第4話 邂逅
夜の帳が降り始め、家々の窓から漏れる灯りの色が少しずつ濃くなっていく頃。早めの夕食を終えた波木探偵事務所の面々は、思い思いの時を過ごしていた。
司は応接室兼事務室にあるロングソファーの真ん中に陣取り、特段興味も無さげにテレビ画面を眺めている。テーブルに並んだ缶ビールを水のように1本空けきって、早くも2本目に手を伸ばしていた。守希は食後の散歩へ。幸喜は食器洗いを終えると自室へ戻っていき、和太は司が座っている向かい側のソファーで読書をしていた。
司は他人に興味を示すタイプではなく、和太はあまり他人に踏み込まない。お互いぶっきらぼうであり、趣味が合うわけでもなく、守希や幸喜が絡まないと特別話すこともない。会話しても一言二言。テレビの音だけが聞こえる部屋で時間だけが過ぎ、ひとしきり飲み終わるか読み終わるかした方が先に部屋を出ていく。司が早く帰った時には馴染みの光景だった。
「面白いの、それ」
つまみを放り込んだ口をもぐもぐと動かしながら、司が問いかける。さほど興味があって聞いたわけでもなさそうだが、2人の会話は大体こうである。例外はあれど、とりとめもなくオチがある訳でもない会話に終始する事がほとんどなのだ。
最も、お互いに自分の時間を邪魔されたくないタイプであり、そういう意味ではこの2人は馬が合っていた。
「あ?あー……読み始めちまったからな。惰性ってやつだ。読むか?」
「ん?ううん、ノーサンキュー」
和太が本を差し出すが、司はそっけなく断って缶を口に運ぶ。
そんな暇があったら飲むわと言わんばかりに勢いよく喉を鳴らし、冷えた缶が離れた口元から漏れる吐息だけには、分かりやすく感情が現れている。
「お前、なんか趣味でもねえのかよ。早く帰ったって毎度酒飲んでるだけじゃ面白くねえだろ」
呆れたように呟く和太をよそに、司が喉を鳴らす勢いは止まらない。
やがて中身が少なくなった缶を左右に振ると、それを逆さにして指でコンコンと叩き、最後のひと雫を口に落とす。彼女はそれを味わうように飲み込み、満足気に大きく息を吐いた。
「余計なお世話。飲まなきゃやってられないっての。あーあ、ようやくお休みよ全くもう」
缶がテーブルへ置かれると同時に、声を弾ませ楽し気に。彼女はそのまま自由になった両手を上げて、んーっと満足気に伸びをした。
なるほど、普段では見られない声色仕草表情であり、いつもの仏頂面とは打って変って随分と顔が緩んでいる。酒が入ったからか、それとも普段気を張っているだけでこれが素なのか。
「趣味って言うならお酒が趣味ね。ただでさえストレス溜まる仕事だってのに、ありえないレベルの災害でもうてんやわんや。おまけに住む家も失って、今まで生きてきた環境が見事に変わっちゃってんのよ。酒も増えるってもんでしょ」
次々と零れ出る愚痴とは反対に、司は珍しく饒舌な上に声からは上機嫌な様子がありありと伝わってくる。垂れた目尻、緩んだ口元。
普段の仏頂面を見慣れている和太にとっては、笑顔で空き缶を頬に当てたり、残りを確かめるように底を振っている司は、まさに別人のようにも見えた。
「って事にして飲んでるだけじゃねえのか?」
からかうように和太が言う。すると、珍しく饒舌だった司がふっと静かになった。
信じられない、と言ったような。そんな風に思っていたの?と問いかけてくるような。両手で口を塞ぎ、いかにもショックを受けています、と言った表情で、ぷるぷると小刻みに体を震わせる。
「ふっ……くくく。やめろやめろ、気味悪ぃ」
漫画やアニメを思わせるリアクション。だんだんわざとらしさを増していく司の様子に、じっと目を合わせていた和太がついに堪えきれず噴き出した。それを見た司も、満足したように小さく鼻を鳴らす。
「気味悪いとは随分な言い草ねぇ。まあ、当たらずとも遠からずって事で。間借りしてる身だし、サンドバッグやら何やら持ち込むのも悪いでしょ。これでも遠慮してんのよ」
したり顔の司は3本目のビール缶を手に取り、小気味良い音を鳴らしてプルタブを引くと、またあおるように飲み始める。しばらくの後口元から缶が離れると、わざとらしくぷはーっと息を漏らした。
「遠慮する所がおかしいんだよおめぇは。急に人んちに転がり込んできたくせによ」
「そう?そりゃふぉうも」
口元を緩めながら悪態をつく和太に悪びれる様子もなく、司は残ったつまみを口に放り込み、ソファーにもたれかかるとまた視線をテレビへと移す。和太もやれやれと小さく首を振り、また視線を落とした。
司が退屈そうにチャンネルをコロコロと変えているうち、たまたま羽星市の話題を取り上げているワイドショーが彼女の目に留まり、ボタンを押す手が止まる。
