おキツネ様のお嫁様

富升針清

第1話 もぐらの恩返し

 私が幼稚園の帰り道に見つけたのは、不思議なしっぽをしたキツネの男の子だった。

 夕暮れの中、お母さんの手を取ってのぼる坂道の途中にある小さな祠の横に、透明になって行く尻尾を抱きしめてた男の子。

 今にも泣きそうな顔していて、私はお母さんの手を振り払ってその子のもとへ走ったの。

「どうしたの? お腹が空いてるの? これね、私のおかし。食べてもいいよ」

 幼稚園で貰ったおやつを、私は男の子に差し出した。

 私を見上げると、キツネの男の子は不思議そうに私の手を掴む。

「大丈夫だよ」

 私の中に流れ込んでくる怯えてる男の子の気持ちに、私は笑う。

 これが私こと天池こよりとキツネの神様、常頼(つねより)の出会いだった。

 

 

 

「わっわっわっわっ!」

 私の朝は遅い。

 目覚まし時計が鳴ってから、もう一度鳴るまで寝ちゃうから。

「こより、まだ髪を結んでないの?」

 お母さんが呆れた声をあげながら、急いでごはんを食べている私の髪を梳かしてくれる。

「だって、時間なくってっ」

 パンにベーコン、ポテトサラダにスクランブルエッグ。私は急いで口の中に入れてもぐもぐごっくん。

「もっと早く起きなさいよね」

「私だってもっと早く起きたいもんっ」

 お母さんに結んでもらった二つの髪を揺らして洗面所に駆け込み、顔を洗って歯ブラシを手に取る。

「お母さん今何時?」

「八時丁度」

「わっわっわっわっ!」

 あと十分しかないってこと? 私は大急ぎで歯を磨いて自分の部屋にランドセルを取りに行く。

「こより、おはようっ」

 そこには、私の毎日の寝坊の原因がにこやかな笑顔で立っていた。

「もうっ、おそようなんだってばっ。何で目覚まし時計止めちゃうの?」

 私の寝坊の反省なんてどこにもなくて、それに加えて私のランドセルを取れないように邪魔をしてくる。

 私がどれだけ怒っても、人形みたいに綺麗な顔で笑ってるまま。

 海外の俳優さんみたいな金色の髪に、赤い瞳の人形みたいな少年は私の弟でも兄でもない。

 なのに何で家にいるかって?

「だって、こよりの寝顔が可愛いからずっと見ていたくって」

「か、かわっ!?」

 にっこりキラキラと言われてもっ!

 そんなこと言うの、他にはお父さんぐらいしかいないんだからっ。

 思わず恥ずかしくて、そして嬉しくなりそうになるけど、今はそんな場合じゃない。

「そう言って毎日私遅刻ギリギリなんだからねっ」

 私は本当に困ってるんだからねっ。

「学校ぐらい行かなくてもいいじゃん。ゆっくり俺と寝なおそうよ」

 そう言って、私の手を引き再び私のベッドに連れて行こうとする。

 確かにまだ眠いし、ベッドでゆっくりムニャムニャしたいよ?

 でも、そんな誘惑に流されるわけにはいかないんだから。

「そんなわけないでしょ。ほら、早くどいてよ。本当に遅刻しちゃうんだからっ」

「はいはい。今日も俺の『お嫁さん』は忙しいみたいだね」

 私はランドセルを背負うと、邪魔をしてくれた人形みたいに綺麗な鼻をぎゅって摘まむ。

「まだ私、常頼のお嫁さんじゃないもんっ」

 そう言って、急いで部屋を出る。

 あの夕暮れの中で助けたキツネの男の子がまさか今も私の隣にいて、まさかそれがキツネの神様だなんて誰があの時思っただろう。

 そしてその時、キツネのお嫁さんになる約束をうっかりしちゃたなんて。

『またこより遅刻しそうだって』

『お母さんにまた怒られちゃうね』

 ハムスターのゲージの横にかけてある帽子をかぶりギロっと軽く二匹を睨むと、その様子をお母さんから睨まれてると気づいて大急ぎで家を出た。

「わっわっわっわっ! 行って来ますっ」

『また騒がしく出てくのね』

『もう学校についてる子もいるよ』

『今日も走るのかしらね』

 うるさい声が今日も上から降ってくる。

 聞こえないふりして走り出すと、赤い屋根の上にのった柴犬がキャンキャンと私に吠えてくる。

『あっ。キツネ様のお嫁様、おはようございますっ』

 いつも元気だけど、今日は本当に大急ぎっ。

 ごめんね、また帰り道。

『お嫁様、おはようございます』

 にゃーにゃー。

『お嫁様、お気をつけてっ』

 チューチュー。

『キツネ様のお嫁様、今日体育があるお忘れじゃなって?』

 チュンチュン。

 チュン?

