第13話 Case.1974

「突っ込んだ話、していいか?」

「いいよ」


すっかりと陽が落ちた街の中を、二人は歩いていた。

双葉の手にはスマホ。その中で、レンズの向こう側で、クオリアは黙って流れゆく景色を見送っている。


いつの間にか、二人の距離は近づいていた。

それまではさも他人であるかのような距離感だったのが、今は並んで歩いてると形容しておかしくない程の距離。


車道側を歩くメグルは空に光る星を眺めて、両腕を後頭部に回した。


「どうしてお前は――双葉は、和葉みたいにしているんだ?」

「今更?」

「今じゃなきゃ、逆に聞けねぇよ」

「……そう。うん。……そだね」


声のトーンが一つ上がる。

それは、かつてよく聞いていた彼女独自のもの。


釘宮和葉の"ふり"をしていない、釘宮双葉本人が持つ、明朗快活で明るい声。


「全部メグルのせいだ――なんて言ったら、怒る?」

「オレの?」

「……そだよ。全部、キミのせい」


双葉は立ち止まって、足元に転がっていた小石を蹴飛ばした。

無音の道転がる石の音が響き渡る。

制止した石ころが示したのは、田舎ならではの無人駅。


寂れていて、映画の撮影にも使われたことがあるくらいに独特の趣があるそこは、少なくとも二人が子供の頃からずっと無人駅。


――そう、あの時もそうだった。


「行こ」

「…………」


メグルは答えなかった。

その誘いの意味を理解できない程、彼もまた子どもではない。


しかし、ここで背を向けて立ち去る選択肢などない。

メグルはまだ、明確な答えを聞いていない。

いや、答えは聞いた。

ただ、その内情をはっきりと理解できていないだけ。


だから、ここで付いていき、そしてそれを聞き出す。

これ以外に割くリソースは、彼の脳にはない。


「乗車券買って入れよ」

「いいじゃん。どうせ乗らないんだし」


駅のホームにも人影はなかった。

この駅は立地が極めて悪く、積極的に利用する客が少ないことで有名だ。


どれだけ混雑していても三人が関の山。

住宅街から少し外れたところにある為か、ここで降りるより一駅先の主要駅で降りた方が良いと考える人が多い。


メグルは気後れしながらも、ずんずんとホームを進んでいく双葉を追った。

少しの背徳感と、それを上回る焦燥。


――全部、キミのせい。


先ほど、双葉が言った言葉が脳内でリフレインする。

明るくクラスの人気者だった双葉。


"あの日"から、どれくらいしてからだろう。

彼女はコンタクトを止めて眼鏡をかけ始め、口数少なく、いつも読書をするようになった。それは、まるで彼女の姉――"死んだはずの"釘宮和葉の生き写しのようだと、誰もが理解した。


そして、孤立していった。

誰も、彼女に真相訪ねることをしなかった。


「……どうしてもね、入らなかったの」

「え?」

「コンタクト。……朝、目が覚めて。誰も居ない、和葉のベッドを見つめてさ。涙が止まらなくて、でも学校始まっちゃうって。……どうしてもコンタクトがだめで、その日だけ……眼鏡をしていった。これはもう違うけど、あの眼鏡、和葉とおそろいだった」

「――っ」


フラッシュバックするように、その日の光景がメグルの脳内を駆け巡った。

夏休みが明けて、一ヶ月くらいしてからだろうか。


和葉のいない生活に慣れていたわけではない。

それでも、はっきりと理解できていた頃。


『――和葉』


遅刻寸前の時間にやってきたそいつは、まるであの子の生き写しのようで……でも、それは当然で。だって彼女は、双子の妹だ。あの子と同じ遺伝子を持つ、同じパーツで作られた人間だ。


「あの日、めぐるがあたしのことを"和葉"って言った。あたしさ、思ったんだ。あたしがあの子の格好をして、あの子と同じような考えを持って、そうして暮らしていけば……誰も、あの子のことを忘れない。あの子は死なない。ずっと一緒にいられる。……そんな風に」

