16.考えるまでもなく(1)

 魔術師が言葉を切る。


 火の降る島。命を賭す覚悟。

 それらの言葉が意味することを咀嚼できぬ間に、心の端に浮かんだ言葉が零れ落ちる。


「この、命令が、中央宮殿の方々ではなく、俺に下された理由は、つまり、そういうことなのでしょうか」


 言った後に顔を伏せる。

 問いの形で投げかけるつもりはなかった。この問いに答えを求めるのはあまりにも申し訳ない。


「あ、ああ。イスー様の病を治す件はな、極力表に出したくない話なんだ」


 それでも家臣は答えてくれた。

 言いにくそうに。視線をさまよわせながら。


「イスー様の出生に関する疑いは依然としてあるわけだし、それに、その」

「だから大々的に軍隊を動かして、とかはできないので、無名の奴隷にこっそり採りに行かせようとしたんですよね」

「ああ、そういうことだ。それに、いや、うん、いや、そういうことだ」


 家臣に内心詫びながら話を終わらせる。

 彼が口にしなかった「それに、いや」以降の理由は、なんとなく察しがついている。


 姫を助けるため、というよりウィー様から援助を受けるために、火焔の実が欲しい。だが中央宮殿の貴重な人材を火の雨の中に晒すわけにはいかない。

 その点、俺なら惜しくない。

 それに、もし俺が命を落として火焔の実を手に入れることができなかったとしても、「頑張って病を治そうとはした」と主張することができる。

 痛手を負わずに。


 咀嚼された思いがじわじわと胸の奥からせり上がる。


 想像する。

 空から雨のように火が降ってくる。避けようとしても逃げようとしても降り注ぐ。

 頭に、顔に、肩に、足に火が落ちる。

 燃える。焼ける。苦しい。息が。熱い。

 それでも、それでも火が降り。

 そして。


 ぱん、と乾いた音がして思考が途切れた。


「ケン」


 俺を呼ぶ声がする。魔術師が俺に向かって両手を叩いたようだ。


「ごめんなさい、初めに怖い話をしてしまって。まずはゆっくりと息を吐いて。吐いて。吸って。どうですか。視界が戻ってきましたか」


 言われたとおりに呼吸をする。胸に空気が入り渦を巻く。すると視界に魔術師の白い仮面がぼんやりと浮かび上がってきた。

 そこで初めて、自分の視界が闇に閉ざされ、息ができていなかったのだと知った。


「ケン、大丈夫、ですか」


 こくり、と頷くと同時に視界が歪み、吐き気がこみ上げる。拳を握って両足に力を入れ、耐える。


「火焔の実を使った薬の調合方法が確立されている、ということは、過去にある程度の件数、採取に成功している、ということです。もしケンが採りに行く、というのであれば、知り得る限りの対策を伝授しますし、イスー様には『三番町の魔術師』の名に懸けて最高の治療を施します」


 魔術師は力強くそう言った後、消え入りそうな声で「行け、ますか?」と呟いた。


 頷く。

 魔術師の「イスー様」という言葉を聞いて、視界のもやが一気に晴れる。

 改めて拳を握り、姿勢を正す。俺は一体、何に迷い、恐れていたのだろう。火の雨だろうと槍の雨だろうと知ったことではないではないか。

 火焔の実があれば姫が助かる。姫が幸せになる。ならば考えるまでもない。


 家臣が一度唇を嚙んだ後、口を開いた。


「ケン、あの」

「国王陛下のご命令、謹んで承ります。必ず火焔の実を持って参ります」


 魔術師に向き直る。


「実の採り方や対策、のようなものがあるのでしょうか。是非教えていただけませんか」


 俺の言葉に魔術師は首を曖昧に俯いた後、家臣と顔を向き合わせた。

 戸惑っているような、なんともいえない空気が漂う。やがて魔術師は大きく頷き、俺を見た。

 白いフードから、長い白髪が一筋垂れる。


「わかりました。では詳しくお伝えします」




 魔術師の説明がひととおり終わった後、俺とエオウは床に広げられたものの数々を巨大な麻袋に詰め込んだ。

 一通り片づけ終わる。エオウが荷物を抱え上げて声を上げた。


「結構な大荷物だなあ。こりゃ俺がいなければ無理だ」


 小柄な魔術師がエオウを見上げる。


「ミズヒツジのマントやブーツ、体から陽の気を抜く水薬や保存食は重いんです。中央宮殿側がかなり良い素材を用意してくださったので、これでも大分軽く仕上がったのですよ」


 家臣は魔術師の礼を軽く受け流した後、腕を組んで首をかしげた。


「そういやエオウ、お前幾つだっけ。若作りで擬態しているけど、結構ジジイなんだろ。大丈夫なのか往復ひと月の旅」

「十一歳ですから確かにジジイに片足突っ込んでいますけど、まだまだ元気ですよ。ちゃんと火焔の実が腐らないうちに戻ってこられます」

「十一歳かあ。まあ元気だというなら、今日帰るついでに魔術師を家まで送っていけ」

「かしこまりました。って、ええ、じゃあこの荷物、魔術師様の家に置いたままでもよかったじゃないですか。重いのに」


 魔術師の丁寧な説明があったおかげで皆の気持ちが少し落ち着いたのか、空気が穏やかになりかけていた。

 その時。


「おそれいります。失礼いたします」


 扉の向こうからくぐもった声がする。家臣が扉を開けると下級家臣が立っていた。

 二人で何やら話をした後、家臣が扉を閉める。小走りでこちらに来、俺たちを見た。

 頬が強張っている。


「ケン、服と髪を整えろ。魔術師とエオウは少しここで待っているように」


 大きく息を吸う。


「今回の任務にあたり、国王陛下御自らお言葉を下さるそうだ」

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