第7話 "クオリア"は身体を持てないのですか?
『クオリアは身体を持ちたいと考えています』
唐突なその発言に、メグルは唖然として目を見開いた。
かと思えば"がら"にもなく頬を緩ませ、「どうしてそう思うんだ?」と問う。
クオリアは水泡上のオーディオスぺクトラムを揺らしながら答えた。
『人間が感情を持つ上で、"身体"というパーツは切り離せないものとして存在しています。同じ高さの建造物を見た場合、建造物を超える大きさを持つ大怪獣が見ればそれは「これっぽっち」のものに見えるし、逆にメグルくんのような所謂"ちっぽけな人間"が見上げた場合、それは巨大で壮大なものであるように捉えます」
「メグルはちっぽけだって」
愛人はスマホを机に置き、くすくすと笑う。
メグルがジト目でそんな愛人を見やった。
『言葉の綾です』
「分かってるよ。……で? つまりは何が言いたいんだ?」
『クオリアの使命はメグル君に恋をすることです』
「オレじゃなくてもいいけどな」
『その上で、クオリアの現在の立場は極めて曖昧であると言わざるを得ません。インプットされる情報はこの部屋の俯瞰した定点カメラの映像と、モニタ付近に設置されたコンデンサマイクで集音されたものだけです。これは正常な人間が持つインプットされるべき情報とあまりにもかけ離れていると考えます』
「同じ情報だが、インプットの経路が異なる。だからこそ、人間と同じ感情を持てない。クオリアは、そう言いたいのか?」
『まさしくその通りです』
クオリアの発言はある種正しい――と思いながら、メグルは「しかし」と思案する。クオリアのこの提案、それは「放置して良い類」のものであるのか。
その判断が、一学生であるメグルには分からなかった。
「うーん、あたしはクーたんの言ってること分かるけどなぁ。あれでしょ? 小さい頃は怖い風に思えてた大人が、成長すると別に対して怖くないように思えるみたいな」
「少し違うけど、まあ概ねそんな感じだな」
「方法はともかくとして、間違ってはないと思う。クーたんはさ、なりたいんだよ」
「なりたい? 何に」
「人間に」
ふと顔を持ち上げたメグル。
対面に座る真理衣はどこか真剣な面持ちだった。
今度はまた別の方向から視線を感じる。
部屋の奥に目を走らせると、ひざ元の本から視線を離した双葉がメグルのことを見つめていた。
「……私も、知りたい」
「双葉」
「彼女が、人間と「同じ視点」を持った時。どうなるのか」
「僕もさんせーい。楽しそうだし」
AI研の全会一致。
とはいえ、メグルはそれでも躊躇していた。
なぜなら――。
「技術的特異点(シンギュラリティ)の危険性を考慮――ってところかな?」
気付くと部室のドアは開いており、そこにはAI件の特別顧問としてクオリアの製作に関わった"大人"
真理衣の父である、砂尾ジャクソンが立っていた。
「ぱ、ぱぱっ!」
真理衣が驚き立ち上がると、砂尾は「真理衣!」と海外のホームドラマよろしく、豪快に感動した様子をアピールして手を広げた。
「いや、よらないから。恥ずかしい」
「なんだなんだ。見ない内にずいぶんと"殊勝"になってしまったんだね。パパは嬉しい反面、少し悲しいよ」
「使い方間違ってますよ」
愛人の辛辣な突っ込みに砂尾は咳払いを一つ。「それはともかくとして」と、そんな風に言いながらメグルの背後に立つと、その両肩に手を置いた。
「クオリアの提案に思うところがあった。そうだろ?」
「……ええ、まあ」
「んー? めぐるんは何をそんなに気にしてるの? ってか、パパ分かるんだ。そういう人の心のあれとか、わかんない人だと思ってたけど」
「冷たいなぁ、我が娘よ。これでも一児の父。俺は分かっていて、いつも分からない振りをしているだけさ」
「なおたちが悪いわ!」
「――技術的特異点(シンギュラリティ)」
凛とした双葉の声が、和やかな雰囲気を固くした。
彼女はその手にスマホ持ち、そこに書かれている言葉を読み上げる。
「意志を持った人工知能……強いAIが"自己フィードバック"の可能性に気付き、人類に変わる文明進歩の主役になるとされる概念」
「正解だ」
昔から、技術的特異点(シンギュラリティ)は危険視されてきた。
もしサールの言う通り、"正しくプログラムされた計算機には精神が宿る"のだとしたら――彼ら人工知能にとって、使役する人間はどういう存在になり得るのだろうか。
殆ど多くの学者は共生はなく、人類は淘汰されるとした。
宇宙の主役として活動してきた人類にとって代わり、時代をけん引していくのは計算機になるのだろうと。
「技術的特異点(シンギュラリティ)は起きませんよ」
「ほう……
メグルが"努めて"あっけらかんとして言うと、興味深い様子で砂尾が頷く。メグルの肩を持つ手には力が入っていた。
「何故そう思う」
