言霊様の思うとおりに 

すだもみぢ

第1話 助けを呼んできて。

 壁越しに敵が来るのを待機していれば、誰かが近づいてくる足音が聞こえた。

 ここで飛び出し正面から撃ちあうのは下策。

 幸二郎は相手が通り過ぎた瞬間、その後頭部に狙いねらいを定め、マウスをクリックした。

 画面の中の自分のキャラクターが、相手をヘッドショット一発で倒していた。


 その瞬間、画面に「Victory」の文字が流れる。

 幸二郎はほっと大きく息を吐き、頭からゲーミングヘッドセットを外した。

 気密性が高くて音が漏れない分、湿気や熱がこもって長時間使っていると、耳がかゆくなってくるのだ。


『くそぉ。こじこじ強えよ』

『さすがチャンプだけあるね』


 友達同士だけで遊べる限られた空間。ここにいるのは、ゲームの中だけ『こじこじ』を名乗っている幸二郎と、『アキラ』『M座』『salida』の四人だけだ。


 お互い殺しあい、最後に残った一人が勝者というバトルロイヤルの試合だったが、三人対一人を挑まれてしまった。

 なんとか自分一人で三人相手に勝つことができた。

 最後いいところまで接戦だったアキラが悔しそうにマイクチャットでぼやいている。


『こじこじは専用ゲーミングパソコンとかキーボードとかコントローラーとか持ってるんだろ。そんなんチートじゃん』

「うーん、あんまりパソコンの性能の差って関係ないよ? 速度遅延ラグは有線にしても出るし」


 使っている道具の差に文句をいわれても困ってしまう。確かにゲーム環境は恵まれている方だとは思うけれど、細かい位置調整とか後ろにジャンプしながら狙いをつけるテクニックなどは、毎日地道に努力した結果だから。

 恵まれた環境を手に入れて、そして努力もしたが、親が自分に干渉してこないからこそ、好き勝手やれた気もする。

 でも、もし、そんなところで差が出るようなら、経済力が自分より上な大人に子供は永遠に勝てなくなってしまう。

 子供でも大人に勝つことができる。

 それがこのゲーム「フロイラインオンライン」の魅力だというのに。


 ふてくされるアキラをどう慰めようかな、と思っていたら。 


『アキラは文句言うなら棒立ちになって射撃する癖を直しなよ。ジャンプ撃ちすらまともにできてないじゃん』

 

 そうsalidaサリダというハンドルネームの子がかばってくれた。マイクの音質がよくないから相手が男か女かもわからない。日本語を話しているけれど、もしかしたら外国人かもしれないのが、このゲームの恐ろしいところだ。

 このゲーム、友達になったといっても、フレンドのフレンドのフレンドとか、そういう繋がりや、マッチングで知り合ったりで、全員リアルで一度も会ったことがない。

 今日集まった友人も比較的仲がいいゲーム仲間だけれど、知っているのは全員が小学生というだけ。

 小学生限定の大会で知り合ったから、相手も同じ小学生だとそう思っているだけで、本当はどうかはわからない。

 オンラインでの参加もできたから、一応パソコンの内臓カメラで本人チェックもさせられたけれど、あのセキュリティの甘さだったらいくらでも不正ができるだろう。

 もっとも賞品は出ても賞金が出るような大会ではないので、不正する意味はないとは思うけれど。

 

『強くなりたいなら効率いい練習方法を、こじこじに訊けばいいじゃない。せっかくトッププレイヤーと友達なんだから』


きっぱりしたsalidaサリダの言葉にアキラも、もう一人いたM座もたじたじだ。salidaは黙ってしまった二人をよそにこちらに話を振ってくる。

 

『こじこじー、上手くなるコツってあるの?』

「うーん、やっぱり照準合わせエイム練習かなぁ。あと、動画配信者の配信を見て、立ち回りを意識するとか」


 結局は地道な努力が大事だよ、と言ってしまった。


 ふと時計に目を向けると、学校帰ってきてからちょっとだけする、つもりが、がっつりしてしまってて慌てた。

 

「ごめんー、もう、こんな時間だから落ちるね」

『そうだねー、宿題やんなきゃだね』

『じゃ、また』


 時間を見れば6時前。早いおうちだったら、晩御飯の時間かもしれない。


「僕も夕飯の材料買ってこよう」


 慌ててパソコンの電源を落とすと、財布を持って家を出た。

 

