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千遥が持って帰ってきた遺品には、元は高機能のロボットだったと思われる機材の欠片が、粉々に砕かれた状態で納められていた。
「
彩紗は途方もない声を上げ、顔を覆った。体が震えている。怒りや悲しみで感情の整理がつかないのだろう。色を失くした瞳からは涙すらも流れていなかった。
「私の
麻梨花と千遥は、彼女をしばらく部屋の中で一人にさせた。長年自分を守ってくれたロボットとのお別れをさせた方がいいだろうとの考えだった。
しかし一日と経たずに、彩紗は部屋を出、二人と対面した。
「何でもします。ここに置かせてください」
頭を下げる彩紗に、千遥が釘を刺す。
「いいのか? 私たちはお前のところのいちばん大事なものを盗んだ。そして『ファントム』は窃盗団だ。一度足を踏み込んだら、お前は二度と表の社会には戻れない」
「本当なら、あなたは私たちの顔を見たから、うちのエージェントに頼んで記憶の一部を消してもらわなければいけないの。それを断るということは……」
麻梨花が姉の言葉の続きを話したが、思わず言い淀んでしまう。
彼女には、まだまだたくさんの未来があるのに。
とうに無くしたと思っていたはずの罪の意識、後味の悪さが、麻梨花の心をかすめる。彩紗を仲間に引き入れる。これは前例のないことだった。
「
彩紗の瞳には、涙がたまっていた。
暗い、炎のような渦が、重い情念となって彼女の胸を満たしているのが、麻梨花には痛いほど感じ取れた。
「私は世界に一人きりです」
切実な叫びに、麻梨花は胸を掴まれた気がした。
何かが、自分を突き動かしていると思った。目の前の、激しい感情を燃やす少女を、不謹慎ながらも美しいと感じた。あの目は、自分とよく似ている。まだ小さかった頃、自分もこんな風に強烈な衝動に駆られていた。
生きてやる。復讐してやる。思う存分に、わがままに振る舞ってやる。慟哭のような強い思いを、かつての自分も抱いていたのだ。
「せめて、私に優しくしてくれたあなたたちと一緒に、これからを生きたい。そう願うのは愚かでしょうか」
千遥が一瞬、ふいっと横を向いた。姉も麻梨花と同じように、抑えきれない葛藤を感じているのかもしれない。『ファントム』は修羅の道だからと。
ならば、動くのは自分の役目ではないだろうか。
麻梨花は進み、彩紗の手を取った。目の前の少女は不安そうに顔を歪ませる。
大丈夫だよ。
そう言ってやるように、麻梨花はその手を包んだ。労わる触れ方で。
そっと顔の前に彩紗の手を持っていき、麻梨花は、目を閉じ、甲に口づけた。
彩紗がはっと息をのむのが気配で伝わる。後ろの千遥も目を見開いているだろう。妹がこんなに優しく赤の他人に触れるなど、今までなかったことだ。
その場に凝縮した空気が満ちた。
あなたを、受け入れます。
麻梨花は意思を伝えた。
言葉でなく、行動で。人の心は不確かだから、言葉を尽くしても、届かない時は届かない。それでも誠意を示したいならば、麻梨花にとって何より大切なのは、いくらでも嘘を言える口ではないから。
麻梨花はゆっくりと目を開けた。
視線の先に、顔をわずかに赤くした彩紗がいる。すがるようにこちらを見つめ、それでも強い気持ちを伝えようとしている少女。
答えの代わりに、微笑みを返した。
後ろで千遥がため息をついた。「とんだペットを拾っちまったな」とぼやきながらも、その声はどことなく楽しそうな響きを含んでいる。
「お前のロボット、もしかしたらうちのエージェントに頼んだら直してくれるかもしれないな。完全には無理でも、ある程度は復元できる箇所があるから」
「……本当?」
彩紗はその日初めて、少女らしい笑顔を見せた。
「小型のロボットぐらいには作り直せるかもね」
麻梨花も彩紗の肩に手を置いて答える。
「ありがとう」
彩紗は深く頭を下げた。
💛
その日、世界企業スリーウェーブ社を長年にわたって脅迫し、代表取締役社長の令嬢を誘拐し監禁したとして、警察は某地下組織勢力を一斉逮捕した。
現場には不審な点がいくつかあり、すでに第三者によって荒らされた痕跡と、地下組織が強奪した金塊がそのまま残されていたという。
『ファントム』が事件に関与しているという噂は、SNSによって瞬く間に拡散された。
社長令嬢が依然として行方知れずのままだったからだ。
警察の威信をかけて大規模な捜索が行われたが、手掛かりは何一つ掴めず、一年が経ち、二年が過ぎて、捜査はやがて打ち切られた。
季節はめぐり、人々が哀れな社長令嬢の存在を忘れかけた時、東京湾に一人の女性の遺体が打ち上げられた。
遺体の身元は社長令嬢だと報道により発表された。
しかし同時期、週刊誌や裏サイトの掲示板などに、あれは社長令嬢の姿に似せた、まったく別の人間の遺体だと発言する書き込みが多数見られた。それは憶測の域を出なかったが、奇妙に国民の意識の奥底に根付いたのだった。
『ファントム』の人気は数年を経て衰えるばかりかさらに加速し、その組織の規模はもはや一つの都市を形成できるほどだと語られている。
熱狂的なファンの推測が日々さかんにネットに上げられているが、『ファントム』の主な実行犯は実際、たったの三人だという話だ。
『ファントム』は闇夜を駆ける怪盗集団。規格外の資産家から金品を盗み、民間人を決して巻き込まない、鮮やかな手法で世間を翻弄する。
それはまるで、日本人がずっと求めていた、理想の悪役さながらに。
『ファントム』は二十二世紀始まって以来の、悪夢のように実体のない、けれど人々の心を魅了してやまない幻なのである。
了
――Mary the phantom―― マリー・ザ・ファントム 読み切り版 泉花凜 IZUMI KARIN @hana-hana5
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