10.『はじめのご対面』



 ハル子さんが食事をしている間、うつぼ君、偽古庵にせこあん様、珸瑶瑁ごようまい先生の三人は談笑しながら席に留まっていた。ハル子さんの食事が片付くまで待ってくれているのだろうと思いきや、ハル子さんがトレイを返し終えて戻ってきてもまだ立ち上がる気配がない。どうやら本当にただ談笑していただけだったらしい。珸瑶瑁先生だけが、戻ってきたハル子さんに微笑んで見せた。

 彼は偽古庵様の家庭教師兼侍従であるから、彼の側に控えていて当然である。それでもハル子さんに気使いを示してくれたことは明白だ。――しかし明らかにうつぼ君と偽古庵様は何も考えていない。ただただ談笑しているだけである。

 同じ男でもよわい違えばやはり違うか。


「そう云えば偽古庵にせこあん、お前、経済の課題終ったか?」

「それは終ったんやけど、エスペラントが片付かへんねん」

魚篭びく先生は容赦ないからな。それはみてやるから、代わりに薬学の課題、後で確認してくれないか。最終設問お前が作っただろう」

「あれ、ようわかったな」


 会話から、二人がただの幼馴染みでなく級友なのだと知れたが、これでは会話に口を挟む余地がないではないか。


(やれやれやー)


 溜息交じりに斜め前方の円卓へと視線を移した。そこには、こちらの円卓と同じく談笑する立破りっぱさんと、いと蜻蜒とんぼさまの姿がある。


「――じゃあ、昨年発掘された竜骨の化石は、紀元前300年前後のものではなく、前500年頃のものだと云うことですか?」

「ハイ。近々学説が引ッ繰り返りますからね。楽しみにしてらっしゃい」

「やっぱり『出世蚯蚓しゅっせみみず族』は興味深いなぁ。人生で一度くらいは、その脱皮の瞬間を見てみたいものです」


 何だかこちらも『学校』臭い会話であるもよう。


 気付くと、音楽はいつの間にか取りかえられていたらしい。耳に入ってくるのは交響楽でなしに、うろうろとどっちつかずなピアノ曲。まだ多少眠気が残る目蓋まぶたに相応しいショパンのワルツ第七番へいハ短調・作品64‐2となっていた。


 時計の時針が十一時を回ったのは、それから間もなくのことである。




 ハル子さんが遅い朝食をとり終えた直後、全員は古里フルサトさんの案内あないで例の大宴会場へと通された。全員に先んじて脚を踏み入れたうつぼ君が、「おお」とこえをあげる。後に続いたハル子さんと偽古庵にせこあん様も、中の様子が眼に入った瞬間、同じように感嘆のこえをあげていた。


 モーツァルトの『アイネクライネ・ナハト・ムジーク』がベタに流れている。


 一晩を経た大宴会場は一体何時準備したのか、実に美しく飾り立てられていた。円卓にはリネンのテーブルクロスがかけられ、垂れ下がった余り布を薄水色の造花でたくし上げているのが美しい。


「ささ皆様。こちらのお席へお着き下さいまし」


 古里さんに指し示され円卓の椅子に腰を下ろす。すると、全員の視線が一箇所に集まるようセッティングされていたことが知れた。そこにあったものこそ、昨日との最たる差異である。眼前に、赤い天鵞絨ベルベット緞帳どんちょうが下がっていたのだ。ハル子さんが昨日の記憶をたどるかぎり、その向こう側にはバロック調の甲冑かっちゅうと絵画、そしてなめらかなクリーム色の壁紙がひかえているはずである。


「ええっと……これって」


 幾分困ったように言葉を発したうつぼ君は、ぽりぽりとエラの辺りを掻いた。


「あれだよな、向こうに姫さんがいるってことだよな?」

「せやろな」


 同意を示した偽古庵様の横では、珸瑶瑁先生も珍しく真顔をさらしている。呆気にとられているのだろう。


流石さすがまにまに王國――だな」

「ベタさ加減も一級品や云うことか」


『ええ――マイッテス、マイッテス……』


 ぴぃぃん、と金属質な音が響く。見やると古里さんの手にはマイクが握られていた。スピィカァとマイクがハレエションを起こしたらしい。音声を確かめるためか、ぽんぽんとマイクを叩く。ぼんぼん、とこもった音がスピィカァからもれた。


