52.『滅び』



はなむけ


 思わず蜻蜒せいてい安堵あんどの溜息をもらす。右腕を擦りむいたのか、指先まで血が一筋したたっているものの、上手い具合にぎりぎりのところで落下をまぬかれたらしい。


「皆が心配しているぞ。無事でよかった」


 しかし、はなむけはきつく眼を見張り、唇を引き結ぶばかりだ。蜻蜒せいていも餞の様子がおかしいことに気付く。


「――餞」


 一歩を踏み出すと、餞はじりっと尻で後じさった。


「どうした餞。腕が痛むのか? それとも脚でもくじいたか?」


 云いながら、擦りむいた右腕の様子を見ようと手を伸ばす。しかし、その手は拒まれた。餞が左手で退けたのだ。


「はな――」

「だめだ。僕に近よるな!」


 常にない強い調子で叫んだ餞に、思わず蜻蜒も動きを止める。餞は負傷した右手の手首を左手でつかみ、ぎゅっと小さな身軆からだを縮めた。

 しばし、二人の合間で沈黙が落ちる。

 先にこえをかけたのは蜻蜒だった。


「餞」

「――……。」

「私に触られるのが嫌ならそれでもかまわんが、ともかく歩けるか歩けないか、それだけでも教えて欲しいのだが」

「――……。」


 縮まったままの餞に、蜻蜒はほっと嘆息する。眼光自体はしっかりしているので、そう大した怪我でもないのだろう。


「下に救急車を呼んである。人馬笛じんばぶえの怪我がひどくて」


 びくり、と餞の身軆からだがゆれる。


「お前も一緒に乗って行ける。――だから」

蜻蜒せいてい


 突然名を呼ばれたため、蜻蜒の言葉は中途で途切れた。


「……なんだ」

「蜻蜒。君さ、『飛烏とびがらす童話』を知っているか?」


 餞は、なおも唇をぎゅっと結んでいる。


「――飛烏、か? あの寓話の?」

「そうだ。あの飛烏だ」

「その『飛烏童話』がどうかしたのか?」

「あれのラストで、男の子が一人死ぬだろう? 蜜色に輝く柘榴の小石を食べて、腹が破れて死んだ男の子が」

「いたが、それがどうした」


 餞は、自嘲かのごとく「ふふ」と笑う。


「君ならば知っているかと思ったんだけど。『飛烏童話』の中に出てくる病と酷似している病が、実際存在していることを」


 何を云っているだと思った次の瞬間、蜻蜒は餞の言葉が示そうとしているものに考えいたった。


「餞――まさか」

「うん。僕はね、〈柘榴病〉のキャリアなんだよ」


 蜻蜒は思わず息を呑み、それから慌てて手を引いた。恐れでなく、実際〈柘榴病〉キャリアの血液に触れることが危険なのだと知っていたからである。しかも、今の己は掌を負傷しているのだ。


「――何型なのだ?」


 成る丈、心静かに問いかけると、「さすがに詳しいな」と餞は微笑んだ。


「弐型だよ」

「――……。」


 『ウィルス性血液凝結疾患』の三種中、最も感染力が強いのは弐型だ。母子感染が、その主な感染ルートとされている。胎児は胎内でウィルスに感染し、キャリアとして誕生する。キャリアとは、生まれながらウィルスを持っている者のことで、感染はしているが発生はしていない段階のことを指す。


「だから、僕に触っちゃだめだ」

「――ああ」


 蜻蜒がうなずいてみせると、餞は溜息のような笑みをこぼし、首を横にふった。餞は自身が羽織っていた上着を脱ぎ、破れた袖の部分をびりりと縦に裂いた。片端を歯でくわえ、腕にぐるぐると巻きつける。ぎぎっ、と唸るような聲が餞の咽喉からもれた次の瞬間には、すでに作業を終えていた。


