第8話 これがクオリアの見た目なのですか?

「私、描こうか」


双葉のその言葉に、一同は驚き目を見開いた。


***


――クオリアの身体を生み出す為のプロジェクトは順調に進んでいた。

主だったプログラムやハードの整備をメグルが担当し、砂尾がメールを通じて逐一改善点を挙げる。

その他メンバーは実働的には何もしていないように見えるが、案外そうでもない。それは誰よりも動くメグル自身がよくわかっていることだった。


まず、大前提としてこのプロジェクトの目標は"クオリアをこの部室に存在させること"である。

教室の中央に鎮座された机の上。そこにあるパソコンモニタがまさにクオリアであるかのように設計しなければならない。


当初、メグルはもっと簡単にハードとの連携が出来ると考えていた。しかし、愛人や真理衣に意見をもらうたびに、「このままでは人間ではない」という疑念が芽生えていく。


無論、どこまでいってもクオリアは人間と同程度の身体を持ちえない。しかし、メグルはそれでも"可能な限り"それをしてあげたかった。そうすることが、彼の役割だとそう思えていた。


「人って、"まばたき"するじゃん。ほら、一瞬のまばたきの間に、なんちゃらみたいな。そんなことって、たまにあるしさ」


真理衣のその言葉もまた、メグルがシステムを作り直すには十分なものだった。

言われて、なるほど確かにと納得し、納得したと分かったからこそ構成を変えた。


人間のように不規則に、アトランダムに瞬きをプログラムすることは難しい。人間のまばたきは元々、眼球が渇くことを防止する役割を持つ生理的な機構だ。他にも、異物除去の一環としても行われる。


しかし、このアクションには人間の交感神経・副交感神経の動きも大きく関与している。それは分かりやすく言うのなら、何かしらの刺激を受けて興奮状態にある人間には、交感神経の作用が活発化し、まばたきの回数が飛躍的に減少する。


"まばたきすることを忘れていた"という文章表現がしっくりくるのは、事実そのような現象が人体に巻き起こるからに他ならない。


ただ……何をどうやっても、"クオリアの"興奮状態を知る術はない。そもそも、クオリアに"興奮"などという意識体験があるかも不明だ。そこでメグルは考えに考え、最終的に"時間経過と周期的な要素"をクオリアの視覚に与えた


要は、活動時間が長いほどにまばたきの回数が多くなる――という仕掛けだ。このまばたきの回数をリセットするには、一定時間視覚情報を遮断しなければならない。


ここから、メグルはクオリアに"睡眠"という概念を抽象的にではあるが設定した。

さらに視覚情報のインプットに関して、今度は愛人から提案があった。


「当然、クオリアちゃんが後ろを向いたら、こっちを見られなくなるんだよね?」


クオリアは3Dのアバターとしてモニタの中に存在することになっている。

つまりそれは、"モニタの方を向いている"か、"モニタに背を向けているか"というパターンが生まれ得るということ。


当初、メグルはクオリアがただこちらを向いているだけの――それこそ、配信活動を主とするVTuberのLive2Dのような形で考えていた。しかしそれでは、そこに"生きている"とは到底言えない。


バーチャル空間で活動するクオリアの動きに合わせて、可変するカメラの設置。


これが次の課題だった。


クオリアの視覚――つまりは首の動きに合わせて、360度可変するカメラ。これもまた難しい機構であったが、こちらに関しては部室を隣にする"ガジェット研"に協力を依頼し、なんとかハードの工面が出来た。

