八.過去回想(涅槃)
53.過去回想(涅槃)
実家の病院は、
『馬頭琴 餞ノ病状ハ最終段階デアル第三次ニ突入シテ居リマス。至急帰郷サレタシ』
血相を変えて駆けつけた
「蜜色小石」は肝臓で精製される。肝臓体積の三分の一は、すでに「蜜色小石」で埋められていた。
「貴方なら、云わなくてもわかると思うけれど――」
伏し目勝ちに溜息をついた姉の言葉に、蜻蜒は首を縦にふらざるを得なかった。ここまで病状が進行していては、
「もう、駄目なのでしょう」
溜息を吐いた姉は、「予想していたよりも、二ヶ月近く頑張ったのよ、彼」と呟いた。
餞の内腑を写した写真に、蜻蜒は震える掌を這わせ、「くっ」と咽喉を鳴らした。写真の中においてでさえ、「蜜色小石」が増えてゆくような気がする。
蜻蜒はうつむき、拳をきつく固めた。
病床に臥した餞の顔色は、黄色く濁っていた。
「久しぶりだな、蜻蜒」
「あ、ああ」
あまりの変貌に、蜻蜒は一瞬言葉を失った。寝台が窓際にあるため、
「しかし、実際に発病して驚いたよ。本当に「蜜色小石」を吐くものなんだな」
「――吐いたのか……?」
「ああ。ここ一週間ほどのことだが」
それは、すでに躰内で「
「琥珀柘榴」とは、早い話が寄生虫だ。基本的に〈
動揺を必死で押さえ込み、蜻蜒は手近な椅子に腰を下ろす。
「――まだ、おめでとうを云っていなかったな」
蜻蜒の言葉に、
「ありがとう」
「一月六日だったと聞いているが」
「ああ」
「いい誕生花を持っている。――確か、
「そう。花言葉は、「若返り」と「新生」だ。中々嵌まっていると思わないか? 僕の変わりに、次はこの子達が生きるんだ」
「餞」
「そういえば蜻蜒、君、僕の誕生花が何だか知っていたかい?」
「――ああ」
「凄まじいだろう。子供達以上に、僕の方が嵌まっていた」
餞の誕生日は六月二十八日。誕生花は――柘榴である。
「しかし、お前の誕生花の花言葉も、「再生」と「希望」だろう?」
「希望、か……そうだな。僕が頑張らなくては、な」
伏し目がちに呟き、餞は骨に皮が張りついたような指先で前髪を掻き揚げた。その動作に続いて、手首に繋がれた点滴の管がぞろりと動く。針が上腕部でなく手首に刺されているのは、上腕静脈に繋ごうにも、すでに表皮が硬くなり、針が通らなくなっているからだろう。刺し位置から、手首外側にある
今年の初め、皇太子は餞の子を産んだ。
二人の間に生まれたのは、双子の姉妹だった。二卵性双生児で、姉には
それが、ほんの半月前のことだ。
「――だけれど、僕はもう長くない」
餞のその言葉に、蜻蜒は息を呑んだ。
「
長閑、とは餞の細君の名だ。確かに、結ばれた幼馴染みと二十歳も迎えず死別するなど酷な話であろう。
「ねぇ蜻蜒。君には感謝してるよ。君のお蔭で、僕達の子供に〈柘榴病〉が遺伝されずにすんだ」
「――別に、お前のために研究を進めたわけではない」
「君は、必ずそう云うと思ったよ」
餞は力なく笑い、窓の外へと視線を転じた。
「蜻蜒。君は、僕が研究していたのが何か、憶えているか?」
「――『魂音族』の研究だろう」
「ああ」
餞は「ふふ」と笑い、次いで溜息を吐く。
「でも、本当に主として研究していたのは、それじゃないんだよ」
「――なに」
「僕は、ずっと魂の行方を知りたかった。魂は何度も輪廻転生を繰り返す。だけれど
「――……。」
答えられぬ蜻蜒は、黙って次の言葉を待った。しばし、二人の呼吸だけが室内を満たす。餞は、身動きすらしないで、ただ舞い落ちる梅を見ていた。
「ねぇ蜻蜒。梅は桜より白く、桜より華麗だ。だけど、そこに魂の色彩が感じられるか?」
「魂の?」
餞は首をこちらに向け、にこりと笑った。
「日本には、こんな云い伝えがある。――日本こと
「死んだ魂は樹木の養分になる、か」
「そう。そしてね、生と死の狭間を最も端緒に表す樹木は、桜花なんだそうだよ。――だから日本は、桜を最も美しく咲かす
りりりりり、と突然時計が鳴った。餞は「昼寝用めざましなんだよ」と、苦笑交じりに時計の頭を叩く。叩くと呼ぶより、力ない腕が重力に負けて落ちたと蜻蜒には見えた。思わず息をつめる。
ちん、と余韻交じりに沈黙が垂れた。
「僕という魂は、今最後の人生を生きている――そんな気がするよ」
「何を気弱なことを云っているのだ」
「ただ気弱なだけの言葉だと思うか? 僕達は『魂音族』だよ? 自身の魂の状態や癖は見抜ける。そうだろう?」
餞の言葉は事実だった。確かに蜻蜒自身も、己の魂がどう云う状態にあるのか知っている。彼がそう云うのならば、確かに彼の魂は限りを迎えているのだろう。
「それにね、僕は倖せなんだよ」
「倖せ?」
「これが長閑と過ごせる最後の人生かも知れない。でも、それはつまりこれで僕達は完成されるという意味でもある。僕はね、本当に満足なんだ。僕という魂は最期の時を迎えて、死ぬためにこの邦へ生まれた。それは、桜花が散るように魂を散らせられるということだ」
餞は、じっと蜻蜒の眸を見、やおら左口許を持ち上げにやりと笑った。
「――蜻蜒。僕はね、今だって君のことなんか大嫌いなんだよ」
その三日後、餞は息を引き取った。
享年、十八歳であった。
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