18.氷の花と胸の熾火《おきび》(1)

 三番町は、中央宮殿と姫の城のほぼ中間にある小さな町だ。方々に手入れのされていない木が生えており、その隙間にぽつぽつと家が建っている。


 魔術師の家は、巨木の陰に隠れるようにひっそりと建っていた。

 エオウが止まる。魔術師は不器用に降りると大きく息をついた。


「送ってくれてありがとうございました。今日は疲れたでしょう。今、お茶を淹れますので、少し休んでいってください。エオウの水も向こうにありますよ」


 魔術師も大変だったであろうに、気遣ってもらうなんて申し訳ない。それに姫の具合も気になるので、なるべく早く帰らねば。そう断ろうと口を開きかけた時、エオウと目が合った。

 じっと俺を見ている。長い睫毛の奥にある目が、「休ませろ」と無言の圧を掛けてくる。そういえば皆、中央宮殿に行ってからずっと飲食をしていなかった。

 魔術師を煩わせぬよう、少しの時間だけなら。

 俺は深く頭を下げて礼を述べ、家の中に入った。




 扉を開けた途端に薬草の強い匂いが押し寄せてくる。机に置かれた明かりに魔術師が火を灯すと、部屋の様子がゆらめきながら浮かび上がった。


 壁一面を覆うような巨大な棚には、大量の薬瓶と古めかしい本が息苦しくなるほどに詰め込まれている。

 謎の鍋、謎の装置、天井に幾つも吊り下げられた薬草。魔術師は机に積みあがった本や瓶を薙ぎ払うようにどかし、俺に椅子を勧めてくれた。


「イスー様のもとへ戻る前に、少し気持ちを落ち着けた方が良いでしょう。今のままではケンのアストラル体に乱れが生じていますから、心身が繊細な状態のイスー様が不安になってしまいます」


 ああ、そうか。

 それでお茶に誘ってくれたのか。

 頭を下げる。魔術師は軽く頷き返して白いフードを外した。

 長い白髪が肩に流れる。続いて頭の後ろに手をまわし、仮面の紐をほどいた。


 仮面が外れ、魔術師の顔が現れる。

 それと同時に、混乱した心が瞼をぐわりと押し広げた。


 「高名な魔術師」という立場や、フードからたまにのぞく髪の色から、てっきり老齢の男性だと思っていた。だが。


「どうしましたか。ああ、ここなら仮面を外しても大丈夫なんです。空気は清浄ですし、ケンは瘴気ミアスマに侵されていませんから」


 にっこり、と微笑む魔術師は、俺と同年代、いや、おそらく少し年下の女性だった。


「あ、お」


 うっかり「お若かったんですね」と言いかけ、慌てて飲み込む。彼女は口を大きく開けたかと思うと、頬をぐりぐりとほぐしだした。


「すみません。仮面のここ、濾過装置で口元を押さえつけているので、顔がるんです。いつも変な声だったでしょう。地声はこれですよ」


 さすがにいつもの声が地声だとは思っていなかった。それより、もし俺より年下だとしたら、八年前に初めて会ったときは一体幾つだったのだ。

 そんな考えで頭が乱れる俺を残し、魔術師は杖をついて奥の部屋へと入っていった。




 泡立てたミツヤギのバターがたっぷり入った豆茶を飲む。

 苦さと甘さが絡み合う独特の味が美味しい。姫にも飲ませたいからと作り方を訊いたが、バターも南方産の豆も体を冷やすので、姫の体には障るらしい。


「ケン」


 魔術師はカップを置き、俺を見た。


「まだ、考えているのでしょう。国王陛下のご尊顔のこと」

「は……」

「イスー様と似ていらっしゃること。あれだけ似ているのであれば親子であろうに、なぜ、イスー様にあのような仕打ちをなさったのだろう、と」


 その言葉を聞き、曖昧に漂わせていた視線を魔術師に合わせる。


「魔術師様は、ご存じだったのですね。お二人が似ていらっしゃることを」

「はい。先代に付いて修行をしていた時から、何度かご尊顔を拝したことがあります」


 そこで彼女は一度言葉を切り、豆茶を口にした。

 天井を見上げ、視線を俺に戻す。


「今から話すことは、先代の『三番町の魔術師』から聞いた噂話です。一部の人の間では既に広まっていますが、これ以上無闇に広げるようなものではありません。特にこのご時勢には」


 傍らに置かれた仮面にそっと触れる。


「お輿入れになる前のお后様には、相慕あいしたう仲の男性がいたらしいのです。詳しくは知りませんが、お后様のお屋敷に出入りする平民だったようです。ですが、急に国王陛下との縁談が持ち上がりました。以前より決まっていた陛下と異国の姫君との縁談が、国同士の駆け引きがうまくいかずに流れてしまったのが原因です」


 顔を伏せる。白い髪が頬を隠す。


「そこでお后様はくだんの男性と別れ、お輿入れされました。ですが、『実はお后様は亡くなるまでずっとその男性と通じていた』とか『二人で城を出ようと画策している』とかの、よからぬ噂が絶えなかったらしいのです」


 確かに、そういう仲の人がいたというのであれば、そのような噂が立つこともあるだろう。

 半分くらい飲んだカップに目を落とす。飲まれることのなかったバターは冷えて固まり、カップの内側にすがるように貼りついている。


「異国の姫君の件は国同士の問題でしたし、双方に恋慕の情があったとは思えません。しかし陛下を取り巻く人々、いわゆる『中央宮殿の人々』は非常に残念だったでしょう。王族の婚姻は恋愛ではなく政治なのですから」


 カップから目を離し、顔を上げる。

 魔術師の強い瞳が俺を見ていた。


「それでも人間には心があります。妻が自分以外の人を恋い慕っていれば心も乱れましょうし、引き離されてもなお心の中で熾火おきびのように静かに燃える想いもあるでしょう」


 俺を指さす。

 まっすぐに。


「そう、思いませんか」

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