7.歪んだ弓矢

 魔術師の発した「氷華病ひょうかびょう」という言葉に、家臣たちの顔色が変わる。ウィー様は僅かに眉根を寄せ、顎に手を添えて何かを考えるような仕草をした。


 姫から発する冷気とは別の、重く冷たい空気が漂う。

 ウィー様が顔を上げ、魔術師に話しかけた。


「三番町の魔術師。それは『確定』と言い切ってよいものなのかね」

「はい。ここまで症状が出ておりますので、誤診はありえません」

「ふむ」


 魔術師の話が終わると、家臣たちが何かを囁き合い、部屋を出ていこうとする。ウィー様は首を少し傾げ、戸に向かう家臣たちに視線を移した。


「私は薬や魔術道具の卸も行っているから、氷華病についても多少の知識がある。確か、先ほどあなたも言っていたけれど、ろくに知識もない状態で軽率な行動を取ると、取り返しがつかない過ちを犯すおそれがあるのだよね」


 持って回った言い方ではあるが、明らかに家臣たちに向けられた言葉だ。その言葉に埋め込まれた攻撃性にウィー様の身を案じてしまう。だが家臣たちは何かを言い返すことはせず、立ち止まってウィー様に険しい視線を向けるだけだった。


 俺は「氷華病」という病がどういうものなのか知らない。ウィー様たちのやり取りの意味も、この部屋に漂う重い空気の正体もわからない。

 それなのに、胸が鈍く痛むほどに鼓動が強くなる。

 姫を見る。まだ意識が完全に戻っていないらしく、焦点の定まらない目で天井を眺めている。

 姫の顔が動き、俺と目が合った。姫は口元をほころばせ、薄氷のように脆く不安定な笑みを浮かべる。

 俺を見る姫の瞳は、髪と同様に色褪せていた。


「とはいえ。魔術師、私も所詮素人だからね、それほど詳しくはないのだよ。だから『氷華病』がどのような病なのか教えておくれ」


 口調はゆったりとしていて優しい。けれども魔術師は、ウィー様の言葉を聞いてびくりと肩を震わせた。


「……は、い。ただ、ご説明申し上げます前に、今一度お伝えさせてください。おきさき様がこの世にいらっしゃらない今、どうか」


 家臣の一人が舌打ちをする。


「いいからおとなしく説明だけしろ」


 不機嫌そうな家臣の言葉を受け、魔術師は大きく息を吐くと姫に目を向けた。


「氷華病は瘴気ミアスマが原因で罹るものではなく、呪いによって引き起こされるものです。呪いが掛けられるのは患者が胎児の頃。この時呪いによって、患者の胸の中に『氷の種』が生まれます。種は患者の成長と共に大きくなり、概ね十五歳前後の時、『開花』します。そのため亡くなった患者の胸を開くと、この位の大きさの氷でできた水色の花が咲いています」


 そう言いながら自らの小さな拳を突き出す。俺は自分の胸に手を当て、氷の花が胸に咲いている状態を想像した。

 それだけで体の内側から寒くなり、指先が冷たくなる気がする。

 そんなものが、姫の体に。


「開花した氷の花は強い氷気ひょうきを周囲に吐き出すと同時に、患者が持つ火の気を奪っていきます。それによって体毛や瞳が持っている色素は少しずつ水色に変化し、運動機能も低下していきます。室温を高く保ったり火の気の強い赤肉や北の食物を摂取することで症状を和らげることはできますが、多くの場合、開花から数年、体力のある人でも六~七年で命の火が消えます。ただし」

