第11話 クオリアは外へ出られないのですか?

クオリアを外へ連れ出す。

双葉から提案されたことに、メグルは当初乗り気ではなかった。


メグルの考える"強いAI"

それは人知を超えた存在ではなく、人知と等しい存在。

であれば、その存在の在り方は自ずと定まって来る。


どれだけ技術が進もうと、人間のクローンは禁忌とされる現代。

もしクオリアが人間と等しい存在であるのなら、複製などは出来ない。

出来るはずもない。


AI研のパソコン――つまりはクオリアの"家"あるいはクオリア"自身"

その端末は外部インターネットと接続されていない、完全スタンドアローンの状況下にある。クオリアが"強いAI"である可能性が生まれた段階で、真理衣の父であり部活の外部顧問でもあった砂尾ジャクソンから提案された。


『もしキミが"そう"だと思うのなら、彼女を外へ出してはいけないよ。もっとも、俺にはまだ、その子が自意識を持っているようには感じないけれどね』


――技術的特異点(シンギュラリティ)


それは自我を持ったAIが自己フィードバックの可能性に気付き、人間の手助けなく際限なく成長していくことを端とする概念。

それは、人間に変わって人工知能が宇宙の覇権を握るとされる概念。


砂尾の忠告を、メグルはもっともであると思っていた。

もし仮に、万が一、億が一……クオリアが"強いAI"であるのなら、何時どのタイミングで人間に害をなす存在となるか分からない。


それこそ、都市インフラのすべてが乗っ取られる――なんて未来もあり得るのだ。


「オレは反対だ」


きっぱりとそう言うと、しかし双葉はあっけなく「そう」と頷いて部屋の外へ出た。あまりのあきらめの良さに、メグルが不振がっているうちに……隣室より見慣れた"ガジェット研"部長を連れてやって来る。