戦争でもあったのか、爆弾でも落ちたのか。不可解なほどに荒れ果ててしまった街の様子が映し出されるも、その街に住む人間はおろか世界中の誰もが、何も知らない。覚えていない。
しかし突然いなくなった者は数え切れず、遺体となって見つかったケースも多くある。そんな現代のミステリーを前に、コメンテーターはあらん限りの空想劇を展開し、周りの出演者は突っ込みを入れる。
地下の秘密の実験場での事故、正義の異星人と悪の怪物の大乱闘、どこかの国が秘密裏に運んでいた大型爆弾の起爆、テロ組織の暗躍。
そんな、どこかで聞いたような話をひとしきり耳に入れた後、司はひと際つまらなそうにため息を吐くと、小さく舌打ちをしつつテレビを消した。
それからしばらくの間、事務所内は唾を飲む音すら響く様な静けさに支配されていた。あの出来事を思い返しているのか、司は何も映っていないテレビを、和太は閉じたままの本の表紙を、見るともなく眺めている。
やがて示し合わせたかのように同時に溜め息を吐くと、お互い顔を見合わせ、乾いた笑いを漏らすのだった。
「ただいまー!」
そんな静寂を破って、守希の元気な声が事務所に響く。彼女はいつにも増して忙しない足音を鳴らして2人のいる部屋のドアを開け、ひょこっと顔をのぞかせると、和太に声をかけた。
「すみません波木さん、さっき散歩中に女の人に声を掛けられて。なんか人探しをしてるらしくって、波木さんならそういうの相談出来るんじゃないかなって思って来て貰ったんですけど」
「ああ、構わねえよ。おい音蒔、その辺片付けてくれ」
和太が襟元を正しソファーから立ち上がると、司がはいはいと軽い返事をしつつ、ゆっくり立ち上がってテーブルの上の缶と皿に手を伸ばす。
守希が連れてきた相手にこっちですよと促すと、件の来客は俯きながらおずおずと姿を現した。
「あの……すみません、夜遅くに」
客人を見るや否や、2人の全身が表情ごと固まる。ぽかんと開いた和太の口からぽろりと煙草が落ち、同時に切れ長の目を見開くように固まる司の手からも空き缶が滑り落ちる。カーン、と軽い音が、にわかに静まり返った部屋に甲高く響いた。
1人の女性が、応接間の入り口に立っている。
その姿は、黒。ゴシックなどという可愛らしいものではなく、黒い髪、黒い口紅、服も上下ともに黒。爪には黒いマニキュアを塗り、白い眼帯をした、何かのコスプレかとも思わせる風貌。
黒と白の隙間から覗く顔は、ひと言で形容すれば美人である。しかし、その整った顔立ちのわずかな肌色すら異質に感じてしまうほどの黒い装いは、明らかに普通とは異なる印象を与える。
呆気にとられたように、来客の顔を凝視する和太と司。某動画投稿サイトでオカルト関連の動画を投稿してる人だよ、結構有名な人で――――と彼女を紹介する守希の声は、おそらく2人には聞こえなかったことだろう。
2人は知っていた。忘れられるはずもなかった。
彼女の顔、名前、境遇。邪神信仰の宗教団体、金色の彩雲に妹を人質にとられ、妹を助ける為に自分達を利用し、その結果教団に裏切られ捨てられた女性。
世界が忘れたあの事件の最中、燃え盛る教団本部から自分たちが助け出し、生きる希望を無くしながらも最後の最後に自分達を信じてくれた、漆黒の美少女。
異形の怪物に人生を狂わされながらも尚、異形となった自分達を、悪魔とはかけ離れたお人好しと呼んでくれた、あの――――
「照井、明日香です……行方不明の妹を、探してほしいんです」
しばらくの沈黙の後、声を発する余裕もなく、2人はただ静かに顔を見合わせた。お互いに動揺を隠せずにいる。
そんな2人の様子を感じ取ったのか、明日香は申し訳なさそうに俯き、口を結んでいる。時たまちらりと和太の顔を覗き、また目を伏せ、やがて消え入るような声で、ぽつりと。
「あの……やっぱりご迷惑ですよね。すみません、失礼しました」
そう言って軽く頭を下げ、ゆっくりと元来た方へ歩き出した。
「えっ?あ、ちょ、ちょっと!?」
守希は何が何だか分からないまま明日香に声をかけ、肩に手をやり引き留める。2人の方を見る顔からは、今にも何で?と聞こえて来そうな程だ。その視線で我に返った和太が、どうにか声を絞り出した。
「あ、あー、いや、失礼しました。どうぞこちらに、お話を伺います」
明日香は申し訳なさそうに向き直り、何度も頭を下げながらソファーに腰を下ろす。落ちた缶を拾い上げ、コーヒー淹れてくるね、と、司の手にある缶や皿を預かって元気にキッチンへ向かう守希を尻目に、落ちた煙草を片付ける和太。事が事だけに逃げるに逃げられなくなった司も、遅れて腰かけた彼の横に座るのだった。
傀逅~Light for Tomorrow~ @Mowyan228
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