 兄はまだ帰ってきていないようだけれど、姉はいつものようにベッドの上に座って絵を描いているのだろうか。

 働いている両親に、家事能力が欠けている兄と姉のせいで、いつも家事は自分の役目になっている。

 弟だからと押しつけられているのではなく、本当に彼らはできないのだ。家事というもののセンスというものも世の中存在しているのだと思わされた。

 特に料理。

 洗濯ものは洗濯機が乾燥までやってくれるものの、畳んでしまうということができない。しまう場所がめちゃくちゃだったり。それくらいなら何もしないでもらった方がいい。


 でも、兄や姉と違って、僕は普通だからこれくらいしないといけないだろう。そうでないと、あの家にいる意味を見いだせないから。



 少しだけ早歩きで、お気に入りの道の方に向かった。

 夕暮れ時がちょうど、この道が綺麗だと知っている。

 この地域は古墳があちこちにあって、その古墳の入口の前の道は、夕日が沈むところが見られる。

 このまっすぐの道でサッカーはできてもドッチボールやバレーボールできない。柵を越えて古墳の中にボールが飛び込んだら困るからだ。


 古墳の中には入ってはいけないという立て看板と鳥居が入口に立っている。

 そして宮内庁という文字が最後にあるが、そこが何をしている場所なのかも知らない。


 最近来なくなってしまったけれど、変わらない場所だな、と思う。

 古墳の中に住む猫いないかな、と見ながら歩いていたが、遠くになんか見覚えのある人影を見た。

 相手が誰かわかったとたん、顔がひきつる。

 顔を合わせにくくて、この距離ではわからないだろうと思うが下を向いた。

 

 その人影は幼馴染のユキトだ。ユキトは、なぜか僕を嫌っている。

 幸い、イジメみたいなことはされていないが、話しかけても返事すらしない。

 叩かれたりはしなくても露骨に無視されるとへこむし、最近ではすっかり心が折れてしまって、こちらから話しかけることもやめてしまった。


 このままいけば鳥居の前あたりですれ違ってしまう。脇道も鳥居の先までない。

 それならば自分が先に鳥居を過ぎて横に曲がろう。

 それなら向こうに気づかれる前に自分は道を避けて逃げてしまえる。目的地まで少し遠回りになるけれど。


 僕は急ぎ足になった。その時、ちかっと何かが光った。

 鳥居の真ん前に鏡のようなものが置いてある。なんでこんなところにこんなものがあるんだろうと思いながら見ていた。

 しかし僕は速度を止めることなく、むしろやや足を速めて鳥居の前に足を踏み入れた瞬間だった。


 夕暮れの光をちょうど角度がよかった鏡が反射して、鳥居の中に光の道を作る。

 自分がその光を触れたら、猛烈な勢いで鳥居の中に吸い込まれた、気がした。

  

「え、なに!?」


 まるで穴に落ちていくかのように、鳥居の奥は光の渦。そこに引きずり込まれる瞬間、もしかしたら、このまま死ぬかもしれないと思った。 

 身体をひねって必死になって後ろを振り返れば、ユキトが鳥居の前にいるのが見える。


「ユキトぉ!!!!!」

 

 悲鳴をあげるより、先に、彼の名前を呼ぶ。


 直線の道だけど、向こうはスマートフォンをいじりながら歩いていたようだ。だからこっちを見てなくて、僕が引きずりこまれたのが見えなかったんだ!

 僕の声が届いたのだろう。ユキトの身体がびくっと震えた。どこから声が聞こえているか、とっさにわからなかったらしく、周囲を見回している。僕は必死になって続けて叫んだ。


「こっちだ! 古墳の中だ!」

 

 言葉の意図が捉えられたらしく、ユキトがこっちを見る。

 久しぶりに正面から幼馴染の顔を見た気がする。

 

「お前が僕のことを嫌ってんのとか、友達なんかじゃないとか思ってんのは知ってる! だけど、頼む! 誰か助けを呼んできて!」

 

 もう光に包まれて、彼と自分の間は遮断されてしまっている。

 最後に見えた幼なじみの顔は、驚きと怯えに満ちた顔をしていた。

 もしかしたら、恐怖でそのまま彼が逃げ出して、自分は見切られて見捨てられてしまうかもしれない。


 でも、それでもいいかもしれない。

 あいつは僕のことを友達だと思っていないかもしれないけれど、俺はまだ、あいつを友達だと思っているんだから。

 