 古里さんは昨日と異なり、あつらえた燕尾服を赤い蝶ネクタイで締めている。片側に金鎖をつけた鼻眼鏡が似合っているのだかいないのだか、一寸ちょっと判断に迷わせた。


『ええ皆様、大変長らくお待たせいたしました。これより、まにまに王國皇太子様の婿様選びお見合いを開始したいと思います』

「――……。」


 全員が無言で見護る中、背筋をぴしりと伸ばした古里さんは、執事の如き動きで緞帳に右手を差しのべた。


『ええ、こちらの緞帳の向こう側には、すでに皇太子様がいらっしゃいます』


 予想されていた通りの言葉を述べた後、粛々しゅくしゅくとした風情で古里さんはハル子さん達のほうへ視線を向けた。



『これより上限一週間を期日とし、皇太子様は、婿様候補者である皆様方と〈お見合い〉をなさいます。しかし、必ずお婿様が決定されると決まった話では御座いません。皆様方の中に、皇太子様が御伴侶を見出されませなんだ場合、お見合いは爲來しきたりどおり、十二年後にまでべられることとなります。願わくは、今年度のお見合いで、姫さまの半身がこの場に姿を現していらっしゃいますよう、深く深くお祈りする次第でございます――』



 口上を述べあげた古里さんは、やはり粛々とこうべを垂れた。そして顔を表にする。次の瞬間、古里さんは「ほっ」と一息吐き、今度こそ緊張に満ちた眼で、再びサッと手を緞帳の側へ持ち上げた。


『ええでは、『はじめのご対面』――』


 古里フルサトさんのこえが、スピィカァ越しに響いた。眼の前を緞帳が右から左へ滑る。

 全員の視線が、その向こう側に現れたものに釘付くぎづけとなった。


「――……。」



 そこには――なぜか四人の女性が立ち並んでいた。



 まず、一番左端にいたのは、とてつもなく小さな女の子だった。水面みなもにうらうらと反射するなまり色のような輝きを持った眼は、大きく大きく見開かれている。ただ、瞳がきらきら瞬くのと同時に、不安と困惑とが幼い頬の上を過ぎたりも、する。心のこまやかな少女らしい。女の子は、消え入りそうな声で「松ぼっくりでございます」と名乗った。


 次いで、その隣に並んだ和装の女性が、りん、と「歌枕うたまくらでございます」と名乗る。物静かだが、動作のひとつひとつに隙がない。文句がつけようのない美女である。


 その隣の少女は黒いワンピース姿であった。色白で華奢で、真ッ直ぐな黒髪もさらりとして実に美しいのだが、何が気に入らぬのか、青白い白目と黒いひとみの上に釣り上がった眉は、実に不愉快そうに引きしぼられている。彼女がいつまで立っても名乗らぬので、古里さんが慌てたように「鬼打木おにうちぎ様でございます」と御紹介した。鬼打木さんは「けっ」と吐き捨てるように斜め下を向く。どうにも御機嫌斜めであるらしい。


「――なんや、性根のキツそうな嬢さんやな」


 偽古庵様がぼそり呟くのを聞きとがめたうつぼ君が「うるさい」と脇腹をつついた。珸瑶瑁先生は、ただにこにこ笑うばかりである。ハル子さんがこっそり他の候補者達の様子を伺うと、最も真剣な眼差しで四人の女性を見ていたのは――立破さんだった。


 ついに最後の一人となる。一番右の彼女は初めから満面ににこにこと笑みを浮かべていたが、自分の番が回ってくると「金壷かなつぼでございます。どうも、よういらっしゃいました」と、なお一層にこにことした。福々しい表情に相俟あいまって、その身体つきも実に福々しい。たくましい腕の先にちょこん、とついた五指までが福々しいのだった。


『え――、ではァ、婿様候補の皆様に、ご説明申し上げますで』


 どうやら場の雰囲気に慣れてきたのか、古里さんの言葉に訛りが混じりはじめた。


『こちらに並んでいらっしゃる四人のうち、御三人さんまでは〈フェイク〉でございますです』



「はァ?」



 大きな聲を上げたのはうつぼ君だった。




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