20.可惜夜《あたらよ》(1)
深い夜の中、月明りが頼りなげに道を照らしている。
エオウの背に揺られながら、俺は魔術師の言葉を何度も何度も思い返していた。
最後の方で語られたこと。あれは。
――イスー様にとって一番必要なのは、火焔の実よりも、あなたそのものなのですから
その言葉の意味することを魔術師に訊こうとした丁度その時、長居を心配したエオウが家の中に入ってきた。それでそのままになってしまったのだ。
熱い想いの力は、呪いを超える。
もしそうなら嬉しい。そして俺の想いの強さなら誰にも負けない。姫が病に伏せてからの八年、いや、姫と出逢ってからの十五年、俺はずっと姫を恋い慕い、何よりも大切に思って仕えてきた。しかし。
姫と想いを交わしているのは、ウィー様なのではないか。
それなのに、なぜ一番必要なのが俺、と言ったのか。
人への感情を「好き・嫌い」だけで分けたなら、おそらく姫は俺のことを「好き」だと思ってくれている、と自惚れている。そういう意味では、姫と俺は互いに「好き」という想いを交わしているとは思う。
でも、これは魔術師の言っていたこととは違う気がする。
ある思いが浮かび上がる。
急いで蓋をする。全体重かけて抑え込む。
ほんの僅かの隙間から、思いがするりと抜け出して浮かび上がる。
もしかして、姫は俺のことを
「うわあっ!」
考えてはならぬ言葉が浮かび上がったので、振り払おうと大声を上げる。するとエオウはびくりと跳ね、首がグンッと持ち上がった。
「あ、あ、ごめんごめん、びっくりさせて。ちょ、ちょっと考え事していた勢いっていうか」
額から背中から変な汗が溢れ出す。頬が熱すぎてうまく話せない。
エオウは驚かされたのに怒っているのか、それとも驚いたことに照れているのか、不機嫌そうに耳を倒している。そして足元が暗いのに、勢いよくばかばかと走りだした。
風を切る。抑えきれなかった思いは風になびき、千切れることなく揺れている。
姫の城に到着したのは、月が大きく傾いた深夜だった。
ばあやは既に眠っているらしい。姫も起きていないだろうが、折角の朗報、早く伝えたかったので、部屋の前で声を掛けてみた。
部屋の中からの声はなかった。
仕方がない。明朝すぐに伝えることにし、寝床に向かう。
庭係をしていた時は大部屋で雑魚寝をしていたが、今は入り口近くにある一部屋を独占している。塔に人間が三人しかいないためにそうなったのだが、未だに落ち着かない。
私物を詰め込んだ布袋がひとつと寝台だけの部屋。今はそこに旅の荷物もある。
結構な額の路銀、水分を含むミズヒツジの毛で織られたマント、底に硬い革を何重にも重ねたブーツ、手袋や実を入れる専用の袋、保存食類。
そして、大量の火傷薬と痛み止め。
明後日の早朝、出発する。
火焔の実を採って来られれば、姫の病が癒える。そして一度は破談になったウィー様との結婚も叶う。
以前どこかで聞いた噂によれば、ウィー様は姫との婚約を破棄されてしまった後、別の人と結婚したらしい。だがすぐに離縁となったそうだ。
理由はわからない。けれどもウィー様ほどの人の妻が務まるのは、姫しかいないのではないかと思う。
妻、か。
寝返りを打つ。
拳を握る。
素晴らしいことじゃないか。ウィー様は聡明で美しく、寛大だ。その上、貴族以上の財力がある。それこそ国が頼るほどの。
ウィー様なら、きっと姫を大切にしてくれる。
姫は、きっと幸せになれる。
明日の朝、姫に報告するのが楽しみだ。
姫はどんな顔をするだろう。喜んでくれるだろうか。それとも、中央宮殿がウィー様に重い負担を担わせたことに怒るだろうか。
ばあやに負担がかからないよう、明日は色々準備しよう。なにしろひと月もの間、姫のお世話と塔の管理を一人で担ってもらうのだ。
姫が元気になる。
かつての、あの弾けるような笑顔を思い浮かべる。
両手で顔を覆う。
両手を突き抜け、視界いっぱいに炎が降り注ぐ。
手に力を込めて顔を押さえる。炎の向こうに、婚礼衣装を纏った姫と、寄り添うように立つウィー様が浮かび上がる。
朗報だ。朗報だ。
嬉しい。楽しみだ。幸せなことだ。
だから頑張ろう、俺。姫のために。頑張ろう、なあ。
短い夜はすぐに空けてしまった。昨日の報告のために、まずはばあやの部屋へ向かう。
「ああ、ケン。おはようねえ。帰ってきたねえ」
既に身支度を終えていたばあやは、視点の曖昧な目を向けて緩やかな笑みを浮かべた。
くるくると働き、はきはきと喋り、臆することなく姫のお転婆を叱っていた、昔の姿を思い出して少し悲しくなる。
「遅くなりまして申し訳ないです。実は昨日、大事な任務を賜ったんです。これからイスー様のお部屋でご報告申し上げるので、俺と一緒に来ていただけませんか」
「にんむ、任務。お話しね。ああ、ついていきますよう」
姫の部屋の前に着く。声を掛けようと口を開けた時、引き戸がわずかに開いた。
冷気が流れ出す。戸がゆっくりと開く。
視線を下げる。
「まあ、ケン。帰ってきたのね。よかった。帰ってきた。おかえりなさい」
座り込み、震える手で戸を開ける姫が、俺を見上げて花が開くような笑顔を見せた。
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