「回りくどいぞ。詳しく聞きたいのは病の症状ではないことくらい、わかっているだろうが」


 魔術師の言葉は家臣の強い声で遮られた。反射的に家臣を睨んでしまい、それを胡麻化すように俯く。

 拳を握る。


 呪い、って、なんだ。

 氷の花って、なんだ。

 命の火が、命の火が、なんだ。

 それではまるで、「姫の命の火が、あと数年で消えてしまう」みたいではないか。

 そんなことって。そんなわけは。それに。それに。


 ――六~七年で命の火が消えます。ただし


 ただし、なんなのだ。


 魔術師は姫と家臣に交互に顔を向けた後、言葉を詰まらせた。


「も、申し訳、ないことでございます。その、一般的な原因、といいますか、何故そんなことをするのか、といいますか、氷華病は」


 姫がゆっくりと体を起こす。

 視線が姫に集まる。

 魔術師が話を続ける。


「不貞を働いた末に身籠った妻に対し、夫が復讐として『呪い屋』と共謀して呪いを掛けることによって罹ります。ただし今回の場合、国王陛下のお立場や状況、そ、そそそれにえっと、お人柄から見て、陛下がお后様に、ということはあり得ません。ですから考えられることは、その」


 家臣の一人が魔術師の言葉を遮り、声を上げる。


「お后様が姦通を犯し、その相手の男が呪いを掛けたんだな」


 よく通る声が、冷気の満ちた部屋に響き渡る。


 姫は目を見開いて魔術師を見ていた。その姫に向ける家臣の視線が鋭くなる。ウィー様はすっと片手を前に出し、家臣の言葉を押さえた。


「魔術師。私の質問に答える形で説明したほうがやりやすいかな。まず、そもそもだが、何故不貞を働いた本人にではなく、その子供に呪いを掛けるのだろう」

「その女性にとっては、自分自身よりも子供に呪いが掛けられた方が苦しいだろう、という考えからだと言われています」

「ふむ。母親というのはそういうものなのかね。それにしても、子供に罪はないというのに惨酷な呪いだ」


 ちらり、と家臣たちに目を向ける。


「しかし、どうなのだろう。その呪いというのは、本当にその女性と通じていた男性でないと掛けられないものなのかね。例えば勝手に恋慕している相手を呪うことはできるのかな」

「一応、不可能ではないです。何か女性の持ち物一つと、夫婦の契りを交わしている相手へ向けるものと同等の恋慕や恨みの情が必要にはなりますが」

「つまり、お后様のことを勝手に強く慕っていた男が、逆恨みのような形で呪いを掛けることも可能だ、と」


 頷く魔術師を見て、家臣の誰かが「えっそうなんだ」と呟いた。

 そこで気づく。おそらくウィー様は、最初からこの話を家臣に聞かせたかったのだろう。

 しかし、もしそうならなおさら呪いを掛ける理由がわからない。

 だって、愛する人が苦しんだら自分も苦しいじゃないか。


「ほう。成程ね。ということは、十数年前に病で亡くなられたお后様の身の上に何かあったのか、を下手に探ったら、場合によっては不敬にあたるかもしれないわけだ。それならば今は、イスー様の病を良くする方法を」

「いやいやいやいや、ちょっと待て。何故話を終わらせようとしているんだ。一番大事な話が残っているだろう」


 家臣の一人が大股でこちらに向かってくる。

 何を言っているのだ。話は終わってなんかいない。これから病を良くする話をするのであれば、むしろ今から話が始まるんじゃないか。

 家臣が腕を組み、魔術師を見下ろした。魔術師は後ずさり、片手が何かを求めるように宙を掻いている。その手に触れると、魔術師はほっと息をついて俺の手を握り、姿勢を正した。


「おい魔術師。長々と話していた中で、意図的に避けていた話があるだろう。だから私が訊いてやる。今までの説明だと、男側は夫でも不義の相手でも片恋をしている奴でもいいらしいな。ということは、呪いに必要なのは血筋などではなく想いである、と」

「えっと、あの、あとは持ち物と、髪の毛と」

「そういう細かいことを訊いているんじゃない。私が訊きたいのは」


 魔術師が俺の手を強く握る。家臣は声を落とした。


「胎児がであっても呪いは効くんだな」


 背後で姫が小さな声を上げる。

 魔術師は俯いた。


「はい」

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