「自分が〈柘榴病〉のキャリアだと知ったころから、自分の血の始末は自分でするようになったよ。どうだ? 手なれたもんだろう?」

「――ああ。いい手際だ。片田舎のお医者さんぐらいなら充分通用するんじゃないか?」


 蜻蜒の軽口に、餞はふふっと微笑んだ。


「病をうつすことは本当に恐いよ。相手にどれほど憎まれるか。――いつも、そのことばかり考えながら生きてしまう」


 蜻蜒ははっと息を呑んだ。


「まさか、お前がまにまに王國を出たのは……」


 餞は真ッ直ぐに蜻蜒の眼を見ながら、肯いて見せる。


「そう。母さんが人に病をうつしてしまったからだよ。弐型だからね、母さんの息子であることは、つまり僕も感染していることを指す。――人を、殺したのだよ。僕達親子は。もっとも――母さんは、まにまにを出る前に死んでしまったけれど」

「――父親は」

「知らない。母さんに〈柘榴病〉をうつしたのもそいつらしいけど、今頃どこで何をしているのやら」


 餞は、何程の感情もうかがえない蘇芳色の睛で、遥か遠くを見る。


「じゃあ、今お前は誰の元にいるのだ」

「担任だよ。「付け足し貝」のところで厄介になってる。あの人は、わざわざまにまににまで僕を訪ねてきて、後見人になってやると云ったんだ」


 さわさわと風が吹き、餞の細い髪を揺らした。


「僕にはね、好きな人がいるんだよ」

「――……。」

「でも、彼女に病はうつせないから」

「それは……」

「僕はね、『魂音族』と呼ばれる存在なんだ。蜻蜒、君『魂音族』のことを知っているかい?」

「ああ。――私も、『魂音族』だからな」


 そこで、初めて餞は眼を見開いた。


「ほんとうか?」

「ほんとうだ。どうやら、半身はまだ誕生していないらしいが」


 『魂音族』には、己の半身が現世に存在しているか否かを探る能力が備わっている。蜻蜒自信、己が『魂音族』であることを特に重視したことはないが、それでもその事実は、蜻蜒の内側に、他の少年達とは異なる思いを埋め込んでいた。そしてそれは、餞も同じなのだろう。


「餞。君は半身に再会したのか?」

「ああ」

「その、半身はお前が相手だと知っているのか?」

「ああ。彼女も僕のことを思ってくれている。幼馴染みでね、とても大人しい子だ。だけど、彼女はあまりに立場が重すぎる」

「立場、が?」

「僕の思いはどこへも行けない。――彼女に病はうつせないけれど、彼女は僕とでなければ子が遺せない。――これで、まにまに王國は滅びてしまうんだ」

「餞。それではお前の半身は……」


 まにまに王國の王族は、代々女性しか生まれない。そして、生まれる全員が『魂音族』であることは周知の事実だ。

 餞は静かに微笑み、自力で止血を終えた掌を眼の前にかざした。血に塗れた白い指は、怒りと哀しみを凝縮させた感情を込めて、握りしめられる。



「僕という存在は、終焉を招きよせる『滅び』そのものなんだよ」




 ――これこそ、蜻蜒を〈柘榴病〉研究に導いた切欠だった。


 十一歳で、餞が〈柘榴病〉キャリアだと知り、十二歳で『傳承でんしょう上に見られる病と藥の實軆じったい』という研究論文を学会に提出した。それが世間に認められ、蜻蜒は史上最年少である十五歳で白髪式をむかえる。


 白髪式を終えた後、蜻蜒は薬学研究所に、やはり最年少研究者として登録された。翌年、高學四学年の蜻蜒は、終に〈柘榴病〉壱型の予防ワクチン精製を成功させる。その後、立て続けで弐型・參型の予防ワクチンも完成させた。その業績から、蜻蜒は医学団体より認められ、特別功労賞を授与する。


 年末には県の教育委員会から特別許可がおり、高學五年、十六の年に蜻蜒は飛び級スキップで、首都の国立医大に主席入学を果たした。同年、風の便りではなむけが皇太子と婚姻を果たしたと聞く。幼いころの予想を寸分も裏切らず、己等は全く異なった道を歩んでいた。


 日々はつつが無く過ぎてゆく。大学一年終了も主席で通し、二年進級時には返還義務なしの奨学金が受けられると、春期休暇中に大学から通達がとどいた。




 ――はなむけが、〈柘榴病〉を発生したと聞いたのは、そんな矢先のことだった。





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