいる。


 私は、ここから、生きて帰れるのだろうか。


「シャル。やはりデカいな、お前のちちは」

「──っ!?」


 タイガは私を見透かしている。

 魂の色を通して、心の中を覗いている。


 確かに、そうだ。

 否定はできない。


 私の中でちちは、とても──計り知れないほど大きな存在だ。

 しかし、違うのだ。

 父のために、という思いもあるが、私はあくまで自分の意志でここに立っている。


「ち……父は、関係ないだろう。私は元々きみとは相容れない存在だったんだ。だから──」

「違うな、間違っているぞ。シャル」


 彼は腰の聖剣を抜かない。

 何を思ったのか、一歩、また一歩と、武器を持たないまま私の方へ歩み寄ってくる。 


「大いに関係がある。お前のクソデカな乳は、どうやら俺を本気で怒らせたらしい」

「だっ、だから父は関係ないと言っているだろう!」


 私は魔物に育てられた。


 魔王が支配する区域こそが故郷だ。

 元々の種族が人間というだけで、私は身も心も魔物なのだ。


 確かに父は厳しかった。

 生きたければ従えと、死にたくなければ闘えと、幼い頃から暴力と血の臭いに囲まれて育ってきたが、決して闘うことしか知らないわけじゃない。


 私は父に支配されているわけじゃない。

 魔物として生きてきたから、人間と戦うべきだと自分で判断した。


 あれは、別に、そう、戦う理由の一部に過ぎないのだ。

 ちがう──違う、はずなんだ。


「お前の乳を許すわけにはいかない。そんな堂々と存在感を見せつけやがって、ふざけるな。必ずこの手で……」

「う、うるさい、うるさいうるさいッ!! 父ではない! おまえの敵は父ではなく、目の前にいる私だろう!? 闘えタイガっ!」

「──黙れ」

「っ……!」

「見えると言っただろう、魂の色が。俺がこの手で触れ、乳を浄化しない限りお前に未来はないぞ、シャル」

「浄化だと、ふざけるなっ! わたしは! ……わ、わたしは、わたしのっ、意思で……」


 魂の色──なるほど合点がいく。


 きっと、私の魂の色は混沌としているに違いない。

 人間にも、魔物にも染まり切れない半端者、それが私。


 だからこそ、タイガは一瞬で見抜いてしまった。

 私自身が否定している事実に。


 見て分かるほどに存在感を放つ父親の影を感じ取り、彼は一つの真実に到達してしまったのだ。


 シャルティアという女は未だ、魔王軍の優秀な戦士に育て上げようとしていたあの父親の、傀儡に過ぎないのだと──

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