13.届かぬ想い

 中には三枚の紙が入っていた。びっしり書かれた手紙の内容は、要約するとこの三行だ。


 ウの刻迄に、中央宮殿東棟裏 第二通用口へ来ること

 到着したら待機している家臣に名乗ること

 馬を一頭連れてくること


 その他、中央宮殿独自の挨拶のしかたとか、通用口までの経路などが細かく書かれている。けれども肝心の「なんのために来させるのか」に関しては一切記載がなかった。


「ケン、なんて書いてあるの。どれどれ。あ、これ知っている。この字、『馬』だよな」


 全裸のエオウが「馬」の文字を指さし、無邪気な笑顔を見せた。

 彼は十一歳で、人間なら四十歳をとうに過ぎているくらいの歳なのに、いつもこの調子だ。


「そう、馬。エオウのことだよ。俺と一緒に、今日のウの刻までに中央宮殿へ来なさい、って書いてある」

「中央宮殿にウの刻までに。え、あれ、結構急な話じゃないか」


 笑顔が消える。彼は腕を組み塔に顔を向けた。


「俺らが留守中、ばあや、ちゃんとイスー様のお世話、できるのかな。中央宮殿に行って帰るだけでも結構な時間がかかるよ」


 エオウの言葉を受けて曖昧に首を傾げる。

 中央宮殿に呼ばれた以上、「行けません」などと言えない。だからばあやには申し訳ないが、無理をしてもらうしかない。

 籠を降ろす。今日の市場行きは中止だ。手紙には「ウの刻迄」と書いてあったが、向こうでの滞在時間が読めない以上、なるべく早く行ったほうがいい。俺は早足で塔に向かった。




 引き戸の前に立つと、部屋の中から「どうぞ」という姫の声が聞こえた。

 冷気に満ちた部屋に入る。姫は寝台の上で上体を起こしており、俺と目が合うと微笑んだ。

 傍らに読みかけらしい本が伏せてある。

 自力で寝台から降りて長櫃ながびつの所まで歩き、本を取ることができたなんて。


「失礼いたしました。読書中でしたか」

「うん。今日はお粥をたくさん食べたから体の調子がいいの」


 粥が姫の力になったのかもしれないという喜びが湧きあがった後、たった三口を「たくさん」と言うことへの悲しみが広がる。

 悲しみを踏みつけ、喜びの言葉を舌に乗せる。


「おお、よかった。お元気そうで嬉しいです。ところで先程……」


 手紙を見せようと近寄った時、本が目に入った。

 装丁ルリユールせず仮綴じ状態なのが姫らしい。相当読み込まれているのか、紙はうっすらと変色し、端が歪んでいる。

 それは、ウィンジョウ語で書かれた商売の本らしかった。


 かつて姫には、ウィンジョウ人の血を引く、国一番の商人の許嫁がいた。

 黒く細いきりが胸に刺さる。


「ああ、これね。ぼろぼろだけど、お気に入りなの。こういう本よ」


 俺の視線に気づいたのか、姫は本を手に取って表紙を見せてくれた。

 俺に向かって微笑み、本に視線を移し、目を伏せる。


「私ね、まだケンと出会う前の小さな子供のころ、一つの夢があったの」


 水色の瞳がどこか遠くを見つめている。


「この国を豊かにする夢。王族や中央宮殿しか富を享受できない今の状態を変えて、国民の誰もが食べるのに困らない国にする、という夢」


 てっきりウィー様の話が出てくるかと思っていたのに、そうではなかった。

 壮大な夢。姫の目を見て、今も昔も俗な自分が恥ずかしくなる。

 俺が「今日一日を生き伸びること」しか考えていなかった子供の頃、姫はこの国の未来を考えていたのだ。


「その夢のために、豊かなウィンジョウ国の商売を学ぼう、と思われたのですか。流石ですね」

「ありがとう。まあ結局、王女にはなんの力もなかったから、何もできなかったのだけれども」


 白い額に水色の髪が掛かる。


「そう。なんの力もなかった」


 色を失った唇を噛む。


「自分の城を持ってからは、様々なことをしてみたわ。しきたりを変えたりして、それなりに平和な城を作り上げられたと思う。でも、できたのはそこまで。国は変わらず、こんな状態になってしまった。それどころか」


 声が徐々に低くなる。


「あの日、心の中に芽吹いた、一番大切なともしびの花を咲かせることすら許されなかった。胸に氷の花が咲いた今でも、それはずっと……」


 姫の言葉は途中から呟きのようになり、よく聞き取れなかった。

 そして急に言葉を切ったかと思うと俺の顔を真正面から見据え、「にゃああ!」みたいな絶叫を上げて掛布の中に潜ってしまった。

 何年も見ていなかった姫の威勢のいい姿に、驚いて心臓が喉元にぶつかるほど飛び跳ねる。


 話の最後の方の意味は何か、急な叫びは何か、そしてどう言葉を掛けるのが正解なのか、見当もつかない。

 しかしどこか痛くて叫んだわけではないようだ。だから取り敢えずこの部屋に来た要件を伝えなければと、掛布の上から姫に触れた。


 姫はびくりと震え、ゆっくりと顔を出した。

 頬が微かに染まって見えるのは、光の加減だろうか。


「申し訳ないです。お話の最後の方が聞き取れなかったのですが、あれは」

「いいのいいのきにしないでちょうだいわすれてちょうだい。そ、それより何か用があったのではないの」


 俺では理解できないような詩の一節でも詠んでいたのだろうか。なんにせよ「忘れろ」と言われてしまえば、これ以上訊くわけにもいかない。俺は手紙を見せ、中央宮殿へ行くことを伝えた。




 手紙を読んだ姫は眉をひそめ、軽く息を吐いた。


「門番への挨拶のしかたより、ケンを呼んだ理由を書く方が大事でしょうに。何がしたいのかしら」


 それは俺もわからない。二人で腕を組み、首を傾げたが、勿論結論など出るわけがない。


「今からエオウと行って参ります。先ほどばあやに話はしておきました。今日は腰の具合が良いそうなので大丈夫だとは思いますが、なるべく早く戻るようにします」

「わかりました。よろしくお願いします。ああ、ちゃんとエオウに乗っていくのよ」

「え、でも」

「身分が、とか言わないでね。時間のことを考えても、その方が効率いいわ」


 白い手が掛布を強く握っている。姫の瞳が俺をまっすぐに捉えた。


「行ってらっしゃい。気をつけてね」




 エオウに乗って中央宮殿へ向かう。

 町の人たちから「奴隷のくせに馬に乗るなんて」という視線を送られたらどうしよう、なんて思っていたが、そもそも俺に視線を向ける人は誰もいなかった。


 市場のそばを通り抜け、住宅地の大通りを歩く。どこかから騒ぎのような声が聞こえたので首を巡らせてみたら、路地を入ってすぐのところにある、ちょっとした広場のような所に人が集まっていた。

 人々の中心には台に乗った男が一人。よく通る声で王室の批判らしきものを話している。周囲の人々はそれを聞いて声を上げたり、拳を突き上げたりしていた。


 ああ、このあたりでもやっているんだ。

 数年前までは考えられなかったような光景だが、今ではこういった集会は珍しいものではない。


 歩き進める。人々の声が遠くなる。

 彼らの声は、想いは、国王や城で肝試し遊びをしている王太子たちに届くことがあるのだろうか、と思う。

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