第2話

 真っ正直に勝夫は切り込んだ。そして相手の反応を見る。

「……続けてちょうだい」

 三枝は不愛想に言った。

「いいんですか? ひょっとしたら長くなるかもしれませんよ。仕事とか溜まっていない……」

「いいって言ってるでしょう」

「じゃあ……。あの、僕が話し終わるまで、なるべくなら口を挟まないでほしいんですけれど」

 相手は年上だ。勝夫はさすがに恐る恐るという感じになって、そう申し出た。そして上目遣いに作家を見た。

「私はいいわよ」

 井口はあっさりと答えた。口元には笑みさえ浮かべている。

「あなたの話が終わるまで、ずっと黙っていてあげる」

「どうも」

 頭を軽く下げてから、勝夫は話そうと決めていたことを、頭の中に原稿の形で広げた。一度、両目をつむり、開く。井口三枝を見やると、押し黙っていた。

「僕はこの春、と言ってもつい、この間ですけど。とにかく、四月にK**高校に入学しました。ここを選んだのは、信江姉さんが通っていた高校だったということも、もちろん、あります」

 喋り始めて、自分の声がかすれていることに気付いた勝夫は、ジュースを飲んで、少し咳払いをした。

「どうしたの? 弁論大会は始まったばかりよ」

 三枝が口出しした。

 勝夫は、これには文句を言わず、すぐに話を再開させる。

「僕は入学してすぐに、文芸部の部室に行ってみました。僕は文章を書く才能なんてないんですが、姉さんがいた部を覗いてみたかったんです。それだけが理由じゃありませんけど」

 勝夫は相手の反応を窺った。だが、井口三枝の表情に目につくような大きな変化はなかった。

「文芸部では、古い部誌を見せてもらいました。文芸部が本を出していたことは、当然、先生もご存知でしょう? 文芸部にいたんだから」

 勝夫の『先生』という言葉に、井口三枝はわずかばかりの反応を示した。

「知ってるわよ。スターダストストーリーズ、略してSDSなんて呼んでいたわ」

「へえ、誌名がえらく長いなと思ったら、そんな呼び方があるんですか。エス・ディ・エス」

 口の中で繰り返した勝夫。実は、姉から聞いて、部の本に略称があることぐらい知っていた。別に意味はなかったのだが、相手にこちらの手の内をできるだけ知られたくない気持ちが働いたのかもしれない。

「姉さんの作品が載っているのを中心に見せてもらいました。ところが、一つだけ、欠けている号があったんです。SDSの十三号なんですけど」

「ふうん」

 勝夫が言葉を切ったので、仕方がないように三枝はそんな息を漏らした。

「そのときはたいして気にも留めなかった。一応、部員の皆さんに持っていないかどうか、尋ねたんですが、古い号だけに持っている人はいませんでした。

 でも、先輩が教えてくれました。『うちの部の本は全部、図書室の方に置いてもらっているから、そっちの方をみたらいいよ』と。僕はすぐに、図書室に向かいました。

 だけど、また問題の十三号を手にすることはできませんでした。不思議なことに、図書室に置いてあった本の中から、十三号だけが消えていたんです」

 わざと芝居がかった言い方をした勝夫。内心、どうだと思いつつ、彼は井口三枝を見つめた。

 だが、相変わらず、大きな変化は見あたらない。

 勝夫は気を取り直して、続けた。

「……僕は、図書室の先生に聞いてみました。『十三号が見つからないんですけど、誰かがかり出しているんですか?』。司書の先生の答は、僕に疑念を抱かせるに充分なものでしたよ。『なくなっていることには気付いていたのだけれど、つい、そのままにしてしまっていた』ということでした。あまり期待せずに、『いつ、なくなったのか、分かるでしょうか?』と重ねて聞くと、意外にも『去年の文化祭のあと、なくなっていることに気が付いたのよ』と、はっきり答えてもらえました。文化祭のあとは毎年、本棚の整理をやっているんだそうです。

 ところで、先生は――司書の先生じゃなくて、井口三枝さんのことです。先生は、去年の文化祭に来られていますよね。文芸部の招きで」

 しばらくの沈黙があって、相手は答をよこしてきた。

「そうよ。講演会をやってくれるよう、頼まれたの」

「その講演会、どこでやりました?」

「視聴覚教室よ」

 答えてから、三枝は慌てたように付け加えた。

「君、司書の先生に聞いて、もう知っているんじゃないの?」

「さあ、どうでしょうか」

 気取ってそう応じたものの、板についていないことは勝夫自身、よく分かった。段々、恥ずかしくなってしまい、普通の話し方に戻すことにした。

「視聴覚教室って、図書室の横にある教室ですよね」

「そうね」

「先生用の控え室として、図書室の一角を使ったということですが、本当ですか?」

「そうよ」

 次第に声が高くなる三枝。

「何が言いたいのよ」

「もう少し、待ってください。えっと、先生は当然のことながら、OBとして文芸部部室を訪ねましたよね?」

「そうだったわ。もっとも、知らない子ばかりになっていて、年齢を感じさせられちゃったけど」

 井口は苦笑しながら言った。

「分かりました。それでですね、文芸部部室にあったはずの十三号は、いつなくなったのか分からないということでした。古い物だから本棚の奥に立てておいて、滅多に見ることもなかったそうですから。

 話は変わりますが、姉さんは死んでしまう前に、こう言っていました。『自分だけいい目を見ようったって、そうはいかないんだから』ってね。あとで調べてみると、ちょうど井口三枝のデビューが決定した頃でしたよ、先生!」

「……」

「……」

 痛いくらいの沈黙が訪れる。

 が、それが長く続くことはなかった。滑稽にも、ちり紙交換の車の声によって、絶たれたのだ。

「ムード、ぶち壊しね」

 井口は立ち上がり、わずかに開けていた窓をぴしゃりと閉めた。

「さあ、続けてもらいましょうか」

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