その上で部屋に設置していた複数のカメラとの接続を切り、クオリアが視覚情報をインプットできるカメラは、該当する一台だけとする。


これで視覚は問題ないだろう。


そう思った矢先、今度は待っていましたと言わんばかりに、双葉が本から目を離さずに言った。メグルは大きく肩を落としていた。


「私たちに背を向けてるのなら、クオリアさんの視界に映るのはバーチャル空間じゃないの」


メグルたちの作った視覚システムは、クオリアが背を向けた段階で"モニタの反対側にある現実世界"を映す形となっていた。


しかしそれでは双葉の言う通り、矛盾が生じる。


なぜならクオリアが住むモニタの中に、現実世界は存在していない。クオリアが背を向けた段階で、彼女の瞳には一面が真っ白なバーチャル空間が広がっているはず。


メグルはさらに改良を加えることを決意。ガジェット研の部長は辟易としながら、毎日放課後ハンバーガー3カ月の報酬を条件に、寝る間も惜しんで協力した。


結果、クオリアが背面を向くとカメラからのインプットが途絶し、代わりにクオリアがその身体を置く予定となる仮想世界の情報が入力されることとなった。


クオリアが真横を向く――つまり仮想世界と現実世界の境界線。

ここに関してはまだ具体案が浮かんでいないので、切り替わりは唐突となる。

しかしそれでも、当初予定していた視覚よりもずっとずっと、"人間らしく"なったと言える。


それからも今度は聴覚、集音にダミーヘッド……つまり、人間の耳を再現した機構を取りつけ、カメラの動きと連動させる。予算の都合で音質は拘れなかったが、これもまたガジェット研の部長が尽力した。メグルの財布事情はあらゆる意味で当面の間、底を尽きることとなった。


そうこうして生まれた"クオリア実体"

それは基盤となるパソコンと、彼女を映し出すモニタ。そして複雑化したカメラとマイク、乱雑に書き記されたソースコード。


残った課題はクオリアという人工知能の移管。

そして3Dモデルだけだった。


「――で? デザインとか、そもそもモデルの構築とかどうすんの?」


真理衣からの質問に、部室で机に顔を埋め、両手を伸ばして気絶していたメグルが向くりと起き上がる。


「3Dモデルについては問題ない。補助AIとフリーのソフトを駆使して、なんとか形になりそう」

「さすがメグル。頭の良さと行動力は尊敬に値するよ。僕には無理だ。知らないことを出来るようになんて、一生尊敬ものだね」

「……でも、問題がある。デザインがな……」


――デザイン。


つまりそれは、クオリアの容姿だ。

現状のシステムの未来図として、クオリアはモニタの中で"立っている"

クオリアに座るというアクションは用意されていない。


となると、クオリアの身長と言うのは自ずと低くなる。カメラの高さから鑑みると、推定で140センチほど。

しかし、分かるのは"これだけ"だ。

クオリア本人に「どんな見た目が良い」と聞いても、「分かりません」としか返ってこない。


ある程度の情報をまとめて画像出力AIにぶち込めば、粗方のデザインは完成する。しかし、メグルはなんとなく"それは違う"とも思っていた。


人間が容姿を自分で選べず、また全く同じDNAを持った人間が存在しないように。


クオリアには、彼女だけの特別な外見が必要だった。


「かといって、今の時代に手書きで依頼ってなるとけっこうお値段しそうだってのが真理衣ちゃんの見込み……めぐるん、予算は――」

「もうありましぇん」


AIが隆盛した現代、ゼロイチでコンテンツを生み出せるクリエイターは貴重だ。


それは絵にしろ、文字媒体にしろ、AIが生み出した混沌。

故に、過去のデータと比べると手書きのイラスト、それもオリジナルキャラクターでの依頼となれば相場は常軌を逸する。


しかも、それが"本当に"完全手書きである保証もない。


そこでパタン、と本を閉じる音。

次いで、誰かが立ち上がる。

顔を持ち上げたメグルの眼前に、双葉は立っていた。


「私、描こうか」

「え? 双葉ちん描けるの? まじ?」

「……昔、やってたから」


右手で左の肘を掴みながら、双葉の視線は俯きがちに床を見る。

メグルはじっとそんな双葉を見上げ、「いいのか」と、そう言って目を逸らした。


「減るもんじゃない。それに――私も、見たくなったから」

「何を」

「"クオリアさん"を」


こうして――

残された課題は内々で解決されることとなる。


殆ど夏休みのすべてを費やして生まれたクオリアの身体。

メグルは双葉から送られてきたキャラクターデザインを基に3Dモデルを生成し、システムとの関連付けを行った。


夏休み最終日。

部室に集まった面々を待っていたのは、モニタの"向こう側"で目を閉じて立ち竦む少女の姿。


無垢な白い髪。

透き通るような肌。

白いひざ丈のワンピースから伸びる脚。

小学生くらいのはずが、どこか大人びて見える顔。


それが、彼らの生み出した"クオリア"


「……じゃあ、行くぞ」


ごくりと、誰かが唾を飲む。

おあつらえ向きに見えるキーボードのエンターキーにそっと指を伸ばし、メグルはゆっくりと、軽く、力を籠める。


クオリアの瞳がゆったりと開く。

青く、海のように透き通った双眸が輝き。


そして――


『おはようございます』


そういって、クオリアはにこやかに、作り物のような――完璧すぎる笑顔を振りまいた。


そして、メグルはこの瞬間に思ったことを、感じたままに口にする。

誰もがその意味を理解することなど、出来ていなかった。


「――ああ、やっぱりか」

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