「あっ!」

 右手にあるはずの体操服袋がない。

 私はスズメさんに頬を膨らます。

「もっと早く、言ってよねっ」

 スズメさんは笑うと、どこか遠くに飛んで行ってしまった。

 私にはキツネのお嫁さん以外にもう一つ、人とは違った不思議な力がある。

 それはね。

 

 

 

「人探し、ですか?」

 体操服を忘れた罰として花壇の雑草を抜いていると、一匹のもぐらさんが申し訳なさそうにチンパンジーの花に隠れて私を見ている。

 恥ずかしがり屋さんなのかなって思ったけども、そう言えばもぐらさんって日の光に弱いんだっけ? まぶしすぎると困っちゃうのかな。

『はい。どうしても助けていただいた恩人に礼がしたくて……』

 もぐらさんが頬を赤らめながら、そう言った。

 そう。私の不思議な力。それはこうやって、動物さんとおしゃべりすることが出来る力なのだ。

「助けてもった方、ですか」

 私がもぐらさんの言葉を繰り返すと、もぐらさんはうつむき加減に首を縦に小さく振った。

『はい。人間に見つかって、もうた駄目だと思ったのに優しく私を抱き上げてくださいましてね、柔らかい土の元に誘って下さいましたの』

 うっとりと話すもぐらさんは、まるで少女漫画に出てくる恋する女の子みたい。

「へー。素敵ですねっ」

 思わずかわいらしいもぐらさんの姿ににっこりしてしまう。だって、こんなに可愛いんだもん。

『ええ。だから、どうしてももう一度お会いしたくて。お願いできますか? お嫁様』

 もぐらさんは私に手を合わせた。

 それはまるで神様に祈るように。

「はいっ。任せてくださいっ! その代わり、お祈りは私じゃなくてキツネ様にお願いしますねっ」

『まあっ! 引き受けていただけるのね、お嫁様。どうぞよろしくお願いもうしあげます』

 私はこの不思議な力を使って、動物さんたちの困りごとを解決してあげているの。

 困りごとは今のもぐさらさんみたいに人探し、失くし物などの探し物から、近隣トラブル、喧嘩の仲裁やら色々。

 普通の小学生の私には無理難題も多いんだけどね。

 でも、困ってる人や動物さんはほおっては置けないし……、それにね。

「新しい依頼か?」

 もぐらさんが帰って、再度草むしりを再開しようとしゃがんだ私の影がぐにゃりと耳を生やして笑いだす。

「常頼?」

 名前を呼んであげると、影はまた大きく形を変えて常頼のが飛び出してきた。

「こよりっ。朝ぶりだな。寂しかったか? 俺は寂しかったっ」

「わっわっわっわっ」

 突然抱きつかれて倒れそうになるけど、ぎゅっと常頼が抱きかかえてくれてしりもちをつかずに済んだ。

「あ、ありがとう」

「嫁を守るのも旦那の仕事だからな」

 でも、常頼が抱きつかなかったら倒れそうにもならなかったんだけどな?

「それで、今回はどんな仕事だ? 信仰いっぱい貰えそう?」

「いっぱいはわからないけど、人探しだよっ」

 そう。私が、うんん。私達が動物さんたちを助けているのにはもう一つ理由があるの。

 それは、常頼の本来の力を取り戻すために『信仰』を集めてるから。

 私は神様じゃないからよくわからないけど、常頼は元々ここの土地で人間に祭られて祈られていた神様だったんだけど、いつしか常頼に祈る人が少なくなって、忘れられた神様になっちゃったんだって。いてほしいと思われないと、神様はこの世界にいれなくなっちゃて弱って消えてしまうんだって。そのことを聞いた時、私はまた元の神様に常頼が戻れるように力を貸すって約束したの。でも、人間に神様は本当にいるって言って信じてもらうのも難しい……。と、いうことで私もおしゃべりできるし、常頼も見える動物さんたちから信仰を得ようとしてるってわけ。

