14.地下室の密談
緩やかな丘の上にそびえ立つ中央宮殿は、陽の光を浴びて白い肌を鈍く光らせている。その周囲に広がる城下町は黄土色に
凝った装飾の施された正門を素通りし、ぐるりと回って東門に到着する。エオウから降り、門番に要件を伝えようと歩き出したとき、門から数人の兵士が飛び出してきた。
何事かと振り返る。兵士は少し離れたところで行われている集会の方へ向かっているようだった。
今時、集会なんて珍しくもないが、まさか中央宮殿のすぐそばで行われるとは。
市民が大胆になったのか、城の権力が弱まったからなのか。いずれにせよ世の中変わったものだな、などと思っていた時、集会の騒ぎの中から耳が途切れ途切れの言葉を拾った。
言葉がひとつ届くごとに、耳の奥がぐわっと開く感覚を覚える。
――呪われ……王女……
――見捨て……
――非情……
本当にそう言っていたかは、正直なところわからない。集会はここから離れているし、辺りは騒々しい。だから俺の耳が雑音を都合よく繋ぎ合わせただけかもしれない。
だが、本当にそういうことを「集会に集まるような人が」「城の目の前で」言っていたのだとしたら。
これは、素直に「みんな、姫のことを忘れず心配しているんだな」と思える問題ではない。そんな気がする。
考えごとをしていたら、門番にぶつかりそうになるくらい近寄ってしまった。
慌てて膝を折って座り、掌を地面につけて頭を下げる。その後、手紙を頭上に掲げるようにして差し出すと、事前に話が通っていたらしく、門番は手紙の中身を確認することなく中に入るよう促した。
「畏れ入ります。馬はどこに……」
「ああ、一緒に話を聞け、とのことだ。そこの裏で擬態しろ」
門番が顎でしゃくって示した場所にエオウが入り込む。しばらくすると、チュニックを着て荷物を背負った人型の彼が出てきた。
「なあケン、俺も城の中で何かしないといけないのかなあ。なんか緊張するなあ」
「うん……あ、ここから先はお喋りは控えて。ここは作法が厳しいから、俺のする通りにして」
手紙に手順が書かれていたので覚悟していたが、中央宮殿は「敷地内を歩く」だけでもとにかく作法が多い。
まず、攻撃の意思がないことを示すために両手を組む。その状態のまま俯いて道の左端を
俯いているのに家臣が通りかかったら気配で察して立ち止まり、礼をする。礼の深さは、視界の端に入る家臣の服の裾の色で判断して変える。
姫と奴隷が駆けっこをするような城――それも姫の方から奴隷に駆けっこを誘うような城――に慣れていると、なんともいえないもやもやとしたものが腹に溜まる。
第二通用口には、緑色の服を着た中級家臣が立っていた。
「遅い」
感情の読み取れない声でそう言われたので、反射的に膝を折って座り、額を地面にこすり付ける。すると背後から朗らかな声が降ってきた。
「あっれええ。お久しぶりですうっ」
エオウの声だ。あまりの無礼に変な汗が額に浮かぶ。何をやっているんだと思いつつ顔を少し上げると、中級家臣が微かに頬を緩めて見下ろしていた。
「久しぶりだな、ケン。すまん、
八年ぶりの懐かしい声。そこに立っていたのは、姫の城にいた上級家臣の一人だった。
つい俺も「お久しぶりです」と声を掛けそうになったが、彼の表情から笑顔がすうっと引いていくのを見て、丁寧に頭を下げなおした。
「遅くなりまして申し訳ない事でございます。本日拝受いたしましたお手紙がこちらでございます」
手紙を差し出す。家臣はそれを受け取ると、無言で懐に入れた。
建物の中に入る。
東棟は、「中央宮殿」という響きから想像していたような華やかさはなく、薄暗くて廊下の幅も狭い。俯いた状態で視界に入る人々の服の裾や靴の状態から判断するに、使用人が何かを作業するための場所なのだろう。
何度か角を曲がった奥に、小さな扉があった。そこは地下につながる階段になっている。
家臣の後について降りてゆく。背後でゴツッという鈍い音と「いてえっ」というエオウの声が響いた。天井の低い所に入る際に額をぶつけるのは、馬がよくやることだ。
地下はそれなりの広さがあり、等間隔に明かりが灯されている。だがやはり薄暗く、湿った黴と埃の臭いが鼻をついた。
広い廊下の両端には窪みのような小部屋がずらりと並んでいる。どうやら物置になっているようだ。
「ケン、イスー様のおかげんはどうだ」
俺たち以外誰もいないためか、家臣が昔の口調で話しかけてきた。
「芳しくはありませんが、今日はお食事を少し召し上がることができました。それに本もお読みになれたのです」
「そうか」
言葉が途切れる。彼は何かを言いたそうに何度か口を開いてこちらを見たが、やがて俯き、小さく咳ばらいをした。
三人の足音が地下の壁に反射して響く。
廊下を進むにつれ、燻した香草のような匂いが漂ってきた。匂いを辿るように歩き進めると、家臣は一つの扉の前で立ち止まった。
「なんだこの匂いは。入るぞ」
扉が開くと共に匂いがふわりと溢れ出す。家臣の声を聞いて、部屋の中央に立っていた人が、小さな壺のようなものを抱えて肩を震わせた。
「す、すみません。あの、この部屋には
全身を覆う白いマント。
部屋にいたのは、三番町の魔術師だった。
壺を抱えてあたふたする魔術師を家臣が制する。
「ああ、構わんよ、臭くないし。そうか、その壺の中身は浄化用の香草か。ということは、この辺一帯の空気は浄化してもらえたわけだ。なんか得したな」
中央宮殿の中級家臣らしからぬ言葉に戸惑ったのか、魔術師は動きを止めて家臣の方へ顔を向けた。
「得……」
「まあいい。それより早速本題に入る。魔術師はほら、これに座って」
家臣自ら部屋の隅から椅子を引っ張り出してきて魔術師に勧める。魔術師が何度も頭を下げて椅子に座ると、家臣は俺たちを見回した後、口を開いた。
「ケンたちにこんな所まで来てもらったのは、あまり表立って話せない事をしてもらうためだ。やましいものではない。とても重要で、崇高な事だ。そしてこれは、正式なものではないが、王命と言っても差し支えない」
王命、という普段の自分には無関係な言葉が耳を素通りしかける。それを慌てて押さえ込み、頭の中で咀嚼する。
王命。
国王から下された命令。
言葉があまりにも大きく、驚くことも戸惑うこともできない。何も言えずに固まっていると、家臣が言葉を続けた。
「これはイスー様にとって朗報、なのだと思う。きっと、この上ない。ただ」
言葉を切り、腕を組む。
俯き、俺の目をまっすぐに見る。
「国王陛下が、イスー様の氷華病を治癒させるよう命じられた。治療には三番町の魔術師が当たる」
魔術師が軽く頷く。エオウが何かを言っている。だが俺の頭の中には、家臣の言葉だけが剝き出しのまま入り込んでくる。
「魔術師の診立てによれば、今ならまだ間に合うそうだ。とはいえ発病より八年経っていることもあり、一刻を争う」
一度大きく息を吸い、俺をみすえる。
「そこでケンたちには、治療に必要な『
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