それは二百年後の六月

尾八原ジュージ

2222/06/10

 西暦2020年、私の占いは「それは西暦2222年六月十日の夕暮れ時になるだろう」と告げた。今まで私の占いがあてにならなかったことは、たったの一度しかない。

 西暦2222年六月十日。どうしてもその日を迎えたくて、私は悪魔のところに行った。

「不老不死とかは無理だけど、寿命を百年延ばすのはできるよ」

 悪魔は美しく、少しカタコトで喋りながら、私にお茶を淹れてくれた。

「一度に二百年延ばすの難しいよ。だから百年ね。延長したくなったら、百年後にまたおいで」

 もちろん無償では延ばしてもらえないから、片方の目玉と片腕を悪魔に売った。不便になるけれど、これでも大負けに負けてくれたらしい。

「あなた、眼球も腕も綺麗だからね、大サービスよ。でも、次来たときはもうちょっともらうよ」

 そう言われた。

 それでちょっと不便になったけれど、私はまだじゅうぶん生きていた。

 私の見た目は悪魔のところを訪れたときのままで止まってしまった。まるで老けないことを気味悪がられるようになったので、あちこちを点々としなければならなかった。さいわい私には占いの腕があったので、その日食べていくくらいの報酬にはありつけた。あとは二百年後、あなたに会う日のことを考えていればよかった。

 そうやっているうち、月日はぐいぐいと過ぎた。気づくと百年が過ぎそうになっており、私はあわてて悪魔の元をたずねた。悪魔は相変わらず美しく、少しカタコトだった。

「もう百年ね。次は両脚と声をもらうよ。それからあなたが死ぬ直前に、心臓ももらいにいくよ」

 私は快諾した。2222年まであとたったの百年だ。幸い科学技術はかなり進歩し、保険の適用範囲内であっても、かなりいい義手や義足を使えるようになっていた。

「何でそんなに生きていたいのよ。あなた、自分のきれいな体や声はどうなってもいいの?」

 悪魔が私に問うた。

「いいの」私は答えた。「2222年の六月十日に、私の死んだ恋人が生まれ変わって私ともう一度出会う予定なの。それが叶えば」

「相手はあなたのこと、わかるの?」

「いいえ。ただすれ違って、少し話すだけ」

 でも、それでいい。

 私の占いはあなたの死期を読むことができなかった。だからあなたと最後に会ったとき、私はちゃんとお別れをすることができなかった。それからあなたの宝物で、なくして残念がっていた指輪を見つけてとっておいたことも、うっかり伝えそこねてしまった。

 だからあなたにもう一度会って、行方不明になっていた宝物を返し、それからちゃんとさようならをしたい。

 そう答えると、悪魔は苦々しく笑った。

「なんてこと。それっぽちのことのためにどうしてそんな勇気が出せるの」

「そうよ。くだらないでしょう」

「蛮勇よ。くだらない勇気よ。人間っておかしなものよ」

 悪魔はそう言って、私に口づけをした。私は声を失った。


 悪魔と別れて月日は流れ、とうとう西暦2222年の六月十日、私は生まれ変わったあなたと道端ですれ違うことになった。

 道の向こうから歩いてくるあなたは、まだどこか幼さの残る若い男性の姿をしていた。すっかり他人だけど、二百年前に愛した面影は十分残っていると思った。

 私はこの日のために、例の指輪を持ち歩いていた。ポケットに手を入れると、硬くて丸い感触がした。

 すれ違いざま、あなたと目が合う。

 おや、という顔をするあなたに、私はポケットから取り出した指輪を差し出す。あなたは怪訝な顔をしている。でも、何かに導かれるように手を伸ばして、指輪を手にとった。

「よくわからないけど、僕のもののような気がします」

 あなたはそう言って、私の目をじっと見つめる。

 私は声をとられてしまっているから、黙ってうなずくしかない。でもそれで十分だ。

 あなたは深く頭を下げ、「どうもありがとう。さようなら」と言って道の向こうへと歩き去っていく。私はその背中にむかって無言で手を振った。さようなら。さようなら。心の中で何度もそう繰り返した。

 いつの間にか私の背後に立っていた悪魔が、私の心臓に五本の指をかけていた。

「これでいいの?」

 問いかけに私はうなずく。

 悪魔は「そう」と呟いて私の心臓を引き抜いた。私は長い寿命を終え、こうやって死ぬのだなと思いながら、生ぬるい影のようなものの中に沈んでいった。

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