 お前が巻き込まれなくてよかった。

 こんな咄嗟にそんな殊勝なことを自分が思うだなんて思わなかった。


 気づいたら白い光はなくなっていた。


 あれからどれくらい時間が経ったかわからない。


 僕はまず自分の身体をぺたぺた触ってみた。

 ポケットに入っている財布はちゃんと落としていない。

 しかし。


「ここは……」


 さっきまで夕方だったというのに、もう真っ暗になっている。

 秋の日は釣瓶落としというけれど、あまりにも早すぎる。

 今は何時だろうか。

 霧が濃くて、周囲に見えるはずの住宅街すら見えないでいる。

 しかし、いつも猫と遊んでいる石畳から離れてしまったのか、足元は雑草が生い茂っている。

 そこに、さぁっと細かい雨が降ってきた。

 

「やば、雨宿りしなきゃ」

 

 ひどい雨というわけではない。

 しかし雨具もないところで立ちっぱなしになったら身体を冷やしてしまうだろう。

 古墳の入り口には屋根がある小さな小屋のようなものがあるのを知っている。

 通り雨が止むまで、そこで雨宿りさせてもらおう。

 とりあえず、日が昇ってから動き出すことに決めて。雨が当たらないように、身体を縮めてそこに座ったが。


「……めちゃくちゃ蒸すなぁ……」


 雨のせいで蒸すけれど気温が下がってきて、身体が冷える。暑いのか寒いのかよくわからない感じだ。

 現実感がなくてなんとなくぼうっとしてきた。

 そんな中で、いつの間にか目の前に、シャボン玉のようなもやもやが現れていた。

 

「俺、夢でも見てるのかな」


 そう思って頬を叩いてみるが、普通に痛いし。

 そのもわもわしているものにそっと触れれば、中から何かが現れた。

 

「おにぎり……? 毛布? あ、お茶もある」


 これで夜を越せということだろうか。ご飯にしては量が少ない気がするが、ありがたい。

 毛布で体を包みながら、考える。これは寝てもいいのだろうか、寝たら死ぬパターンだろうか。

 もそもそ食べながら周囲を見回せば、野生の朝顔が花開いているのが見える。


「もう10月になるのに、朝顔が?」

 

 目の前の朝顔は一年生の時に学校で一人一鉢育てた朝顔より花も葉もずっと小さい。野生の朝顔だとこんな感じなのだろうか。


 朝露なのか、雨なのか、それに雫が落ちている。

 毛布にくるまって、どこか幻想的な白の中に青い色が落ちている様を見守ってた。


 霧が発生して周囲の見通しが悪い。

 朝になり、太陽の光が差し込んで、周囲の霧を熱であぶってはらしていく。

 やはり、あまり上手に眠れなかった。

 昨日見つけた朝顔は、その鮮やかな青一色の花から、ころりと水滴を地面に転がした。

 うとうとしていたが朝になり、周囲を見回して確信した。

  

「ここはうちの近所どころか、日本でもなさそうだなぁ……」




 

<問題:どうして幸二郎はそこが自分が住んでいるところではないと確信できたのだろうか。>



 

********


 

 ユキトは走っていた。

 光の中に消えていった幼馴染の言葉を守るために、ただ必死になって……というより、わけのわからないことに巻き込まれそうになった恐怖を振り払うためにも走ってた。

 幸二郎と話さなくなってから三年以上経っていた。

 そのきっかけを思い出して唇を噛む。  


 馬鹿野郎。なんで俺がお前に冷たくしてるとか、全然気づいてねえ!!! わかってねえ!


 そう心の中で罵倒するのは恐怖の裏返し。

 幸二郎に対して怒っていなければ、混乱して座り込みそうだった。


 お前が母ちゃんに、俺が詩音を好きなことをバラしたの、絶対許さねえからな。

 詩音はユキトが何年も思ってる学年一可愛い女の子。

 頭が良くて真面目で優しくて。別に可愛くなくてもいいのに。きっとそれでも好きになるから。

 そんな彼女への憧れを込めた思いを、唯一知っていた幸二郎は言いふらして笑いものにした。絶対に誰にも言わないと約束したのに。

 母ちゃんが「ユキトは詩音ちゃんのこと、好きなんだって?」と聞いてきた時に驚いた。

 だから、約束を破った幸二郎がどうしてもそれが許せなかった。信じていたからこそ、絶対、許してはいけないと思った。


 嫌ってる? ああ、確かに俺はお前なんか嫌いだよ。

 でもなぁ、友達じゃないなんて思ったことは一度もないんだよ。俺はお前に怒ってるだけでな。

 

