4.花園

 俺が遠くから見ていてもわかるような違和感があったにもかかわらず、成年式は終了したようだった。王族たちが集まる晩餐会も予定通り執り行われるらしい。


 ということは、気のせいだったのか。あるいはドレス用の靴が足に合わなくてふらついていただけとか。


 それならいいが、実際のところ何が起きていたのかは確かめようがない。もやもやとした気分を抱えながら城を見上げる。

 そんなことしかできない自分が、本当に嫌だ。

 



 式典の後、庭仕事係総出で広場に撒かれたオウトウバラの片づけをした。

 参加者に踏みつぶされた花と傷のない花を別々の袋に回収する。通常、式典や祭りの際に撒かれた花は全て処分するのだが、今回は傷のない花をウィー様の店が買い取ってくれるらしい。


 花は工房で蒸留し、魔術師が作る薬の原料となる精油を抽出する。そして蒸留の過程で出来た芳香水は、肌荒れに効く水薬となるそうだ。

 一緒に作業していた庭師見習いが話しかけてきた。


「さすがウィー様だよなあ。こうすりゃ城は捨てるはずだった花で儲けられるし、ウィー様は花を安く手に入れられるしよう。でもなあ、広場に撒かれた花の残りで作った薬、なんて、あんま効かなそうじゃね」


 夕方までに花を片付けなければならないので、それほど時間に余裕はない。作業を進めながら振られた話題に答える。

 

「そうですねえ。そのあたりは『広場に撒かれた花の残り』という言い方ではなく『王女様のお祝いの席で使われた花』で作った精油、と言えば印象が変わるかもしれません」

「そっかあ。それいいなあ。ケン、あったまいいなあ」


 そこで庭師見習いは完全に手を止め、俺の耳元で囁いてきた。


「そうだ、ウィー様といえばよう、なあ、イスー様とウィー様って、今日も一緒に花園へはいんのかなあ」


 耳元で囁かれた声が、まっすぐ俺の頭に入り込む。

 花を拾う手が止まる。

 小さく笑い、花を袋に入れる。


「将来を約束されているお二人のことではありますが、俺が推測を口にするのは無礼というものでしょう」


 奴隷という立場上、曖昧な表現をしてみたが、内心、いくら子供とはいえ仮にも庭師の見習いなのだから、こういう話題は慎むべきだ、と思う。


 この国のたいていの城には花園がある。ここも例外ではない。鍛錬場の近くにある木立の中に、ひっそりと存在する。

 ただしその場所は公表していないし、城の関係者も立ち入りは勿論近寄ることも許されていない。

 立ち入ることを許されているのは、手入れをする庭師一人と姫、そして姫が恋い慕う人だけだ。

 要は花園というのは、恋をした姫が物思いに耽ったり、愛しい人と愛を語り合う場所なのだ。


 この話題をやめたいと思いつつも「やめて」とは言えず、どうしたものかと思っていたら、丁度よく庭師が俺たちを見つけ、庭師見習いに注意をしてくれた。


 さあ、急がなきゃ、急がなきゃ、と頭の中で唱えながら花を拾い続ける。




 俺たちの作業が終盤に差し掛かった頃。

 潰れた花の入った袋を引きずって歩いていると、使用人出入口のあたりが騒がしいのに気づいた。

 中から険しい声が聞こえる。なんだろうと思っていたら、一人の年老いた下僕が血相を変えて飛び出してきた。


「おう、ケ、ケン」


 息を切らした下僕と目が合う。彼は震える指で厩舎のある方向を指さした。


わしよりお前の方が脚が速いだろう。儂の代わりに、い、急いでエオウを呼んできてくれ。鞍も忘れずにな、って、い、急いで、急いで」


 状況が全く掴めないが、彼の表情や口調から急ぎの用事であることはわかる。おそらく状況説明をしてもらう時間もないのだろう。

 庭師を目で探す。幸いすぐ近くにおり、「了承した」というように頷いたので、俺は全速力で厩舎に向かった。




 木造の厩舎に到着した。馬房ばぼうを覗くが中には一頭もいない。奥にある休憩所に向かうと、ドアの向こうから呑気な野太い笑い声が聞こえた。

 引き戸を開ける。そこでは人間に擬態した馬たちがカードゲームに興じていた。

 皆、大柄な人間よりもさらに一回り大きく、着脱しやすい簡素なチュニックを纏っているだけなので、馬であることは一目でわかる。

 小麦色の肌をした男が威勢の良い声を上げた。


「おっしゃあ、んじゃ次は俺のターン!」


 勢いよく手札を床に叩きつける。彼は俺と目が合うと軽く右手を上げた。


「やあケン、珍しいじゃないか厩舎こんなところへ来るなんて。どう――」

「エオウ! 鞍を持って急いで来てくれ、って!」

「ええ……」


 不満そうな声を上げかけたが、すぐに真顔になってカードを床に置き、立ち上がる。


「乗るのはお偉いさんかい」

「いや、誰かは聞いていない」

「んじゃ、いつもの鞍でいいか」


 俺の様子から何かを察したのか、詳しいことなどは訊かず、用具室から荷物を抱えて出てきた。

 一緒に下僕のもとへ向かう。エオウは荷物を抱えた状態で、あっという間に走り去っていった。


 俺も彼の背を追うように走る。

 鼓動が早くなる。

 得体の知れない黒いもやが、胸の中でゆっくりと渦巻く。




 使用人出入口の所では、下僕とばあやが俺たちを待っていた。

 エオウに少し遅れて到着する。ばあやはエオウに向かって細い叫び声を上げた。


「急いで三番町の魔術師を呼んでおくれ。お前一人で行けるよね」

「はい。三番町の魔術師ですね。彼女をここまで乗せてくればいいってことですか」

「そうよ」

「伝言とか、ありますかね」

「伝言」


 するとばあやと下僕は目を合わせ、困ったような表情を見せた。

 その間にもエオウは荷物を地面に置き、膝をつく。


「ちょっと、ばあやさんは目えつむってもらえませんか」


 彼女が目を閉じると、彼は着ていたチュニックを脱ぎ捨てた。


 四つん這いになり、ぶるん、と首を振る。

 肌表面に栗色の毛が浮き上がり、四肢が揺れるように伸びる。

 顎が大きく歪み、前に突き出す。

 息を三つつく間に、彼は本来の姿である馬に戻った。


 下僕がばあやの肩を叩く。彼女は俯いて拳を握りしめ、絞り出すような声を上げた。


「魔術師に伝えてちょうだい。誰にも何も知らせずに、急いでここへ来るように、と。回復魔術の道具を一通り持ってくるように、と」


 顔を上げ、声を震わせる。


「イスー様が、イスー様が急に倒れたまま、意識を手放されているから、と……!」

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