最終話 私が夏でもタイツをはくワケ


「君の、隠してるタイツの中身が見たいんだ」

 

 営業の橋本さんから、相手が相手ならセクハラで訴えられそうな誘い文句を頂戴した。

 何でもないような顔と声で、いつも通りを装って。 

 

「……やっぱり、橋本さんって、むっつりスケベですね」

 

 内心、これからの展開に期待して、ドキドキしてるむっつりスケベは自分の癖に。


 

 

 橋本さんはうちの会社の営業マンの一人で、超がつく程のお人好しな人だ。


 営業事務である私は、営業マンのサポートが主な業務で、一人で三人の営業マンに付くのだが、橋本さんは一度も担当したことがない。そんな私が橋本さんと話すきっかけを作ってくれたのが、後輩の花村さんだった。

 

 花村さんは、まったく仕事をしなかった。正直、仕事ができないわけではなく、頭が悪いわけでもないのに、一体何故、と常々思っていたが、ある時、本人から直々に理由を教えてもらった。


「だってぇ、タイピングがちゃがちゃしたらぁ、ネイルがとれちゃうじゃん!」

 

 この返答には課で一番の先輩も私も震えた。先輩は怒りで、そして私は先輩の逆鱗に触れたという恐怖で。

 

 

 先輩は事務員の中だけでなく、うちの会社全体で見ても勤続年数が長い方で、世に言うお局様(私たちはこっそりボスと呼んでいる)なのだが、こんなタイプの人は初めてだと怒っていた。


「課長に言ったけどダメ、絶対愛人よあいつ、社長の。営業の田代課長からも何とかしろってつめられたし、本当にやってらんないわ」


 このままではいつまでも我らがボスの機嫌が悪く、私含めた後輩一同のストレス値がヤバいということで、ボスと花村さんを除いて事務員だけで話し合った。


「とりあえず指導係をボスから引き受けよう。営業課長からもクレーム出てるわけだし、花村さんへの指導は実質不可能だから、指導係という名目で六人分の営業マンを引き受けることになるけど、仕方ない」

 

 皆の心は一つになり


「恨みっこなしよ」

 

の掛け声でジャンケンをした。そして、私が一発で負けた。


「ごめん、羽月、頼んだ。骨は拾ったげるから」

「羽月さん、私たちあなたの勇姿、忘れません」

 

 どうしてグーを出してしまったんだ。恨みっこなしなんて無理だ、恨みしかないわ。

 そんなことを肚の中では考えながらも、異議を唱える勇気もなかった私は


「モーマンタイです」

 

と、柄にもなく少しボケて、少しだけスベったのだった。


 

 かくして、花村さんの指導係と六人の営業マンの担当を抱えた私は、毎日残業に追われることになった。

 

 そして、そんな地獄のような毎日で、私を気にかけてくれたのが橋本さんだった。

 橋本さんはいつも先に帰っていく花村さんを怒った顔で見詰めていて、最初は花村さんに何かされたのかと思っていたが、違ったらしい。

 

 ある日、花村さんのクレームをうちの課長とボスに入れた、営業の田代課長に書類を渡しに行った時に言われたのだ。


「そういえば、羽月ちゃんって、うちの橋本と仲良いんだね」

「橋本さんですか、補佐についたこともなければ、お話もあまりしたことがないですね」

 

 不思議に思ってそう返せば、田代課長はもっと不思議そうに


「そうなの? いや、こないだ営業部の飲み会で羽月ちゃんが可哀想だって珍しく怒ってたから」

 

なんて、言ったのだ。

 

 こんなこと聞いたら、嬉しくなるに決まっている。意外とツミツクリな人だわ、と意識をするようになってしまったある日。


「おつかれさまでぇす」

「おつかれさまです」

 

 今日も今日とて、花村さんの仕事を引き受け残業をする自分を尻目に、軽やかに帰る花村さんの背中を横目で見送った。


「あーっ、橋本さん、お帰りなさぁい。直帰せず残業ですかぁ?」

 

 いつもなら秒で消える花村さんの背中が、入口付近でとどまり、珍しいと思っていたら、納得の名前が聞こえてきた。

 ツミツクリな橋本さんは、無意識なのか意識的なのか、花村さんを睨むことが増えているのだが、それを花村さんは自分への熱視線だと思っている。本人から満面の笑みで「困るぅ~」と自慢された。

 

「花村さんは帰るの? 羽月さんは残ってるみたいだけど、手伝ってあげないの?」

「あーしがまだできない仕事だから手伝えないんですよぉ」

「ふぅん、羽月さんのためにも早く仕事覚えなきゃだね」

「もぉ、橋本さんの意地悪ぅ」

 