 誰かを呼びたいのに、おかしい。こんな時間は確かに観光客が古墳を見に来ることもないだろう。

 しかし、今日に限って誰もいない。

 住宅街が近いということで通行人もいたりするのに。

 とりあえず人通りが多い、近くの私鉄の駅の方に走ろうと駆けていく。

 

「あれ、ユキトくん、どうしたんだ、そんなに走って」

 

 大通りに出ようとしたら、左から出てきた人にぶつかりそうになってしまった。

 声をかけられて足を止めた。無理にブレーキをかけたので踵が変な風に地面にぶつけてしまって少し痛む。

 

 そこにいたのは幸二郎の兄だ。近所の高校の制服にスクールバックを肩にかけているから、学校帰りなのだろうか。

 この地域で知らない人がいない有名人な天才坂瀬川3兄弟の一番上。

 県下一の名門校にさらっとトップで入る秀才で、しかし家で勉強している姿を見たことがないと幸二郎が言っていた。

 久しぶりだね、と笑顔を向けられる。ひょろっと背が高くて、気づいたら眼鏡をかけるようになっていて。そんな彼の裏の顔は発明家だったりする。


「謙太郎兄ちゃん!」


 うっかり謙太郎のことをそう呼んでいた。

 幸二郎と疎遠になっていたし、よその兄のことをそう呼ぶなんて恥ずかしくなってきていたから、ここのところは謙太郎さん、と呼んでいたのに。

 しかし今はそれどころじゃなかった。

  

「幸二郎が! 幸二郎が、あっちで、変な光が出て……!」


 どう説明したらいいのかわからなくてもどかしい。

 自分の拙い説明でどこまでわかっただろう。

 涙の方が先に出て、古墳の方を指さしながら異常があったことだけ説明しようとしたが、謙太郎兄は見た方が早いと判断したのか、俺の背中をぽんと叩いた。


「落ちついて? とりあえず、あっちで何かがあったんだね?」


 謙太郎を引っ張るようにして走ってきた道を戻っていく。彼は律儀に丁寧に路傍にまで目を配っている。

そして、幸二郎のいなくなった場所を教えても、何も見えなくて首を振った。


「怪しい跡はないけど、これって不審者による誘拐かな?……幸二郎っていうのは君の友達かい?」


 真面目な顔をして変なことを言っている謙太郎にあっけにとられてしまった。

 

「何言ってんだよ……あんたの弟だろ」  

「弟? 俺に弟はいないよ?」

「ふざけてる場合じゃないよ! 消えたのは坂瀬川幸二郎! あんたの弟のことだよ!」


かっとなって怒鳴ってしまった。バカにされていると思ったからだ。

俺は真面目なのに。

しかし、謙太郎兄も真面目だった。心の底から途方に暮れたような困ったような顔をしている。


「本当に落ち着いてよ。どうしたの?」


 そして衝撃の言葉を吐いた。


「俺には妹しかいないって、君だって知ってるだろう?」



 

 *****

 

 

 俺はどうしても納得がいかなくて、謙太郎のついていき無理やり坂瀬川家に上がり込んだ。

 ちらかっているから恥ずかしいから嫌だ、といわれたというのに。そんなのどうだっていい。実際、相当に散らかっていたけれど。


「幸二郎の部屋行くからな!」


 そう言って勝手に、それこそ勝手知ったる家を上がり込む。

 もう何十回となく来た家だ。あれから模様替えとかしてなかったら部屋も変わってないだろう。

 カーテンすら変えてないのに、部屋の交換なんて大仕事してないと思って入ったら、幸二郎の部屋には段ボールが積んであった。


「ほら、ここは物入れだよ……本当にどうしたんだい?」


 謙太郎兄が俺を気遣うように話しかける。俺がよほど心配に見えたらしい。


「嘘じゃないよ、ほんとだよ!」


 幸二郎の存在がないのがどうしてなんだかわからない。

 俺は半泣きになりながら叫んだ。

 

「俺には君が嘘をついているように思えない。まず、俺にそんな嘘をつくメリットが君にあると思えないし。この場合、君がそう思い込んでいるだけであるケース。俺がそれを本当に忘れているケース。いろんなケースを考えられるよね」

