第9話 双葉と和葉

喫茶店がありました。

美味しい珈琲が飲める店。


窓から香る濃厚でチョコレートが焦げたような匂いは、否応なしに通行人の脚を止める。

かの高名な音楽家ベートーヴェンもまた有名な珈琲愛好家であり、「一杯のコーヒーにつき、豆はきっかり60粒でなくてはならない」とは有名な逸話……。


そんな喫茶店の隣には、古臭い古民家もありました。

古くから駄菓子屋をして日銭を稼ぐそのお家の息子、名高輪(なたかめぐる)。


――小学五年生。


二階にある部屋からお店に降りて来て、きょろきょろと周囲を見渡す。

すっ、と手が商品に伸びた。


「じゃあそれ、釘宮さんとこのお茶請けとして持って行け」

「……あいよ」


メグルの親父は息子に背を向けたまま、作業をしていた。

駄菓子を数点、ビニル袋に詰めた少年は外に出て駆け足になる。


そして舞台は、喫茶店に移る。

軒先で箒をはく女の子。


「あ! めぐる! おはよ」

「おう」


――釘宮家、"双子"の妹。

メグルとは同い年。幼馴染。

物心ついた頃から、いつも一緒に遊んでいた。


「配達?」

「おう。てか、いつも思うけど……こんなおしゃれな喫茶店で駄菓子なんて出していいのかね」

「いいのよ。それがおしゃれなんだから」

「そういうもんか」

「あ! 後で図書館行く予定だから、一緒行こうよ!」

「掃除は良いのか?」

「一日くらいさぼってもどうってことないわよ」


笑顔で手を振る妹さん。

――釘宮家の双子と言えば評判だ。


「あら? めぐるじゃない」

「……おう」


店内にはエプロン姿でテーブルを拭き上げる、眼鏡をかけた双子の"姉"

妹と顔は似ているが、よく見れば微妙に違う。とはいえ遠目では分からない。

一番の違いは視力と性格。

外見だと、眼鏡の有無が二人を大きく別人だと仕分ける材料だ。


「どうしたの」

「これ」

「ああ、お茶請けね。お父さん。めぐる来た」


姉さんが少し声を張り上げると、店の奥からは恰幅の良い男性が顔をのぞかせた。


「ようめぐるちゃん! ごくろうさんね!」

「とりまいつものセット。適当にチャレンジ枠も入れてるから使ってみて」

「はいはいっと」


めぐるは空いていた椅子に座る。


「あ、ちょっと。そこの椅子、拭いたばかり」

「いいじゃねぇか。減るもんじゃなし」

「減るの」

「何が」

「……さあ?」


そこでオーナーの男が「お、そうだ!」と声を上げた。


「二人とも、暇ならこれを図書館に返しに行ってくれんか?」

「おっさん本読むんだ」

「おうよ」

「この間良い感じになった女性(ひと)に勧められたの」

「……おうよ」


夏目漱石著作、「こころ」

小学生であるメグルですら知っている有名作。


「お父さん。私、まだ掃除中だけど」

「一日くらい掃除しなくても平気だよ」

「親子そろって……」

「まあ頼んだ。ほれ、お駄賃。どっか適当にお茶でもしてきなさいな」


そこで、カランコロンと、入り口のドアが開く音。

双子の"妹"が立っていた。


「あ、これからめぐると図書館行くんだけど、一緒に行く?」

「え?」


妹は小首をかしげ、メグルが持っている書籍に目をやった。

それからすぐに笑顔を作って、「ううん、友だちと用事あるから!」と部屋の奥に走っていく。


「はて……?」


不思議そうに首をかしげる親父。

ため息をつく姉。

何が何だかわからないメグルの三者三葉。


「じゃ、行きましょ」

「え? ……ああ」


カランコロン。

二人が喫茶店を後にした。

それからすぐ、店の中に"妹"が戻って来る


「あ、そうだ!」


父親が大声を上げた。

娘は無反応だった。


「お前に頼んだんだっけ?」

「いいの」


妹は椅子に座り、両足をぶらんと動かして、テーブルに身体を預けた。


「あの二人、やっぱりお似合いだから」

「うーん、わしとしてはいっつもめぐるちゃんにツンケンしてるから、仲良くなってくれんかと思ってのことだったんだが……」

「お父さん、珈琲!」

「うわ、パパに厳しい娘……」

「恋する乙女に無神経なこと言うから!」


***


一方、喫茶店を出た二人は街を歩いていた。


「めぐるは本読むの?」

「読むように見えるか?」

「見えないから聞いたの。もしかしたら、あるかもしれないじゃない」

「ま、親父の仕事関連のは読むな」

「駄菓子?」

「ちげーよ。うちはフリーランスのエンジニアで、親父は人工知能の研究してんの」

「うわ、ハイテク」

「馬鹿にしてんだろ」

「してません」


くすくすと、姉は笑う。

メグルはたまに見れるその笑顔が嫌いではなかった。

むしろ――。


「お、デートかい? ヒュー、ヒュー」


クラスメイト数人と出会い、彼らが二人に声をかけた。

日曜日の朝、出会う事だってあるかもしれない。

メグルは辟易とした様子を隠そうとしなかった。


「バーカ! 図書館に行くだけだよ」

「世間ではそれをデートと言うのでは」

「…………」


隣でそんな風に言う姉。

メグルは無言で睨み返した。


「行くぞ」

「はいはい。それじゃあね、上杉くん」


二人はクラスメイトから離れて再び、図書館への道に戻る。


「……デート、かぁ」


メグルが空を見上げながら、そんなことを呟いた。


「え?」

「……いや」


釘宮家の双子と言えば、美人で有名だった。

取り分け、眼鏡をかけていない妹の方は溌剌としていて人づきあいがうまく、男子人気はめっぽう高い。

対して彼の隣を歩く、眼鏡をした姉。やはり小学生故か、眼鏡をかけるというだけで男子人気が少し下がる。それに加えて彼女は決して愛想がいいわけでもない。


美人姉妹、だが――ここにはいない妹の人気が強いところが、この世評に大きく関わっている。


しかし――。


「なによ」

「……いや」


知らずに足を止めていたメグルは少女のことを見つめていた。

顔を背け、俯き加減で歩き出す。

頬はほんのりと赤く染まっていた。


――しかし、オレはどっちかと言うと……。


***


名高輪、小学五年の夏。

それは、クオリアという存在が生まれるよりも、ずっとずっと前の物語。

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