17.考えるまでもなく(2)

 家臣に貼りつくようにして廊下を歩く。

 俯いているので建物の様子はよくわからないが、ある地点から廊下が白く磨きこまれた石に変化した。それと同時に上等な靴を履いた足が増える。人とすれ違うたびに角度に気をつけて礼をするので、早足の家臣について行くのは大変だ。


 今までに何度か、国王の姿を見かけたことはある。ただ当然のことながら非常に遠くからだけだったので、「立派な服を着た大柄な方」くらいの印象しかない。

 そして俺は、この期に及んでまだ「国王陛下に拝謁する」という実感がない。いきなりすぎたし早足だし、緊張する暇がないのだ。


 家臣が急に立ち止まり、囁いた。


「ここで叩頭礼こうとうれいの姿勢を崩さぬよう待っていろ」


 言われるままに膝を折って座り、額を床につける。


 ここはひときわ美しい石が敷き詰められた廊下だ。広さはかなりあるようだが、人通りが全くない。

 しばらく冷たい床に額をつけていると、遠くの方からいくつかの靴音と衣擦れの音が響いてきた。


 その響きを額に感じると同時に「国王陛下に声を掛けられるのだ」という実感が輪郭を持って迫ってくる。

 胸が苦しくなり、額に汗が滲む。


 音は徐々に大きくなる。王族だけが身に着けることができる、特別な蝶の繭で織られた布が発する独特の衣擦れ音。硬い踵の靴音。それらに混ざって聞こえてくる声は、ゆったりとしていてよく通る。

 音が止み、視界に影が落ちる。


「ああ」


 頭上から声が降る。その声を受けて、傍らで立礼していた家臣が声を張り上げた。


「この度は慈悲深きお心を賜り、誠にありがとう存じます。この者が採ってまいります」


 俺の目の前には国王の他にあと一人いるようだ。その人が「あの件か」と呟いた。


 頭上から視線が落とされているのがわかる。こちらから軽々しく声を掛けるのも失礼な気がするし、紹介されて挨拶しないのも失礼な気がする。この場合、どうするのが正解なのか、事前に家臣に聞いておけばよかった。

 挨拶、といっても何を言えばいいのか。いち奴隷が名乗っても仕方ない気がするので、「拝謁の栄に浴しましたこと誠に幸甚に存じます」みたいなことを言えばいいのか。

 考えが巡り、汗の滲んだ額を床から少し離した時、再び声が降ってきた。

 ゆったりとした、よく通る声。


「大事である。必ず持ち帰ってくるよう」


 国王の声だ、と頭が理解した瞬間、床から離していた頭が反射的にぐんっと持ち上がった。

 勢いのまま、国王と目が合う。


 国王とお付きらしい人が並んで俺を見ている。

 紫色の豪奢な服を纏った国王が俺を見て少し目を細める。

 頭を下げねばならない。無言で顔を見続けたことを詫びねばならない。それなのに俺は、国王から目を離せないまま固まってしまった。

 体を巡る血が頭に駆け上がる。


「奴隷、国王陛下に何をしている、無礼者」


 お付きが鋭い声で𠮟責した。隣の家臣が俺の頭を押さえつけて床に叩きつける。床の感触で我に返った俺は、思考とは別に口の筋肉だけで詫びの言葉を叫んだ。


 国王は「ふむ」と小さく言った後、特に咎めることなく歩き去った。

 靴音と衣擦れの音が小さくなっていく。




 中央宮殿を出る頃には、すっかり日が落ちていた。

 陽光の残滓ざんしが稜線を朱く染めている。三番町の魔術師の家に寄ってから帰るとなると、相当な夜中になるだろう。


 魔術師と荷物をエオウに乗せ、歩く。灯りが煌々と輝く城下町を抜けると、一気に夜の匂いが強くなった。

 魔術師の声が沈黙を破る。


「もう、先ほどのことでこれ以上思い悩むのはおよしなさい。今、ケンが考えなければならないのは、明後日からの旅のことです」

「はい。わかって、おります」


 そして再び沈黙が続く。




 国王を無言で見つめてしまった件は、地下室に戻った後家臣に叱られた。


「城内だって俯いて歩かなきゃならんのに、国王陛下をじろじろ、なんてありえんだろう。陛下から一言賜る、というのは物凄い栄誉なんだぞ。『声を掛けてもらえて感激です。命を代えても採ってきますっ』ってお前に言わせるための機会だった、ということくらい、わかるだろうに。それを」


 言葉を無言で受け止める。彼は俺の顔を見て、すっと言葉を切り眉をひそめた。


「なんだ。何か言いたいことがあるのか」


 頷く。顔を上げ、家臣を見据える。


「あの態度は本当に非常識でした。無礼を働きましたこと、大変申し訳なく思っています。あの、ただ」

「ただ、どうした」

「国王陛下のご尊顔が、あまりにも」


 そこまで言った時、彼の口から「あ、あ」という声が漏れた。


 皆、気づいているはずだ。家臣だって、国王自身だって。

 それなのに、どうして。


 わかっている。それだけでは確実ではない。飛びぬけて個性的な部分があるわけではないから、偶然の可能性だってあるだろう。

 「確実でなければ排除する」というのが方針だ、と言われてしまえばどうしようもない。それでも信じるものではないのか。妻や子に僅かでも愛情があるのならば。

 だって。


 完全一致、というほどではない。それでも。

 姫は、国王の顔だちにそっくりだ。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る