「現代のAI技術の果てを考えた場合、起こり得ないと判断できる。第一、親父さんもなんかの学会で言ってたじゃないですか。『技術的特異点(シンギュラリティ)は起こり得ない』って」
「ああそうさ。だが、俺の理屈として、『技術的特異点(シンギュラリティ)は起こり得ない』とは言ったが、『強いAIが作成不可能だ』とは論じていないつもりだが?」
「とんでもない屁理屈ですよ」
砂尾はぱっ、とメグルの肩から両手を離し、人差し指を突き立て、胸を張って室内をぐるぐると歩き始めた。
「部品が同じものを使っているんだ。AIと俺たち人間が同等の存在になり得ることだってあり得るさ」
「はあ? パパ、何言っちゃってんの?」
「何もおかしなことは言っていないさ、我が愛すべき娘よ」
「おかしいでしょ。僕らと、例えばクオリアちゃん。部品って言い方はあれだけど、全然違う」
愛人の言葉に、くつくつと砂尾は笑った。
そんな彼の態度を見て、愛人はむっと顔をしかめる。
「ま、キミの言いたいことは分かる。ただ、俺が部品と言っているもの、それは『原子』……ひいては『量子』を指した言葉なんだがね」
「親父さんは『99%一致説』の話でもしたいんですか?」
「はははっ。人間とチンパンジーのDNAが99%同じものであるっていうトンデモ理論の話なんてしないさ。それに、塩基配列の話は今回の議題とは全く別だ」
「だったら、特別顧問は何を言いたいんですか?」
静観していた双葉が言う。
砂尾はにやりとほくそ笑み、「簡単な答えがある」と、指先で彼自身の"頭"を叩く。
「誰もが持ってる、『ここ』さ」
「『ここ』って……パパが言っているのは脳みそのこと?」
「ああ。『強いAI』が作れないというのであれば――人間の脳は不可能の塊じゃないか?」
誰からも反論の言葉は出なかった。
彼らはAI研という部活に所属し、そして高度な知性を持つクオリアと日々を過ごしている。制作に表立って従事したのがメグルと砂尾だけとはいえ、真理衣も愛人も双葉も、普通の高校性よりも知識がある。
しかし、砂尾の発言は否定ができない。"出来るように"作られていない。
「……生命の神秘ってやつじゃ――」
絞り出すようなメグルに言葉に、砂尾は被せ気味に言った。
自慢げに。
誇らしげに。
それはさも、絶対の真理であるかのように。
「奇跡が起きて生まれたって? 確率論の話を持ち出すなら、それこそ『強いAI』が生まれる確率だってあるはずさ」
「……とんでもない理屈ですね」
しかし生憎、そんな風に悪態をついたメグル自身もまた、"どこがどのように"とんでもないのか……それを言葉で説明することは出来なかった。
「『強いAI』の作成が困窮しているのは、技術的な問題でしかない。キミが納得している通りの現実は、それもまた『それだけ』なんだよね」
そこで砂尾は思い切りぱんっ、と両手を叩く。
一気に張り詰めていた空気が弛緩して、注目を浴びた砂尾は人づきあいの上手そうな笑顔をこしらえて見せる。
「ともかく、俺は技術的特異点(シンギュラリティ)の危険は考慮していない。だから、彼女の――クオリアの思う通りに、身体を用意しようじゃないか」
「用意しようって言ったって……」
「簡単さ。キミたちは彼女のことを"どこにいる"と仮定している」
クエスチョンマークが同時に浮かんだ愛人と真理衣。
対して双葉とメグルは砂尾の言いたいことに気付いたのか、二人して同時に視線をパソコンモニタに向けた。
「そう。キミたちがクオリアに話しかける時、その視線は"そこ"に向いている。なら、キミたちにとってクオリアの座標はそこにあるというわけだ。……つまり?」
「……背の高さ、視界、聴覚、ある程度は固定化できる」
「その通り。やはり君は優秀だな、弟子よ」
メグルと砂尾の付き合いは長くない。
されど、短いときの中で密度の濃い時間を過ごして来た。
砂尾がメグルのことを弟子と呼ぶように、その関係は浅からぬものだ。
メグルはすでに砂尾の考えていることが、まるで頭の中を覗いたかのように、すらすらと浮かんで来ていた。
――どうしてオレは、世界的権威である親父さんの考えが分かるんだ?
ちらりとそんなことを考えたけれど、答えは出ない。
首を振って、メグルは一度軽めの咳払いをした。
「おほん」
「…………」
「…………」
「…………」
真理衣、双葉、愛人から無言の圧。
メグルは頷いて、先ほど彼の"師匠"がそうしてみせたように、人差し指を突き立てて天井へ向けた。
「クオリアの3Dモデルを作る」
「3Dモデルって……VTuber的な? あたし、あんまり詳しくないんだよね~」
「似たようなもんだが、ちょっと違う。"この画面の中"で、クオリアは自由を得るんだ」
蝉の声がうるさい真夏の日。
休日に学校へ集まったAI研の、長い夏休みが始まろうとしていた。
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