「……今回も少なそうだな」

 でも、動物さんたちの祈りである信仰の力は人と比べると随分少なかったり。

「ははは。でも、沢山助けてあげればいいじゃない。今回の人探しの話なんて素敵なんだよ? えっとね……」

 不機嫌そうな常頼は私が話し出すと仕方がないなって顔をする。

 そんな優しい顔の常頼が、私は大好きだったりするのである。

 

 

 

「猫さん、少し前にもぐらさんを助けてくれた人間って知らないですか?」

 学校の帰り道、友達と別れた道を引き返して私は情報収集のために動物さんたちに話しかける。

 私が動物さんとお話できるのは、皆には内緒なんだよね。

 言ってもいいんだけど、誰も信じてくれないし……。それに、常頼が黙ってた方がいいって言うし。

『もぐらぁ? 知らないわ』

 そう言って、猫さんは退屈そうに背伸びをする。

『あなた、キツネの嫁様でしょ? もぐらもすずめも猫とは相性が悪いのよ。それぐらい知っておきなさい?』

「あ、はい……」

 動物さんだっていろんな動物さんがいる。

 私に協力的な動物さんも居れば、こうやって特定の種族には厳しい動物さんも居る。

 

『もぐらぁ? 土の中の奴らに聞いてくれよ。彼らは我々と関わりを持ちたくないらしいから知らないよ』


『私達ともぐらは仲が良くないの。その話は聞かなことにしてくださる?』


『駄目よ。私達、もぐらがとんな形をしてるのかすら知らないのだから』


 私は公園のベンチで深いため息を吐く。

 何でもぐらさんに皆冷たいんだろう?

 今日出会ったもぐらのお嬢さんは、あんなにも素敵だったのに。

「こよりー」

 一人悩んでいると、常頼が私の肩を叩く。

「常頼……。どうしたの?」

 この時間は他の依頼者に会いに行ってるはずなのに。

「依頼は終わったの?」

「終わったもなにも、俺への依頼はこよりを届けることだから迎えに来た」

「えっ?」

「今日、赤い屋根の犬に挨拶しなかっただろ?」

「あっ」

 そう言えば遅刻しそうでそんな暇がなかったかな。

「その犬の彼女が、元気ないからが心配して俺に依頼してきたんだよ」

「そうなの? 悪いことしちゃったかも」

「さ、今から会いにいってやろう? うちの嫁様が自分のこと忘れちゃったんだって悲しんでるらしいから」

「うんっ」

 私が常頼の手を取ると、常頼は私をお姫様抱っこをして高く飛ぶ。

 これが神様の力、神通力。空の散歩はすぐに終わって、無事赤い屋根の家の犬さんの前に到着。

 本当はこの力是非とも遅刻の時に使ってほしい。

『お嫁様ーっ!』

「今日はごめんね」

 本当に悪いことをしちゃったな。

 急いでもいいことないよね。私は今日は人探しを中止しようと犬さんと楽しくお話していると、ふと常頼がもぐらの話をふってくれた。

「そう言えばこより、もぐらの探し人は見つかった?」

「それが、中々なくて……。みんな、もぐらさんの話になると口を閉ざすし困ってるの」

「ここらは人間たちが住む前にもぐらの一族が随分悪さをしてたからな。未だに確執があるのかもしれない」

 そうなんだ。そんな昔、私には知らないことばかり。でも、そうしたら本当に手がかりなんてないんじゃない?

 落ち込んでると、犬さんが私の膝に手を置く。

「こらっ! うちの嫁に気軽に触るなっ!」

「まだお嫁さんじゃないってばっ! 犬さん、どうしたの?」

 普段はそんなことしない犬さんなのに。どうしたんだろ?

『あ、僕知ってますよ!』

「え?」

『もぐらを抱えてた人、知ってます』

「えっ?」

 えーっ!?

 

 


「もぐらさん、あの人ですか?」

『まあ! あの方でございますっ!』

 こっそり物陰に隠れて犬さんに教えてもらったお兄さんをもぐらさんに見せると、彼女の目が輝きだした。

 本当に、あの人なんだ……。でも……。

「派手な頭だな。あれ、不良って奴じゃないか?」

 そう、まさか不良だったなんて。

「お礼、言いたいんだよね?」

『はいっ!』

 私が話かけるのか……。怖い……。

 どうしたものかと考えていると、その不良の人がたくさんの人に声をかけられていた。

 友達かな? そう思ってみていると……。

「ぎゃっ!」

 突然喧嘩が始まりだしてびっくり!

