海岸線

 渚に立っていた。波の静かな海岸だった。遠くに入道雲が見える。突き抜けた青空で鳥の群れが砕けた。直に日が暮れると思うと寂しかった。

 ひどく仕立ての良い背広を身に着けていた。足元は黒光りする革靴で、おまけに外套を腕にかけていた。おおよそ砂浜にそぐわない装いだが、不快なところはない。潮風が生地の間隙をすり抜けていく。遠浅の向こうから鳥の声がした。

 ひとりではなかった。傍には女が横たわっている。かつて深い仲になった女だった。目を瞑って、呼吸の様子すら見せない。死んでいるかもしれないが、それならそれでよいと思った。

 いつからか私の首は動かなくなった。ただ前を、海を見据えるしかできなくなった。女の方を見ることはできなかった。

 水平線の向こうに何か見えた。黒い点はだんだんと大きくなって、それがタンカーのようなものであると気づいた時には、私の頬を切りつける潮風の匂いに饐えたものが混じっていた。

 俄かに、女が私の知っている女ではないような気がしてきた。もしや、女ですらないかもしれない。そう思うと、なんだか嫌な気持ちになった。女でないなら、ひとりでいる方がいいと思った。

「寒くはありませんか?」

 誰かが言った。女の声であろうが、私の知っている女の声であるのか、判断はつかなかった。私は適当に、寒くないと伝えた。悪寒すらあるような気もしたが、伝えればきっと女はいろいろと心配する。早く寝ろとうるさいだろう。私は海を見ていたかったから、女と口をきかないことにした。

 長い時間が流れた。日は確かに傾きつつあった。夕暮れが迫っていた。

「ごめんください」と女が言った。私はふいにそちらを見た。あれだけ動かなかった首が回った。するとそこには、渚も人の姿もなく、薄汚れた墓石がひとつあるだけだった。

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