弐.初日(四月二日(日))

9.綺麗に真ッ二つ



 ハル子さんが宿泊している『火鼠ひねずみの間』には、大きなクローゼットが、ある。


 和室なのにクローゼット。しかもウォークイン・クローゼット。それが二間ある『火鼠の間』の更に奥にあるのだ。



「――ほんとう。設計主はいったい何を考えてこの旅館をつくったのかしら」



 独りごちつつ、ハル子さんは眼前にずらりと並ぶ大量の服を見すえた。

 クローゼットの内側には、無論服が納められていて然り。だが、量もここまでくると尋常ではない。しかも、いくつかを身軆からだに合わせてわかったのだが、それらの服は全てハル子さんの身軆にぴたりと合う品ばかりなのである。

 つまり、この大量の衣服は、全てハル子さんのためにわざわざ準備されたものなのだった。正しく尋常でない。ただ好みまでは調べ尽くせなかったらしく、色は取り取り、デザインも様々、国籍も滅茶苦茶、時代柄も出鱈目でたらめ


「うむむ」


 ハル子さんの眉間に皺を行かせたのだから、彼女に与えられた謎は相当なものだと云ってよいだろう。なにせ、頭までを被う黒の全身ピッタリタイツの上に、仏蘭西フランス紳士御用達・ピンクの羽帽子が置かれ、その下には腿までとどくと思しき革製のボンテージ・ブーツが添えられていたのだから。


 これをあわせてまとえと云うか。本日午前十一時から〈お見合い〉を控えているハル子さんに対し。


「うむむ」


 再び唸り、ハル子さんは溜息をついた。




 玄関エントランスホールの左翼よりに小食堂は、ある。


 ハル子さんが着替えを終え、顔を出した時にはもう全員が顔をそろえていた。流されている音楽は、朝食の風景に相応しいのか否か判断に迷うショスタコヴィチの交響曲・第五番、通称〈革命〉の第一楽章。音量が程好いのでそうとは気付かないが、この曲なかなか起伏が激しい。今現在は少々ロゥ・テンポなメロディーラインが続いているが、この調子で行くと後4、5分後には威勢のいいシンバルがじゃんじゃか鳴り出す計算になる。まぁ、ビバルディで爽やかな目覚めを演出されるよりは、ベタでなくてよいと云うべきか。


「おはよう」


 こえのしたほうへふり向く。並ぶは少年二人と青年が一人。第一番に聲をかけてくれたのは、うつぼ君であった。


 今朝のうつぼ君は、それなりにお見合いを意識してか、涼しげなブルー・ストライプのシャツをまとっている。下に穿いているのはエクルベージュのスラックス。なんとも爽やかなふうを演出したものだ。青味がかった黒髪も丁寧になでつけてある。小食堂内を見回せば、すでに残りの婿候補全員が食卓についていた。


「おはよう。私が最後なのね」

「女性は準備が大変なもんやからね」


 フォローを入れてくれた偽古庵にせこあん様は、うつぼ君が座する円卓の正面にいた。偽古庵様は昨日に引き続き、実に品のよい仕立てのスーツを召し物として選んでいる。ベタなネクタイではない、エンブレム入りのリボンが洒落しゃれていた。偽古庵様は「それにしても……」と続け、「はは」と笑う。


「随分とゴージャスな格好してはるな」


 笑いながらの評に、ハル子さんも「うんうん」と頭を縦にふる。


「自宅でこんな格好しろって云われたら、即座に自殺しちゃうわね」

「ああ、じゃあ部屋の備えつけか?」


 うつぼ君の問いに、首肯して見せた。


「一応着るのが礼儀かとおもったのよ」

「成る程」


 結局、ハル子さんは桃色地に小花を散らせたロング・ワンピースを身に着けている。袖は七部。そでだのえりだの、到るところに黒レースが使用され、しかも前開きでざっくりとスリットが入っている。ので、下には革製のホットパンツを着け、例のボンテージ・ブーツをいていた。


「似合っているよ」


 うつぼ君の評に、ハル子さんは頭をふる。


「笑いばなしね。もう少し年をとっていたらブーイングものだわ、こんなの」

「確かに」

「――……。」


 納得されるのも哀しいものがある。


 朝食はビュッフェ方式だった。昨日云われていた通り、ポン菓子のミルクかけもメニュには組まれている。迷わずフレーク皿にポン菓子を盛り、それから一寸ちょっと迷って、結局山羊のミルクをそこに注いだ。隣に駱駝らくだのミルクも並んでいたからだ。それから「海藻と烏賊いかのサラダ」に、ノン・オイルの青紫蘇あおじそドレッシングをさっとかける。以上で食品は切り上げ、ドリンクバーに向かい、野菜ジュースをたっぷりめにグラスへ注いで完了とさせた。


 トレイを持ったハル子さんがうつぼ君の左隣席に座すると、偽古庵様は手前のフルーツバスケットに盛られていた中から、一本バナナをむしり取り、ばきりと半割りにしたところだった。三日月型の果実は、綺麗に真ッ二つとなる。


「おみごと」


 ハル子さんがほめると、「案外コレって簡単なんやで」と、偽古庵様は半割りの片割れを振ってみせる。くれるつもりはないらしい。別に欲しいわけではないが。


「今朝はそれぐらいになさってくださいね」


 偽古庵様の左隣席――つまり、向かってハル子さんの正面――に座していた珸瑶瑁ごようまい先生が、偽古庵様に微笑みかける。偽古庵様の手元を見やると、バナナの抜け殻が大量に錯乱していた。


「わかっとる」


 云いながら、偽古庵様はまくり、と美味そうに、しかも迷いのない動作でバナナを喰った。


「一体、これで何本目なの?」


 ポン菓子のミルクかけに入れるため、ハル子さんがフルーツバスケットから苺をむしりとりながら問うと、うつぼ君は平然とした顔で「五本目だな」と云ってのけた。そしてそのままするすると食後のコーヒーをすする。ハル子さんは眼を丸くして「五本」と繰り返した。


「そう五本」


 うつぼ君は存外無表情なタチである。それをにやりと崩して見せた。


「さっきも同じような調子で珸瑶瑁先生に止められていたんだけれど、ハル子が戻ってくる直前に「四本切りじゃあ縁起が悪い」と僕が教えてやったんだよ。だから今、こう嬉々としてバナナを半割りにしているわけだ」


 珸瑶瑁先生はやれやれと首を横にふった。無論さらさらと微笑みながら。そして「結局いつもと同じぐらい召し上がられましたね」と呟いた。つまり一食平均五本喰いと云うことか。単純計算十五本。いや、おやつのことも考えればそれ以上になってしまう。恐ろしいはなしだ。


 しばし呆気にとられていたハル子さんだったが、眼の前でミルクを吸い上げてゆくポン菓子の存在に意識が到り、ようやく銀のスプゥンを手に取る。このまま放置していたら不味くなるばかりだ。




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