「幸二郎はここんちの子だよ! 俺の目の前で消えたんだ」

「君の話が本当だとして、状況を整理してまとめようよ」

「本当だってば!」

「そうだとしたら、どうして君だけ幸二郎という子の記憶が残っているのかという検証はした方がいいだろう?」


 落ち着いて、離す謙太郎にじれじれしてしまう。この本質から理系頭め。

 謙太郎兄は居間のテーブルに座ると、俺が話した内容を丁寧に箇条書きにしていく。

 俺はそれを確認しながら、もう一度説明しなおして、補足していった。


 二人で色々と話しこんでいたら、そこに細い女の声がした。


「謙太郎……」

「亜里沙、どうした?」


 見たら、天才坂瀬川兄弟の第二子で幸二郎の姉。引きこもりで不登校気味なためあまり話したことはないが、うちの兄貴の同級生でもある、亜里沙姉が出てきていた。

 ここ最近部屋から出てきてるところを見たことなかったが、どうしたのだろう。

 亜里沙はぽつんと呟いた。元々彼女はぼそぼそ話している。


「絵が消えた」

「え? 俺は部屋に入ってないよ? さっき帰ってきたばかりだし」


 それを聞いて、泥棒? と一瞬思ってしまった。


 中学生でも既に画家として活躍している亜里沙の絵はファンが多くついている。

 亜里沙姉の絵はNFTで取引されているデジタル絵だけでなく、アナログ絵も相当な値段で取引されているから。

 それを狙って盗難か、と思って不安になって謙太郎と亜里沙を見てしまったが、それにしては亜里沙は落ち着いている。


「来て」


 亜里沙に連れられて部屋に入った。

 全体的に白か黒か灰色かしかない。意図的に無彩色にしているのだろう。

 それと対照的にキャンバスとか画材だけが華やかな色だった。

 中学生女子と思えないくらい地味な部屋と思ったら失礼だろうか。


「……貴方たちの話を聞きながら、……スケッチブックにラフ絵を描いてた。もし私に弟がいて、いきなり変なところに独りぼっちだったら……可哀想……。そういうところで……何が必要かな……って思いながら……」


どうやら亜里沙姉はドア越しに俺の話をきいていたらしい。

 

「……でも、完成したら、絵が消えた」

「なんの絵を描いていたんだ?」

「……おにぎりとお茶と毛布」


 ばかばかしい話だ。絵が消えるだなんて。描いていることを忘れたという方がよほど信じられる。

 それを聞いていたユキトでさえそう思ったのに、しかし、亜里沙は大真面目だった。先ほどの自分のように。

 そして彼女はじっと俺を見つめる。


「私の絵は、きっとその弟? のところに行ったんだ。……だから私は……ユキトくんの言葉を信じる……」


 


 *******



 幸二郎は綺麗な青色の朝顔を手に取った。それは小さなラッパのような形で色むらがなかった。

 

「日本はどこも多かれ少なかれ酸性雨が降る……。そして、ここの地域は酸性雨のphが特に低い」

 

 夏休みに育てていた朝顔を思い出す。


 小1の時に毎朝、朝顔の花の数を数える宿題が出ていた。そして二日は朝顔の絵を入れて、観察日記を描かなければならなかった。

 スケッチしようと見た朝顔は、夜のうちに降った雨で濡れ、ピンクの水玉が入ったまだら模様になっていた。

 時間をかけて苦手な絵を描いたから覚えている。

 画才は姉が母の腹で全部持っていったのではないかと思うくらい、絵を描くのは苦手だった。

 当時中学生だった兄に訊いたら、酸性雨のせいだよ、と教えてくれた。

 そして、リトマス試験紙のことも教わった。

 青いリトマス試験紙は酸性に触れると赤くなる。それと同じ成分が青い朝顔にも含まれているということも。 


「ここの雨は酸性ではない。日本は全域で酸性雨が降ってるから、ここは日本じゃない。ということは、僕が知らない何かが現れるかもしれない。……用心しなくちゃ……」


 自分の常識と違う世界だった場合、出会い頭に殺される可能性がある。

 そんなのはお断わりだった。

 まず自分がしなくてはいけないのは、周囲のことを知ること、そして理解すること。


 まず、いったいここはどこなのだろう。

 

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言霊様の思うとおりに  すだもみぢ @sudamomizi

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