2.凍りゆく太陽【十五歳】

3.成年式

 朝のひんやりとした空気の中、庭仕事係の奴隷が広場の中央に集まった。

 庭師の合図とともに作業を開始する。体の前に括りつけている大きな籠から、摘んだばかりのオウトウバラの花を掴み取り、後ずさりをするように移動しながら撒いていく。


 卵色をした大きな花が宙を舞い、露を含んだ石畳の上に落ちる。この花特有の、きりりとした清潔感のある香りが広場を埋め尽くしてゆく。

 作業は丁寧かつ迅速に。

 ウの刻に始まる、姫の成年式に間に合うよう終わらせなければ。


 今日は姫の十五歳の誕生日。

 この日をもって姫は正式に「大人」と認められ、来年に予定されている結婚に向けて本格的に動き出す。




 時間が押してしまった。既に気の早い式典参加者が城に到着しはじめている。

 俺たちは急いで作業を終わらせ、参加者の目につかないよう全速力で広場を後にした。


 今日は「アガラッツ王国第三王女」の成年式、ということで、国王をはじめとする王族や貴族、異国の偉い人も大勢集まるのだという。

 国王が住む中央宮殿と違い、この城はこういった大掛かりな式典は滅多に執り行われないので、どうしても作業がもたついてしまう。


 物置で片づけをしていると、広場のチェックを終えた庭師が戻ってきた。


「よし、ご苦労だった。しかし間一髪だったよ、もう参加者が続々と広場に集まってきている」


 ほっとした空気が物置に広がる。続いて庭師はグラスを掴むような仕草をしてニイッと笑った。


「ほんじゃ、皆、食堂に行くぜ。今日はお祝いだからな、王様から賜った果実酒があるから、お前らもちょいと飲みに来い」


 庭師が歩き出そうとしたところを、年配の奴隷が呼び止めた。


「ちょ、ちょっとお待ちください。その酒は庭師さんたちのものでしょう。俺ら奴隷に王様が」

「ああ、そりゃあ勿論、王様が『奴隷に酒を』、なんて仰るはずがねえ」


 庭師の言葉に年配の奴隷が戸惑うような表情を見せる。しかし俺は庭師の言葉の意味がわかり、つい「ああ」と声を出した。

 庭師が俺を見て頷く。


「やっぱしケンは分かったな。そうさ、我らがイスー様が、なんかうまいことを王様に言ってくださったんだよ」


 わっと歓声が上がる。


 その後、皆で食堂に向かった。普段めったに飲めない果実酒にありつけるからと、どの顔も楽しそうだ。

 俺も適当に会話を合わせてはいたが、心の中がずっと、小さな針でつつかれるように痛んでいた。


 姫が、俺ら奴隷のことを気にかけてくれて、国王に話をしてくれた。

 それは嬉しい。凄く嬉しい。

 別に酒が飲みたいから嬉しいのではない。姫が奴隷俺たちを気にかけてくれた、というのが嬉しい。

 だが。

 姫のそういった言葉を、国王はどう受け止めるだろう。

 そのようなことを言う姫を、どう思うだろう。




 食堂の長テーブルには、巨大なボウルになみなみと注がれた果実酒が幾つも用意されていた。

 城で働く人々の中で、式典に直接関わらない人が身分関係なく密集している。その様子はさながら麻袋に詰め込まれた球根のようだ。

 食堂の中には、労働後の人間が発する頭皮と腋の臭いが充満していた。


 臭いとお喋りの声に圧倒されていると、仲間の一人が声を掛けてきた。


「そういや、ケンは今日が十五の誕生日だろ。ようやく酒が飲めるな」

「はい」


 とはいえ、物心がついた頃には路上で生活していたので、正確な誕生日はわからない。

 そんな俺の誕生日を「今日」と決めてくれたのは、八歳の姫だった。

 初めて姫に声を掛けられた時のことを思い出す。


 ――名前はケン、というのね。はじめまして。わたしがこの城の主のイスーよ。

