10.ただ一人の

 いつの間にか中央宮殿の家臣による話は終わっていたらしい。気がついたら、ざわめきと人の流れに押されるように広場を後にしていた。

 振り返る。上級家臣たちが中央宮殿の家臣たちに食って掛かっている様子が見えた。

 視界が大きな人影に遮られる。俺の横に並んだエオウだ。彼は頭を抱えて深くため息をついた。


「なあ、一体何が起きているの。なんでこの城を閉鎖しなくちゃいけないの。んで、なんでイスー様は王女様じゃなくなるの。やまいと関係あるみたいなこと言っていたけど、その病の詳しい話がなかったしさ」

「それは、多分……」

「『あとでまた説明がある』って言っていたけどさ、こんな状態で仕事の続きをしろって言われても無理に決まっているよ」


 「あとで説明がある」ということも含め、話を途中から聞けていなかった。彼の問いに答えられず、曖昧に首を傾げる。

 周囲を見回す。中央宮殿の家臣の目があるせいか、皆、重大な話をされた直後とは思えないほど静かで、その身のこなしは落ち着いているようにすら見える。

 だが困惑や怒りといった心の内は、くっきりと表情に浮かび上がっていた。


 エオウが立ち止まり、城を見上げた。


「イスー様の具合、大丈夫かな」


 俺も立ち止まり、見上げる。

 中央宮殿の家臣たちは、称号のことや城のことを姫にどう伝えたのだろう。

 そして姫は王命をどう受け止めたのだろう。


 悲しくて泣き喚いただろうか。理不尽だと怒っただろうか。声を荒らげ家臣に厳しい言葉を投げつけただろうか。


 きっと、そのどれもしなかっただろう。

 姫は型破りでお転婆でありながら、どうしようもなく気高い「王女」だからだ。

 



 二刻ふたとき後に改めて向かった広場は、遠くからでもわかるほどに荒れた様相を見せていた。

 近づくにつれ怒声や熱気が強く迫る。ある者は王室や中央宮殿の批判を声高に叫び、ある者は台上の上級家臣たちに大声で何かを訴えていた。

 家臣の一人が手に持った鐘を大きく振り鳴らした。


「黙れえい、話を聞けえい!」


 吹き荒れていた怒声が緩やかに引いていく。家臣の一人が自分の両頬をパンと叩いた後、声を上げた。


「先ほど中央宮殿側から聞いたことを伝える。話は三点。イスー様の病の説明、王命が下された理由、そして我々の今後についてだ」


 前置きの後に「氷華病」の説明があったが、それがどういったものであるかは、既にここにいる人の殆どが知っている。

 どこからともなく広がった病の情報は、この二刻の間に物凄い勢いで浸透していた。


 広場に集まった中の一人が手を上げた。


「氷華病がどういうもんかはわかりました。それよりその病は治るんですかい」


 その声に向かって家臣が答える。


「一応、治療法はあるそうだ」


 おおう、という安堵の声が広がる。家臣は俯き、拳を握った。


「だがイスー様に治療は施さない、というのが中央宮殿の方針だ」


 拳を開き、再び自らの両頬を叩く。


「理由は二つ。その方法が非常に困難だから。そしてもう一つ、これが王命が下された理由に繋がるんだが、その」


 顔を上げ、大きく息を吸う。


「国王陛下の血を受け継いでいないかもしれないイスー様は、王族と認められないため、治療する必要はない、との……」


 語尾が濁る。

 低く流れていたざわめきが、しん、と消える。

 やはり国王は姫を我が子ではない、とみなしたのだ。


 言葉に詰まった家臣の肩を別の家臣が叩く。彼は一つ咳ばらいをし、言葉を継いだ。


「先ほどの説明にもあったように、真実はわからない。だが、事実無根のよからぬ噂が一部で囁かれていたこともあり、このような判断が下されたそうだ。……ええと、では我々の今後についてだが、他の城で働きたい者は三日以内に私たちに伝えてくれ。希望に添えるよう、最大限の努力をする。ただ、中央宮殿は希望者が多いと思われるので、第二希望まで考えておくように」


 ざわめきが大きくなる中、具体的な働き口の話が進んでいく。俺はそれを他人事として聞いていた。

 隣にいた奴隷が俺の肩を叩き、声を掛けてきた。


「んなこと言ったって、どうせ俺らの希望なんか通るわきゃねえよなあ。奴隷だしよ。お前みたいに読み書きができる奴は別かもしんねえけどさ」


 顔を寄せ、唇を歪める。


「いいよなあお前は。ちょおっと男前だからってイスー様に贔屓されて、読み書きや武術を教えて貰ってよ。お前、どうせこの後は、弱ったイスー様を踏み台にして、中央宮殿で家臣様にでものし上がるんでしょうねえ」


 黄ばんだ歯をむき出して笑い、顔を逸らす。


 彼の言葉に言い返したいことは沢山ある。確かに俺は姫と行動を共にすることが多かったが、姫は城で働く人全てに気を配っていた。

 学ぶ機会は他の奴隷にも与えられていた。

 それに、俺は中央宮殿でのし上がることなど考えたこともない。


 だが、何も言わなかった。

 声を張り上げて反論したら、他の奴隷を巻き込んだ諍いに発展するかもしれない。奴隷間で諍いが起こったと姫が知ったら、きっと悲しむだろう。


 この城にこういう考えを持つ人がいたと知り、胸がじくじくと苦しくなる。今まで彼は、姫の何を見ていたのだろう。

 そして改めて自らの決意を反芻する。


 俺はこの城に留まる。

 それが「今まで通りの平和な生活を続ける」という意味にはならない、むしろ正反対の意味になるであろうこと位、理解している。中央宮殿の管理下に置かれるのならば、なおさらだ。

 それでも、呪いを掛けられ、国王父親に見放され、塔に閉じ込められる姫のもとを離れることなどできるわけがない。


 俺は無力な奴隷だ。

 だけど、己の持てる力の全てを使って姫を守り抜く。

 姫が少しでも心安らかに過ごせるように。

 病の苦痛が和らぐように。

 命のともしびが長くともるように。


 もしかしたら、それらの全てはウィー様が易々と叶えてくれるかもしれないが。

 そういえば、ウィー様との縁談はどうなるのだろうか。


 頭を振る。

 拳を握る。


 それでも俺は、この土で汚れた両手で姫を守る。

 なぜなら姫は俺にとって、誰よりも大切な、大切な、心の全てを捧げるほどに大切な。

 ただ一人の、俺の。

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