 そんな会話を耳にして、咄嗟に下を向いて唇を噛んだ。顔がにやけてしまいそうで。

 

 恋愛経験の少ない女にそんなことしちゃ駄目ですよ、橋本さん。本当にツミツクリ。

 誰も味方になってくれない中で、何も関係ないあなただけが私の味方になってくれているんですよ。目の前で庇われて、ときめかないのはモテなれてるいい女だけです。


 この日、最大級のときめきを感じた私は意を決して声をかけた。

 

「橋本さんって、そんな凶悪な顔でいつも外回りしてるんですか?」


って。

 

 ああ、あの時勇気を出した自分をほめてあげたい。それ以来、彼とお話する機会も増え、タイツのデニール当てという秘密の遊びも始まった。


 時折、彼を狙う花村さんにちょっかいを出されたり、茶々を入れられたり、まあ有り体に言えば邪魔をされて、しかもほんのり敵意も向けられるようになった。服装とか、髪型とか、お化粧のこととか、女としてのマウントをとられて、悔しい反面、そのフィールドでは絶対に彼女に敵わないので、うまく自分の武器で戦う彼女は敵ながら天晴であった。

 どうか、その賢さを仕事にも活かしてほしい。そんな風に内心思いながら、また休憩中にマウントを決められて困っていた時だった。

 

「楽しそうだね、何の話してるの?」


 少女漫画さながら颯爽と現れたのは橋本さんで、思わず都合の良い幻覚かと思って何度か瞬きをしたが消えない。本物だ。

  

「あー、橋本さん! ここは男子禁制ですよぉ!」

 

 喜色満面にあふれながら、ぷくっと頬を膨らませた花村さんに、橋本さんは一瞬、ぎょっとした表情をして、すぐに取り繕って笑った。

 それを、照れ笑いと取ったのかさらに嬉しそうに花村さんは言った。


「橋本さんってぇ、わかりやすいっていうか、むっつりスケベな感じですよねえ」

「え……?」

「だってえ、ふふっ、誤魔化せてないですよぉ、あーしのこと気にしすぎ」


 見つめ合う二人に割って入るため、できるだけ冷静に努めて


「マニキュアの話です。花村さんが新作のマニキュア塗ってきたんですって」


と、先程マウントを取られていた話題を伝えた。邪魔された花村さんは片眉をあげて、


「も~! 違うよ羽月ちゃん、ネイル! 自分がしないからってほんと疎いんだからあ」


なんて、黙ってみてろと言わんばかりに牽制の言葉を放った。今度は私に割って入られないように間髪を容れず

 

「ほら、夏っぽいでしょお?」


と、橋本さんの前に手の甲を差し出して、新作のネイルとやらを見せた。

 まずい、あんなに近付いたということは、なんやかんや理由をつけてボディタッチする気だ。

 阻止したいが、何と言えば止められるのかわからず、あわあわしていたところ、橋本さんは花村さんの爪をしげしげと眺めてから

 

「俺、女の人がマニキュア塗るのってさ、どういうつもりなのか常々不思議だったんだよ。セックスアピールのつもり? 正直、そんなゴツゴツしたもんが付いた爪とか、危なくない?」


と、突然の下ネタをぶっ込んできた。普段の彼からは出てこなさそうなセックスアピールという直球の言葉に、私は呆然とし、花村さんはいつものふにゃふにゃした喋り方でなく、はっきりした口調で


「最っ低!」


と、叫んで休憩室から出ていった。

 私の頭の中は、私と橋本さんのピンクな妄想でいっぱいになっていた。

 その片隅で、えっ、爪を飾り立てるのは橋本さん的にはセックスアピールじゃないってことよね。つまり、マニキュアはセックスアピールじゃないってこと? いや、違うな。女の人のマニキュアはセックスアピールのつもりだと橋本さんは思っていて、その上で花村さんみたいに星形の尖ったビーズとか貝殻がついてるのは危ないと言ったのか。つまり。


「橋本さんにとって、マニキュアはセックスアピールなんですね」


 ふぅん、と感心の息が漏れ、ついつい少しニヤついてしまった。

 そうか、そうなのか。良いことを聞いた。

 

 私は男性経験はまったくないが、少女漫画育ちでそこからティーンズラブ、レディコミに進み、現在は官能小説を嗜む、完全な耳年増、いわゆるむっつりスケベである。そんな私も、マニキュアを塗るだけでセックスアピールになるとは、驚いた。彼もやっぱり、かなりのむっつりスケベに違いない。