「わっわっわっわっ! け、警察さんに電話しなきゃっ」

「男なら喧嘩の一つぐらいどうってことはないだろ。しかし、これだけ数がいるとやや劣勢だな」

 よく見たら、不良さんがやられそうっ。

「今はそんな時代じゃないもんっ。えっと、えっと……、あれ?」

 携帯を探していると、手にいたはずのもぐらさんの姿がない。

「もぐらさんっ!?」

 まさかっ!

 私は急いで不良さんの方を見ると、小さな体で不良さんの前に達庇おうとするモグラさんの姿が見えた。

「だめっ!」

 あんな小さな体で喧嘩に巻き込まれたら一溜りもないじゃないっ!

 しかし、次の瞬間モグラさんに気づいた不良さんが、モグラさんを庇うように覆いかぶさった。

「お、男を見せるじゃん」

 男を見せる?

「バカっ! こんなことで男を見せなくていいんだよっ! 大変っ。不良さんがやられちゃう……っ」

 好きな人にそんなことをされて喜べるわけないじゃん。もぐらさんだってきっと……。

 悲しい思いをさせたくないっ。

「やめてくださいっ!」

 私は足を震わしながら、大声を張り上げた。

 今から警察さんに頼んでも、きっと間に合わない。

 だったら私が、私が止めなきゃっ!

「その人、血が出てますっ! やめてあげてくださいっ!」

 怖いけど、頑張らなきゃっ。

「は?」

 怖い人たちが、私を見る。

「お前、今なんて……」

 私の方に来て、怖い人が手を伸ばそうとした瞬間。

「俺の嫁になにすんだよ」

 いつのまにか私の前に立った常頼が、手を叩く。

「不敬な人間にはお仕置きが必要だな?」

 そう笑うと、常頼は自分の体から青い炎、狐火って名前らしいを出して怖い人たちにまとわりつかせた。

 突然の炎に戸惑う悪い人たち。本当に熱そうな人もいて、ちょっとやりすぎじゃない? って思ったけど私はそのままもぐらさんの元へ急いだ。

 不良さんはまわりの様子にびっくりしてるけど、しくしくと泣くもぐらさんは無事みたい。

 私は肩を撫ぜおろすと、不良さんともぐらさんの手を取った。

「え?」

「突然でごめんなさい。私、神様のお嫁さんなんですけど、お兄さんに伝えたいことがあるんです」

「……は?」

 そうだよね。普通そうなるよね。けどね。

「もぐらさん、いいですよ」

 しくしく泣いているもぐらさんは顔をあげる。

 実はね、私、動物さんと話せるだけの力じゃないの。

『助けてくれてありがとう。私、あなたに命を救われたのよ。覚えてるかしら?』

 人と動物さんの手を繋ぐと、繋いだ人に繋いだ動物さんの言葉がわかるようになるんだ。

 私が手を繋いでる間だけだけど。

『私、あなたがとてもやさしい人だって知ってるわ。いつも、私達動物にも人にも優しいってこと、沢山知ってるの』

「もぐらが……」

『あなたの傷つける人たちが私、嫌いよ。悔しいわ。なんで人間たちはあなたのことを知ろうとしないの……?』

「……」

『私、嫌いよ。私が嫌いよ。小さな私は大きなあなたを守れないから。私は優しいあなたに何が出来るの……? 何をかえせばいいの? 何をかえせれるの?』

 しくしくと涙があふれるもぐらさんに、不良さんは優しく手を触れる。

 そして。

「俺を知ってくれてありがとう……。知ろうとしてくれて、ありがとう」

 不良さんもまた、涙を流した。

 私は神様のお嫁さんで、常頼の力が戻る手伝いをしている。

 だけどね。

「お? 一件落着?」

「うんっ」

 泣きながら笑うもぐらさんと不良さんを見ながら私も笑う。

 皆の笑顔の手伝いをするのが好きんなだ。

 

 よかったね、もぐらさん。


おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おキツネ様のお嫁様 富升針清 @crlss

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る