24.国境の看板娘(1)

 今のところ旅は割と順調だ。

 勿論、全く問題がなかったわけではない。宿がない所では野宿をしないといけなかったし、急な雨に立ち往生したこともあった。しかし、旅の継続が難しくなるようなことは、今のところ起こっていない。

 人間の感覚では四十をとうに過ぎた年齢であるエオウは、若い馬と変わらぬ歩みを見せてくれる。この調子なら、目標よりも少し早めに到着できるかもしれない。


 火焔の実は、採取からおよそ二十日を超えてしまうと、火の気を失い腐りはじめる。

 今回の旅は往復で概ね三十日を予定しているので、多少余裕がある計算だ。しかし途中で厄介ごとに巻き込まれたり、エオウが怪我したりする可能性もある。それに新鮮な実の方が効果が高い。

 姫は氷華病に罹って既に八年だ。なるべく新鮮な実を届けたい。




 塔を出発してから五日目の夜。俺たちは国境くにざかいにある町に到着した。

 日はすっかり落ちているのに、町は夜を振り払うように明るい。道路わきの街灯は煌々と輝いており、どの建物にも提灯がずらりと下げられている。


 そしてとにかく人が多い。中央宮殿の城下町以上だ。

 国をまたいで物を売る移動商人、宿の客引き、そしてウィンジョウ人。

 ウィンジョウ人は裾の長い前合わせの衣を帯で縛るという、特徴的な民族服を着ているのですぐわかる。

 俺と人型に擬態したエオウは、町の明るさと人の多さに圧倒されて、口を半開きにしたままふらふらと歩いていた。


「ちょいと。そこの旦那とお馬さん」


 背後から声が掛かる。振り向くと、甘く粉っぽい匂いが鼻を襲った。


「あらあら、まあ。随分と良い男ぶりだこと」

「え、あ、ありがとうございます」


 そこにいたのは、脂粉のよそおいを凝らし、胸元がやけに開いた服を着た、年齢不詳の女性だった。

 いきなり声を掛けられて戸惑ったが、褒めてくれたので礼を言ってみる。俺が頭を下げると、彼女は口に手を当ててころころと笑った。


「あらかわいい。ねえ。今日の宿が決まっていないんなら、アタシん所へいらっしゃいな。かわいい女の子がいっぱいいるわよ。ほら、お馬さんも。いい牝馬おんながいっぱい――」

「ケン、行くぞ」


 女性がまだ何か話していたが、エオウに手を引っ張られてその場を離れる。馬の速度でずんずん歩き、国境の大きな門に突き当たると、別の通りを歩き続けた。


「エオウ、ちょっと待っ」

「いやだからもう、いい歳なんだからさ、いい加減危機感持とうよ。ああいう女の言う『宿』はろくなもんじゃないんだってば」

「え、あ……ああ」

「特にこんな、いろんな人が入り乱れているような場所の宿だよ。ケンなんか、あっという間に騙されて、身ぐるみ剝がされてポイだって。そうしたら『大事な使命』を果たせなくなる」


 そう言われてしまうと無言で俯くしかない。

 姫の城では、奴隷でもある程度の自由があった。だから自分はいわゆる「世間知らず」ではない、と思っていた。

 しかし、そうではなかったのだ。ここまで旅が比較的順調なのは、エオウに助けられている部分も大きいと思う。


「しっかし、どうしようケン、今夜の宿」

「そうだなあ。この辺で野宿するのは怖いし、でもあまり宿代が高い所は嫌だし」

「え、その辺は平気じゃないの。いっぱいお金貰ったんでしょ」

「そうなんだけど、これからはちょっと問題がありそうなんだ。あのな」


 俺が自国通貨の価値について話そうとした時、人ごみの間から移動商人らしき男が飛び出してきた。

 俺の肩に強くぶつかり、そのまま走り去ろうとする。結構痛かったので一言言ってやろうと視線を向けたら、目の前を何かの塊が物凄い勢いで横切った。

 それが男の後頭部に直撃する。男は勢いよく転んでひっくり返った。

 塊は大きな女物の革靴だった。


 そこへ間髪を入れず甲高い怒声が飛んでくる。


「てめえっ! あたしの店で無銭飲食するたあ、いい度胸じゃねえか。払わねえなら巻きにして国境門のど真ん中に逆さ吊りにすんぞコラ!」


 怒声の主が男の前で仁王立ちになる。


 耳の両脇で結んだ褐色の髪。

 飯屋のお仕着せらしい服と前掛け。

 そして片方が脱げた靴。

 彼女は、人間の服を着た若い馬だった。

 

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