21.可惜夜《あたらよ》(2)
「イスー様っ」
姫の体を支えて起こす。冷気が首筋を撫で、服を突き抜けて腕に浸透する。
「出迎えてくださりありがとうございます。ご報告が遅くなりまして申し訳ないです。さ、こちらへ」
肩を貸し、しっかりと支える。姫は一歩一歩力を込めて歩き、寝台まで向かった。
寝台のそばに椅子を置き、ばあやに座ってもらう。二人の視線が俺に向かっているのを見て、頭を下げた。
「帰りと報告が遅くなりましたこと、本当に申し訳ありませんでした。あらためてお詫びいたします。では、ご報告をいたします」
顔を上げる。朗報を伝えるのにふさわしい声が出るよう、腹に力を込める。
「なんとこのたび」
目を開き、口角を上げ、もう一度腹に力を込める。
元気になった姫の姿を思い浮かべる。
「俺、王命を賜りました。『イスー様の病を治すために必要な果実を取ってくるように』とのことです。その実があれば、イスー様は元気を取り戻せるんですよっ」
ばあやが「ひゃあっ」という叫び声を上げる。姫は目を見開いて驚いたような表情を見せた。俺は自分が発した言葉に気分を高揚させたまま話を続けた。
「そしてなんと、です。イスー様とウィー様の縁談も復活しましたあっ」
明るい声で告げ、姫から視線を逸らす。
だからこの時、姫がどういう表情を浮かべていたのかはわからない。
どうやら俺は話下手らしい。王命の内容のほかに家臣や魔術師とのやりとりなども話したのだが、ところどころ話題が行き来してしまった。
そんな報告を、姫は時折打つ相槌以外は無言で聞いてくれた。
一通りの報告が終わる。ばあやは目元を布で押さえながら何度も呟いていた。
「まあ、まあ、イスー様の病が治るのねえ。治るの。縁談も。ありがたいことですねえ。ウィー様ねえ。おめでたいことですよう。ねえイスー様」
涙の滲んだ目で姫を見る。上体を起こした姿勢の姫は、掛布の上に揃えられた手を強く握っていた。
ばあやに向かって曖昧に頷き、俺を見る。
花のような笑顔は消え失せ、水色の瞳は僅かに険しさを宿している。
「『特効薬を作るのに必要な果実』を採りに、『ウィンジョウにある離れ小島』に行く、のね」
「はい」
「それ、ケンがわざわざひと月もかけて採りに行かなくてもいいでしょうに。ウィンジョウにある実なら、それこそウィーさんの
「それがええと、市場に出回っていない特別な実らしくてですね、ちょっと手に入れるのが難しい、いや大変、じゃなくてとにかく、俺でないといけないんです」
「俺でないと、って、だからなぜ……。ねえ、そんなウィーさんも仕入れられないような珍しい実がある『離れ小島』って、なんていう島なの」
一番訊かれたくない言葉を向けられ、ぐっと詰まる。この問いを避けるために、「往復でひと月もかかる大変さ」の方に力を入れて話していたのだが。
そうだ。俺の浅知恵が姫に通用するはずもなかったのだ。
俯き、誰からも視線も反らして口を開ける。
「フェイオー島、です」
視界の外で空気が揺れる。
ゆっくり、ゆっくりと顔を上げ、姫に目を向ける。
水色の瞳が俺を見据えている。
瞳の光が揺れる。
震える口を僅かに開く。
「な……」
震えは肩にまで広がっていく。俺は慌てて声を上げた。
「え、えっと、フェイオー島って、あの『フェイオーも凍る』のフェイオーなんですけど、でもでもそのまま島に行ったら危ないからって、ちゃんと色々用意していただいたんですよ。火よけのマントとかブーツとか、良いものを色々。だから気をつければそんなに」
「お父様は何を考えていらっしゃるの! ケン、そんな所へ行ってはだめに決まっているでしょうっ」
激しい声が部屋中に響き渡る。さらになにかを言おうとしていたが、そこで胸を押さえて低く呻いた。
駆け寄り、背中をさする。
背中の冷たさが増している。無理をして氷の花が胸に刺さってしまったのだろう。
姫は何度か咳込んだ後、俺を見据えた。
「そんな命令、聞かなくていいわ。私、ケンを危険な目に遭わせてまで治りたいなんて思わないもの」
「いえ、あの、大丈夫です。えっと、フェイオー島の火の雨って、ずっと降っているわけではなくて、降ったり止んだりなんです。だから止んでいる隙にぱぱっと走って」
魔術師から聞いた島の特徴を、ぎりぎり嘘にならない程度に安全な印象になるよう伝える。それでも姫は首を縦に振らなかった。
「そんなに都合よくいくわけがないわ。ケン、行かないで。この国はもう、一時的な援助でどうにかできる時期は過ぎていると思う。だからその点でもあなたが気にする必要はないのよ」
「いえ、行きます」
思わず強めの口調で言ってしまった。
「国とお金の件は、俺には判断できませんが、イスー様の病を治せるせっかくの機会なんですから」
「だからっ」
背を丸め、壊れた笛のような咳を繰り返す。俺は背中をさすりながら、姫の瞳に語りかけた。
「イスー様。どうか俺の願いを叶えてくださいませんか」
背中の冷気がやわらいでいく。
そっと手を離し、跪く。
「俺はフェイオー島にある『火焔の実』という実を採りに行きたいんです。行かせてください」
頭を下げる。
「イスー様が元気を取り戻し、幸せになること。それだけが、俺の願いなんです」
気がつくとすっかり夜になっていた。
姫との話の後、いろいろ準備していたらあっという間に時間が経ってしまったのだ。
俺の準備以外にも、ばあやに引き継ぐものの用意をしたり、エオウの蹄を削ったりと大忙しだった。
出発は明日の早朝。ようやく作業が終わり、寝るために灯りを消そうとしたところ、扉をほとほとと叩く音がした。
扉を開ける。
冷気が部屋に入り込む。
そこには倒れ込んで苦しげな息をした姫がいた。
「い、イスー様っ。え、ちょ、まさか階段をご自分で降りてここまでいらしたんですかっ」
「そう、よ」
肩で息をしながら得意げな笑みを浮かべる。
「あのね、ひとつ、お願いがあって」
手に持っているものを掲げて見せる。
それは金色の小さな鍵だった。
「今から、一緒に、花園に、行ってほしいの」
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