「えっと……?」

「この子に外の世界を見せたい」


双葉の言葉に、ガジェ研部長はすぐに納得した様子を見せて、「なら簡単な方法があります」と指をたてた。


「それこそ、釘宮さんのスマホとアプリで通話状態にあるパソコンでも置けばいいでしょう。カメラに見えるようにして、音も出して」

「なんとアナログな……」


メグルは呆れたような声で言ったが、その反面「なるほど確かに」とも思っていた。

そうすれば特段クオリアをインターネットにつなげることなく、双葉が言う通り「外の世界」を見せて上げられる。


しかし――。


メグルにはまだ疑問があった。


「何がしたいんだお前」


これまで、双葉はクオリアに関係するあれこれには消極的だった。

AIに興味もなければ、何か積極的に手伝うこともしてこなかった。

だからこそクオリアの外見を彼女自身が描くと言い出したことに驚いた。


双葉は視線を逸らして床を見つめ、「別に」と吐き捨てるように言う。


「知りたいだけ」

「何を」

「その子が……こっち側に来られるのか」

「……そうすれば、お前も行けると思ってるのか?」

「分かってるなら聞かないで」


そんな風に、傍から見れば意図の分からない会話が為される中、連れて来られたガジェ研部長はそっと身を引いて、事態を静観する愛人と真理衣に近づいて耳打ちした。


「け、喧嘩中なんでしょうか」

「さあ? 真理衣は分かる?」

「わかんないよっ。てか、あの二人ってあんなに喋る感じだっけっ」


メグルは大きく息を吸って、吐き出した。


「分かった」


そう言って、しかし即座に「ただし」と続けた。


「クオリアの意思次第だ」


二人の視線が、外野の三人の視線が、クオリアに向かって伸びる。

パソコンモニタの向こう側で、クオリアが彼らを見つめ返している。


『クオリアは、"外"を見てみたいです』

「そうか」

「じゃあ、決まり。部長さん、パソコン一台貸してもらえる?」

「え、え? が、ガジェ研からでしゅか?」

「もううちに予算がないこと、知ってるでしょ」

「し、しかし……我が部としても、そう貸し出せる端末があるかと言われると……」

「来季の予算から二台分にして回す。これでどう?」

「一応AI研の部長はオレなんだが」


勝手にやり取りが決められていく中、メグルはそんな風に悪態をつくも……その頬はどこか緩んでいた。


「では、持ってくるでござる」


上機嫌で部室を後にしたガジェ研部長。

メグルは糸が切れたように、倒れ込むように椅子に座る。


『お疲れですか?』

「いや、ぜんぜ――でもないか。疲れたな。お前は?」

『クオリアですか? クオリアはAIですので、疲れるという概念は――』

「気疲れっていうんだ。肉体的な疲労とは別種の、この、何とも言えない無気力感を」


答えはなかった。

見れば、双葉も定位置の椅子に座りなおしている。

しかし、いつものように本は開いていない。

眼鏡を外して片手で持ち、その瞳は窓の外。


青く澄み切った空へ向き、その耳は――。


窓越しに聞こえてくる、うるさい蝉の声を捉えていた。


***


「別に、名高くんは呼んでないけど」

「一応、オレはクオリアの保護者だしな」

「保護者?」

「まあ、そんな立場ってこと」


照りつけるような日差しは、熱いを超えて痛いと思えるほど。

日中の最高気温を記録する道を、双葉とメグルは歩いていた。


並んで歩く、というには些か距離がある。

双葉が前を歩き、その後ろをメグルが追う形だ。

ぱっと見では赤の他人とも思われかねない絶妙な距離。


これが、二人の現在地点。


「……どう?」


双葉が言った。当然それはメグルに対してモノではない。

彼女は片手に持つスマホに向けてそう言っていた。

そこには部室に設置したパソコンを通して映るクオリア。


『はい。どう表現するべきか分かりませんが……非常に"わくわく"しているかもしれません』

「そう」


双葉はワイヤレスイヤホン越しに声を聞いてるので、メグルは二人の会話を完璧には把握できていない。

あくまで双葉が発する言葉だけで類推するほかない。


「ここ――」


ふと、双葉が立ち止まってスマホのカメラを建物に向けた。

それはかつて小学校だったものだ。

双葉とメグルが幼い頃に通っていた場所で、今は生徒数の減少から廃校となっている。


『学校でしょうか』

「昔通っていたの」

『どんなところだったのですか?』

「……楽しかった。たぶん、小学校でどこでもそうだけど。……まだ、男の子とか女の子とか、そういった性別が曖昧だから。ただふざけて笑い合ってた気がする」


双葉はぽつりぽつりと、小学校の頃に何があったのかを語り始めた。

クオリアはその言葉に相槌を打ちながら、時には押し黙って先を促し、そしてそんな二人のやり取りを少し離れた位置からメグルが見ている。


『双葉さん』

「なに?」

『双葉さんのお話は、メグルくんのことばかりです。飲み残した牛乳をゴミ箱に捨てて怒られたとか、教壇の下に隠れたまま授業が始まって慌てたとか』

「そうね。せっかくついて来てるし、思い出話くらい登場させないと、可哀想だし」

「おい」


ジト目で双葉を見やるメグル。

双葉は一度だけくすりと笑って、眼鏡を押し上げる。

レンズの奥にある目は、何処か寂し気に揺れていた。


『どうして、双葉さんはクオリアにここを見せるのですか?』

「どうしてだろ……なんとなくって言ったら、変?」

『いいえ。人間は、"なんとなく"で論理的必然性を壊すことが往々にしてある生き物です。ただ、その"なんとなく"にも、抽象的な理由があって然るべきとも考えます』

「そうね。うん。一応、理由はある」

『教えてくださいませんか?』

「まだ内緒」


双葉は学校に背を向けて、すたすたと歩きだす。


「一言くらいかけろよ」


メグルの悪態などどこ吹く風のように、双葉はぐんぐんと道を行く。

小学校から始まり、今度彼女が訪れたのは市が運営する図書館だった。


「――釘宮、おま」


メグルが言いかけた言葉、双葉は視線を持って制す。

メグルの放とうとした弾丸は押し留められ、暴発することもなく、彼の中で静かに眠る。


『ここはどこですか?』

「図書館。よく来たの。……名高輪くんとね。お父さんが借りた本を返しにとか……ねえ? 覚えてない?」

「さあな。いきなり話しかけられても、急には思い出せねぇ」


――嘘だった。

牛乳のこと、教壇の下に隠れたこと、そういった些細なことはメグルも詳細に覚えていない。

されど、図書館に、彼女の父親が借りた本を返しに来たこと。

その出来事だけは、鮮明に思い返すことが出来た。


何故ならその日、だって、いや、まさか、そんな――。


「――暑い日だった」


小さく、双葉は呟いた。

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