 ――奴隷売りが私と同じ歳だって言っていたわ。誕生日はいつなの。

 ――ああ、なるほど。わからないのね。それなら、私と同じ日にしましょ。お揃いよ。どうかしら。

 ――ねえ、顔を上げて。私、ここを、みんなが顔を上げて前を向いて暮らせるような城にしたいの。


 どうして俺を自分と同じ誕生日にしたのかはわからない。おそらく深い理由はないのだろう。

 それでもこの七年前のやりとりは、昨日のことのように覚えている。


 そんな思い出に浸っていると、背後からシャツを引っ張られた。

 振り返る。庭師見習の少年が俺のシャツを掴み、瞳を輝かせて立っていた。


「なあ、ケン」


 いきなり耳元で囁かれ、首筋がぞわっとする。庭師見習いは構わず言葉を続けた。


「お前よう、成年式の様子、見たくねえか。今は城ん中で式典やってんけどよう、そのうちイスー様が広場に出てくんだろ。俺、警備の奴に見つかんないで広場の様子を見られる場所、知ってんだあ」


 「見たくねえか」と言っていたのに、俺の言葉を待たずにシャツを掴んだまま歩き出す。


「え、あの、それって立ち入り禁止区域とかではないですよね」

ちげえよう。ほら、庭の隅っこに変な塔があんだろ。あれのてっぺんから広場の様子が見られるんだってさ。ケン、イスー様の晴れ姿、見たいだろ」


 食堂を出る。彼は振り返って微笑んだ。


「だってよ、ケン、イスー様のことがめちゃめちゃ好きじゃん」


 その言葉を聞いて反射的に頬が熱を持ち、生え際に汗が滲む。そんな自分に起きた変化を無視して、なるべく平坦な口調で答えた。


「はい、好きです。城にいる人は皆、イスー様が好きですよね」

「まあ、そうだな。……え、あれ、そういやそうだよな。でもさ、なんか、塔の話を聞いた時、おれ、ぱっと『あっ、これはケンに教えなきゃ』って思ったんだよ。イスー様が好きなのなんてみんな同じなのに。なんでだろ。ううん」

 



 庭師見習いが「変な塔」と呼んでいた塔は、木々の間に隠れるようにしてひっそりと建っている。

 形自体はありきたりな円柱形だが、確かに「変な塔」としか言いようがない。

 昔は牢屋だったとか、敵の動きを見張るためのものだったとか色々言われているが、あまりに古すぎて誰も本来の用途が分からないからだ。


 雑に積み上げられた階段を踏みしめ、ぐるぐると登っていく。やがて一番上の部屋に到着すると、既に十人くらいの人が広場の見える窓のあたりに集まっていた。

 窓から外を見ていた一人が呟く。


「ここじゃあ遠過ぎるや。折角イスー様が広場にお出ましになったのに」


 窓から少し離れたところから外を窺う。

 確かにここから広場は見える。だが距離がある上に正面が見えるわけではないので、「人がいっぱいいる真ん中に姫がいる」ということしかわからない。

 それに真ん中にいる人が姫だとわかったのも、成人王族の印である紫色のドレスを着ているから、というだけのことで、姫の顔が見えるわけではない。


 それでもどこか浮かれた気分で成年式の様子を眺めていると、やがて小さな違和感を覚えた。


 姫のことを少し遠巻きにするような形で、大勢の人が囲んでいる。姫はゆっくりと歩きながら周囲の人に手を振ったりしている。だが、遠くて分かりづらいが、歩き方がふらついているように見えたのだ。


 姫は普段の鍛錬のおかげか体の芯が強いので、軸のぶれた歩き方をすることなどまずない。それなのに、これだけ遠くからでもわかるくらいふらつくなど余程のことだ。


 一体、どうしたのだろう。

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