9.零れ落ちる

 早朝の庭は乳白色の霧に包まれ、昨日の出来事が全て嘘だったのではないかと思うくらいに清らかだ。

 城を見上げる。成年式という喜ばしい日に、病に罹ってしまった姫を思う。


 魔術師は、薬に必要な果実の入手が「非常に困難」だと言っていた。それはどういう意味で「非常に困難」なのだろう。

 とんでもなく高価なのか。それとも存在そのものが伝説みたいなもので、どこに実っているのかわからない、とか。

 案外、この庭の隅にひっそりと実っていたり、とか。


 頭を横に振る。

 そんなこと、あるわけがない。城のどこに何が生えているのかは、ほぼ把握している。

 そして俺にとってはこの城が世界の全てだ。だから城の庭に実っていなければ、俺には何もできない。

 俺は無力な「その他大勢の奴隷」だ。たまたま姫と同い年だったから、姫と話す機会を多く与えてもらえただけの、ただの奴隷だ。


 雑草を引き抜く。

 「雑草」と一括りにされ、ろくに名前を呼ばれることもないそれは、それでも生き抜こうと土の中に白く細い根を食い込ませ、俺の手の中で必死に抗う。




 霧が晴れ、空に太陽の光が満ちる。

 それと同時に、庭で働いている人たちの間に嫌なざわめきが広がっていく。

 ざわめきの行方を耳で追うと、庭師が声を張り上げながら走っていた。


「至急、広場に集合、広場に集合う!」

 

 庭で作業していた奴隷たちは、顔を見合わせ怪訝そうな表情を浮かべながら広場へ向かった。

 

 「姫が急速に回復した」「特効薬作りに必要な材料を皆で手分けして調達しよう」

 そういう前向きな内容の発表でもあるのかな、と考えながら、広場に向かう流れに合流する。

 それなのに、何故か胸の奥がどろどろとうごめき、脚に力が入らない。




 広場には城で働く者が集合していた。

 奴隷も上級家臣も一緒になって、広場の中央に設置された台を見上げている。これから何が起こるのか誰も知らないらしく、洗濯婦に何かを問われたらしい上級家臣が、困ったような顔をして首を横に振っていた。

 馬たちも人間に擬態した姿で集まっている。俺の目の前にエオウの大きな背中が立ち塞がった。

 前が見えないなあ、とモゾモゾ動いていたら、気配に気がついたのかエオウが振り返った。


「あ、ケン。俺がいたら前が見えないか」

「うん、まあ」

「じゃあ肩車しようか」

「やだよ、三歳児に肩車してもらうなんて」


 エオウは三歳だが馬なので、十五歳の俺より外見も身体的にも少し年上の感覚だ。そんなことはわかった上で言ってみる。

 こんなくだらない会話をしても、胸のどろどろと周囲の重い空気は掃えない。

 それは彼も同じなのだろう。口元を緩めて目を合わせ、すっと真顔になり、俺に背を向けた。


 その直後、ざわめきが土に吸い込まれるように引いていった。

 視界を確保しようと無理やりエオウの真横に移動する。丁度台の上に三人の男が登っている所だった。

 緑色の略礼服を着た中央宮殿の中級家臣。左右に立っているのは昨日会った人たちだ。


 中央に立っている家臣が手に持った紙を広げ、高く掲げる。その紙に金色の縁飾りが施されているのを認めると、俺らは一斉に膝をつき、額を地面に擦りつけた。

 中央宮殿の家臣のものであろう強張った声が、頭上から降ってくる。


「王命である」


 金色の縁飾りが施された紙は、国王が直接何かを命令する際に用いるものだ。知識として知ってはいたが、見るのは初めてだ。

 鳩尾みぞおちが鈍く痛む。僅かな間を置いた後、再び声が降ってきた。


「本日を以てイスーの『王女』の称号を剥奪。隔離塔にて生涯軟禁とする」

「それに伴い、本日よりひと月ののちに所有する城を閉鎖し、中央宮殿の管理下に置くものとする」




 しん、と静まり返る。

 場違いなほど穏やかに吹く風が髪を揺らす。


 今、なんと言った。

 姫が「王女」ではなくなる。

 どこかで軟禁される。

 城が、なくなる。

 なぜ。

 なぜ。


 その時、風を断ち切るような声が広場に響いた。


「おそれいります、それは一体どういった理由でそんな」


 顔を少し上げ、声のする方を見る。上級家臣が立ち上がって声を張り上げていた。

 紙を持った中級家臣が見下ろすように睨む。


「この城の人間は礼儀がなっていない、という噂は本当なんですねえ」


 上級家臣が険しい顔で口をつぐむ。右側に立っている中級家臣が話を引き取った。


「これより先は中央宮殿からの伝達である」


 その言葉を合図に体を起こし、のろのろと片膝を立てる。


 何が起きているのだろう。俺は今、何をしているのだろう。

 どうしてこんなに胸の鼓動が激しくなっているのだろう。どうして手の先が冷たくなっているのだろう。

 どうして。


「城閉鎖までの間に、己の身の振り方を考えておくように。城は中央宮殿の管理下に置かれるが、管理自体は貴様らの中の一部の者に任せる。それ以外の者にはいとまを出すが、寛大なる国王陛下の御慈悲により、中央宮殿や他の城へ移る道も――」


 家臣の言葉が頭の上を滑る。息が苦しくなる。


 昨日はあんなに華やかな成年式を執り行っていたのに。

 姫が病に苦しんでいる時だというのに。

 なんでこんなことになっているんだ。称号剥奪ってなんだ。生涯軟禁ってなんだ。どうして姫がそんな目に遭わなければならないんだ。

 姫は何も悪くないのに……。


 息が止まる。

 滔々とうとうと喋る家臣を睨む。


 どうしてこんなことになったのか。

 おそらく俺は、王命を聞いた時には既にわかっていた。昨日の今日だ。おそらく理由は一つだろう。

 姫は何も悪くない。そう。「姫は」悪くない。

 そして国王はとんでもない勘違いをしている可能性がある。真偽は確かめようがないというのに。


 国王は、氷華病ひょうかびょうに罹った姫をと見なしたのだ。


 穏やかな光に満ちた城での日々が、さらさらと奈落に向かって零れ落ちていく。


 そして気づく。昨日、姫が流した涙の意味に。

 もしかしたら姫は、国王がこういう決断を下すことを予見していたのではないか。

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