 その日の晩、いそいそと昔買った真っ赤なマニキュアを探し出した。レディコミでも官能小説でも、真っ赤なマニキュアや、口紅というのはキーアイテムとして出てくることが多いので購入したのだが、いかんせん似合わないので使わずに埋もれていたのだ。

 

「そうだ、似合わないんだった……」


 浮かれまくっていて発掘したのはいいが、指の爪に塗る前に何故あるのに使わなかったかの理由を思い出した。冷や水をぶっかけられたような気分だ。


 そもそも、あんな会話の次の日にこんな真っ赤なマニキュアを塗っていったら、


「私とセックスしませんか? 私はしたいんですよ!」


と言ってるのと同義では、いや過言か。アピールはしたい。だって私は橋本さんが好きなのだ。

 特にそれが性的魅力になるとわかっていれば、それを武器にしたい。花村さんみたいに。


「そうだ、足に塗るか」


 彼との秘密の遊び、タイツのデニール当ての時に、気付いてもらえるかもしれない。足なら、絶対に他の人には気付かれない。


 足のマニキュアはペディキュアというらしい。ふと真っ赤なマニキュアが出てくる官能小説を読み返していたら出てきた。


「こんなストッキングじゃ、君の情熱は隠せない」


 そんな男の台詞の後に、性行為が始まった。女の履いてた薄くて黒いストッキングは、男に破られた。何故かそのシーンで今まで以上に興奮したのは、橋本さんのせいだ。これが、マニキュアがセックスアピールだということなのかもしれない。

 

 小説を読み終わり、塗ったペディキュアも綺麗に乾き、明日の服を用意する。そっと、タイツではなく薄手の黒いストッキングを服の上に置いた。


 ドキドキしてあまり眠れなかった。だって、殆ど告白しているのと同じで、気付かれないのは仕方ないが、気付いた上で触れられなかった場合、それは振られたのと同じことになる。

 橋本さんに会うまで、ひたすらドキドキしていた。それでもちゃんと仕事をする私は偉い。私がストッキングを履いてきたことに気が付いて話題を振ってきたのは花村さんだけだった。流石、変化を見逃さない人だ。この特技を是非仕事にも活かしていただきたい。


 そんなことを思いながら、橋本さんのいる営業部の部屋を通った時に、彼とすれ違った。彼はチラリといつもみたいに私の脚に視線を落とし、固まった。黒いストッキングは殆ど肌色が透けて見える。いつもと違う色合いで驚いただろうか。

 ペディキュアには、気付いただろうか。


 すれ違った時には何も言われなかった私は、痺れを切らして橋本さんが一人でコピー室にいることに気付いてそっと中へ入った。


「……今日は、聞かないんですか?」


 私の姿を確認した彼は、動揺したのかコピーした書類を落とした。私の足元にも書類が散らばり、彼はそれを拾おうと視線を落とす。

 そして、私の爪先で視線が止まった。気付かれた。私は最高に高揚していた。


「あ、足の爪には、羽月さんもマニキュア塗ってるんだね。それに今日はタイツがいつもより薄いんじゃ」


 上擦った彼の声に、興奮を押さえきれず、そっと指を彼の唇にあてて言葉を遮る。

 

「今日は、タイツじゃなくてストッキングです。あと、足のマニキュアはペディキュアって言うんですよ」

「なんで」

「橋本さんが、マニキュアが、セックスアピールだって言ったから」


 言うなら、今しかないと思った。彼からの言葉を待った。

 けれど、何も言ってくれない。

 ああ、駄目だったのか。


「なあんて、びっくりしました? 慣れない冗談はいけませんね、すみません」


と言って、拾った書類を渡し、コピー室を後にした。

 冗談なんかではなかったのに、怖くなって誤魔化した。不甲斐ない自分に嫌気がさして、橋本さんに声をかけられなくなってしまった。


 そんな経緯があっての


「君の、隠してるタイツの中身が見たいんだ」


である。これは期待をせざるを得ない。彼はまた、聞いてくるだろうか。

 

「羽月さんって、どうして夏でもタイツなの? 暑くないの」


と。

 理由は何の変哲もない、生足は出したくないし、ストッキングはすぐ破れるし、最近のタイツは素材によっては分厚くても暑くないから、履いているだけだ。

 けれど、きっと、彼は期待している。だって私たちはむっつりスケベなんだから。


 私は何を隠していることにしたら、彼が悦ぶのか、官能小説以外の参考書を手に理由を考えている。

 それまでは、


「秘密です」


なんて、何かを隠している振りをするのだ。     

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

羽月さんが夏でもタイツをはくワケ 石衣くもん @sekikumon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