第12話 和葉と双葉
「あ――ごめん」
「どした?」
図書館からの帰り道、幼馴染の子はそんな風に声を上げて立ち止まった。普段は冷静で、感情の起伏の乏しい彼女にしては珍しい、間の抜けた声だった。
メグルは立ち止まり、振り返って聞いてみる。
「あ、うん。そう言えば、借りようとしてた本があったなって」
「ああ……なら、一緒に戻るか?」
「ううん。一人で行ってくるから、メグルは先に戻ってて」
「別にオレは――」
「いいから。……はいこれ。」
渡されたのは、喫茶店を出る前に彼女の父から渡された小銭。
お茶でもして来いと、そう言われてのものだった。
「おい」
「あの子、たぶん待ってるから――一緒にアイスでも食べておいで」
「待てって――」
メグルの制止など聞かず、少女は足早に図書館へと戻っていく。
その背を見送り、メグルは手渡された小銭を鳴らす。
「……うるさ」
蝉の声が、やけに印象に残っていた。
***
「おい」
「んー?」
喫茶店に戻る、冷房のガンガン効いた室内で少女はアイスバーを加えてだらけていた。メグルはさっ、と手に持っていたビニル袋を後ろに隠す。
「なに」
「いや、別に……」
そっぽを向いて、頬をかく。
太ももの後ろに張り付いたビニル袋が冷たかった。
「どしたのさ、めぐる」
「…………」
少女は立ち上がり、近づいて、覗き込むようにメグルの顔を見つめた。
見知った顔がすぐ近くにある。
それは、メグルが大好きな顔をしている。
愛嬌があって、あどけない感じで、だけどどこか大人びて見える。
しかし、胸は高鳴らない。
ドキドキもしないし、かっ、と後頭部が熱くなるようなこともない。
「なによ!」
一向に答えず、そっぽを向くメグルに業を煮やして、少女は腰に手を当てて声を荒げた。さらに顔が近づく。冷房の効いていない外だったのなら、暑くて目が回ってしまうかもしれない。色々な意味で。
たぶん、クラスメイトの誰もが羨む光景だった。
でも――。
「……オレは、もうちょっと冷たい感じが」
「はあ?」
「いや……」
そこでカラン、と喫茶店のドアが開く。
店のオーナーで、双子の父親でもある男性が立っていた。
「ありゃ? 和葉(かずは)は帰ったないのか?」
「図書館に忘れ物」
「なんだ。あいつ、ああ見えてとぼけてるところあるからな。まあいいや。メグルちゃん、珈琲飲んでいくかい?」
「……いいや。帰るよ」
男性の脇を通り抜けるように、メグルは店の外へと出て行った。
ついぞとして少女の気付かなったビニル袋の中で、とっくにアイスは溶け切っていた。
「何しに来たんじゃい!」
少女は頬を膨らませて、腕を組む。
そんな娘を見下ろして、男性は息を吐いた。
「もてる男はつらいなぁ」
「え?」
男性は片手に持っていた紙袋から小分けされた素麺を取り出した。
「はいはい。町内の"おばさま"たちにはもてるみたいね」
少女は空きっぱなしだったドアに近づいて、取っ手を引く。
バタン、と閉まるような音がして、訪れた静寂に目をきょとんとさせて固まった。
「どうした?」
「あ、……ううん。……蝉の声、小さくなったな……って」
「そりゃ、ドアを閉めたからな」
「……うん。そうだよね」
目をぱちくりとさせながら、それでも、少女は締め切られたドアを見つめていた。
胸がざわついていた。
理由は分からない。
ただ――いつも以上に、ねっとりした汗が頬を伝って、顎先から落ちる。
「……なんだろ」
ぎゅっと、心臓を鷲掴みにされたような感覚。
息苦しくて、気を抜くと膝から崩れてしまいそうな、原因不明の症状。
「夏バテか?」
「…………」
心配する父の声は聞こえていなかった。
少女にはその感覚に覚えがあった。
昔、小学校の低学年の時。
林間学校があって、宿泊先で同じように、無気力感に苛まれたことがある。
その時は、わずか数分の間だけそんなことがあって……同じクラスで腐れ縁の、他人のことなど一切興味なさそうなメグルでさえ心配していた。
その日のその時間、別のクラスで活動していた姉が、転んでけがをしたと後になって聞いた。
林間学校から帰ってそのことを聞き、少女たちはそれがおかしくて笑い合った。
『さっすが双子!』
『だね』
一卵性双生児で顔つきは同じ。
全く同じ食生活、全く同じ生活環境、全く同じDNA。
だけれど、二人の性格はどこまでも違っていた。
クールで大人びていて、フレームの細い眼鏡から理知的な印象を持つ姉は勉強が出来る。自分の苦手な読書が好きで、時折大人に向けて放つ忌憚ない物言いはどこか浮世離れしていた。
一方で自分は眼鏡が煩わしくていつの日かコンタクトをするようになり、そのせいか男子にモテるようになった。交友関係も姉と少し変わり、所謂カーストの高い女子たちとつるみ、性格は明るく、声も大きくなっていった。
同じパーツで出来た人間同士なのに、こうも違って来た。
これから何年も経てば、もっともっと変わるだろう。
それでも、似ているところもたくさんあった。
好きな食べ物。
嫌いな科目。
――気になる異性。
だからこそ、数年経って、大人になって、別々に暮らして。
時々会って、その度に言い合うのだ。
『さすが双子!』
『だね』
――そうじゃないと、だめなんだ。
「オーナー!」
ばんっ、と喫茶店のドアが開く。
近所に住む、父親と同年代の男性だ。
息をはぁはぁと切らして、両膝に手をついている。
どうしたことかと、父親は慌ててカウンターの奥から出て来た。
「おいおい、どうしたんだそんなに――」
「和葉ちゃんが――!」
開かれたドアからは、あの煩い蝉の声。
ミンミン、ミンミンと。
あの、声――。
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