「和葉と双葉は違うよ」

「でも間違えた」

「一瞬、そう思っただけだ。すぐに訂正、したろ」

「…………」


双葉は何も答えなかった。

ただ笑って、外していた眼鏡を付ける。


「あの日、どうして和葉がここに居たか分かる?」

「……知らねぇよ。あいつ、図書館に戻るって言ってたし」

「めぐるの誕生日が近かったから」


メグルはその言葉を言われてはっとした。

双葉は優しく笑って、「でも、だからといってメグルのせいじゃない」と言う。


「……和葉、どうして線路に落ちちゃったんだろうね」

「監視カメラの映像はどうだったんだ?」

「さあ? お父さんは、何も教えてくれなかった」


ホームの端に立って、黄色い線の上を手を広げて歩く双葉。

メグルは視線を逸らして、「危ないぞ」と、蚊の鳴くような声で言った。


「どうだった?」

「何が」

「めぐるじゃないよ。……クオリアちゃん」

『どう――とは、どのような意味でしょうか』


無人駅のホームに響くクオリアの声はどこか違和感があった。

双葉はスマホを取り出して、その奥で無表情に立ち尽くすクオリアを見つめる。


「外の世界。一緒に歩いて、どうだった? 外に出られた気がした? ……人間になれそうだった?」

『分かりません。ただ、クオリアは新しい情報をたくさんインプットできました。クオリアの成長の果てが"人間になること"であるのなら、本日の"経験"は大変貴重で、重要なものとなったように感じます』

「そう。……だよね」

「――双葉」

「うん?」

「だから、……危ない。そこに立つな」


双葉からその問に対する答えはなかった。

彼女はただ無言で笑って、空いた手で眼鏡のフレームに触れる。


「クオリアちゃんはすごいよね」


双葉は膝を曲げて屈むと、スマホを床に置いた。両膝に手をついて、かつてないほどに優しく微笑んで、首をかしげる。

指先でモニタに触れると、通話状態にあるアプリは上下に詳細画面を写した。


「あたしたち人間よりもずっと賢くて、たぶんそれって、……たぶんじゃないか。あんなに頭が良かった和葉よりももっとずっと優秀

「当たり前だ。クオリアは計算――」

「――でも、それでも、まだ"違う"」


立ち上がった双葉の顔に、メグルは言葉を失った。

そこには、先ほどまであった笑顔はない。


いつも以上に無機質で、極めて"和葉に努めた"表情。


「クオリアちゃんは人間であることって、どういうことか分かる?」

『いいえ。クオリアには分かりません』

「そう。……わたしは、たぶん"もしかしたら"って思ってた。もし、クオリアちゃんが"そうなれる"なら……あ」

「――あたしもそうなれる? 馬鹿らしい」

「……うん。あたしはお馬鹿さん。釘宮双葉は、釘宮和葉にはなれない」


遠くから、不吉な音が聴こえてきた。

金属の擦れる音。

メグルの背筋が震える。

それは、何時の日か――和葉の死を聞かされた時と、似た感覚


「クオリアちゃんは何時かなれるのかな? わかんないけど、なれたらいいなって……わたしは思ってる。――たぶん、無理だろうけどね」

『双葉さん』

「これが人間だよ。その行動原理は、――到底、計算できない」


双葉は両手を広げて、そのまま後ろに向かって飛んだ。

ブレーキをかけながら迫る電車が近くにある。


――なれないからではない。

自分が変わってあげられたななんてそんな献身さなどもってのほか。

特に理由なんてない。


だらだらと続けてきた、そのお遊びの終着点がただ、ここだっただけ。

双葉の気持ちは晴れやかなものでもなく、未練もあれば後悔もあり……最終的に、考えることを放棄した。


「え……」


顔をコンクリートに打ち付ける感触がして、気付けば背後に電車が止まっていた。

開いた電車の扉から、慌てて運転手が顔を表す。

駅のホームには、双葉一人だけが居て。

全てを見ていたのは、床に置かれたスマホのカメラ。


「あ、れ……」


双葉がその惨状を理解するには、もう少し時間が必要だった。


***


「――ええ。名高輪は死亡。交通事故……というか、まあ、自殺に近いものだったみたいです。……はい。え? 彼の作ったAIですか? いえ、僕は正直その辺り疎くて、変化とかはちょっと――え? それ、どういう……あ、……ちっ。切れた」


男は通話の途切れたスマホの画面を数秒見つめ、息をつく。

それから胸ポケットから煙草を取り出して咥えた。


「……また、"次の世界で"か。なんのこっちゃ」


ゆらゆらとした紫煙が、教室の窓から零れていく。

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