5.うつぼかずらのきみ君



「君は、いつここにきたの?」

「今ついたばかりだ」

「ふぅん。ところで、どうしていつまでも荷物を持ち歩いているの?」

「部屋がどこにあるかわからなくて。あんた、わからないか?」


 示された和紙を受け取ると、それはハル子さんも来館時に受け取った館内マップだった。


「お部屋の名前は、何と云うの?」

「『海鼠なまこの間』とか云っていたな」

「『海鼠』」

「そう、海鼠だ。一体ここの旅館のネーミング・センスはどうなっているのだか」


 眼を通すと、なんとも間抜けた事実がそこで待ち受けていた。


「これ、棟が違ってるわよ」

「え」

「ここは参棟。あなたの部屋があるのは壱棟」


 返しがてら指し示してやると「あっ、ほんとだ」と間抜け声を発し、頭を掻いた。


「なぜだか年々方向オンチがひどくなる。そのうち実家にも帰りつけなくなるんじゃないかと本気で危ぶんでいるところだ」


 放っておいたらいつまでも土管屋の中を彷徨さまよいそうな気がしたので、ハル子さんは少年の館内マップを改めて受け取り、横に並んだ。案内するつもりだった。


「あなたはどこからきたの?」


 少年はとことこ歩きながら答えた。


「京都の随分奥だ。岩倉いわくらと呼ばれる地域。しなびている」

「萎びているはやめましょうよ、萎びているは。ひなびているぐらいでいいじゃない」


 それなりに随分な物言いをしながら、ついでと云った調子で「どうでもいいけど、私はハル子」と続けた。


「ん」

「そう云えば、名乗りそこねていたな、と思って」


 ああ、と少年は声をもらしてから、なぜか神妙に眉根をよせて名乗った。

「僕は『うつぼかずらのきみ』と呼ばれている」

「じゃあ、うつぼかずらのきみ君」


 うつぼかずらのきみ君は、鼻の頭に皺をよせた。


「やめてくれよ。ただでさえ長ったらしいんだから」

「いやなの?」

「いやだよ」


 ハル子さんが黙って見ていると、突然うつぼかずらのきみ君は廊下の隅においてあったゴミ箱を「どかん!」と蹴り飛ばした。ついでにも一つ「やってられっかよ畜ッ生!」と叫んだ。どうやら先ほどの表情の理由はここにあったらしいと見当をつける。


(名前の長いことがトラウマな少年)


 ハル子さんの心中で、彼の人物評には一先ずそんな注釈が与えられることになった。決してありがたい注釈ではあるまいが。そのまま放っておくと少年が暴れ出しかねなく見えたので、ハル子さんは「じゃあ、うつぼ君ね」と場の沈静化を計った。試みのほどは取りあえず成功したらしい。うつぼ君は「それなら、うん」と収まった。


 そういえば先程も宿泊予定部屋の名前に、何やらブツクサ文句を垂れていた。どうやら彼は名付けのセンスに並々ならぬ神経を使ってしまうらしい。名前コムプレックスなのか。こりゃ面倒なんだか善いのだかわからんなと、ハル子さんは心の内側で苦笑する。二人は歩き出し、二度ほど右へ曲って、ほどなく一階へと下る階段に到った。


 土管屋の造りは中々小洒落こじゃれている。玄関を中心に左翼と右翼に分かれ、その其々もまた奥へゆくに従い、外に向けて階段型に折れ曲がる構造となっていた。ハル子さん達が今いるのは右翼のほうである。どうやら、婿様候補者達は全員右翼に部屋をあてがわれているらしい。館内マップに「チュウ左翼サヨクニハ厳禁ゲンキン」とあるからだ。

 右翼は三段の階段型に折れ、玄関に近い方から壱棟いちむね弐棟にむね参棟さんむねとされている。壱棟は一階にあるのだが、弐棟・参棟は後々建て増ししたとかで、一階にある大宴会場の二階部分にあたった。そしてうつぼ君が宿泊予定の『海鼠の間』は壱棟の手前側――つまり一階に位置し、ハル子さんが荷を下ろした『火鼠の間』は参棟の最奥に位置しているのだから、うつぼ君の方向オンチは、実際相当なものであった。右翼と左翼を間違えなかっただけ、まだマシと云うべきかも知れない。


 弐棟にさしかかると、廊下側は総硝子がらす張りとなっていた。そこからは見事な中庭が見下ろせる。廊下の端まで行き着くと、窓際にそって階段が下りになっていた。そこを降り切ると玄関エントランスホールに出る。そこから大宴会場を右手にのぞみ、奥へと進んでしまえば、もう『海鼠の間』へ到着したも同然である。

 とんとんと階段を降り、大宴会場を左横に見ながら一階へ降りきった。大宴会場の大扉は開け放たれていたので、何の気なしに、そちらへ頭を巡らせる。と、中の円卓に座する者が何名か、いた。見たままでいると、うつぼ君もまた彼等の存在に気付いたらしい。そして、そのまま彼は立ち止まってしまった。


「どうしたの」


 怪訝に思い聲をかけたが、うつぼ君は真ッ直ぐに眼を向けたまま黙っている。そしてやおら口の形を「あ」とした。



偽古庵にせこあんか」



 唐突に声を発した揚句、うつぼ君はテーブルに座する人々の方へ歩き始めてしまった。


「え? ちょっとうつぼ君?」


 名を呼んだが止まらない。仕方なしにハル子さんも後へ従う。このまま放って戻れば、恐らく彼は再び館内で迷子となってしまうに違いない。例え、中庭の池に放たれている錦鯉にしきごいの名前まで莫迦ばか丁寧に書きそえられた、この館内マップを手にしているとしても。


 うつぼ君は迷いも見せず、一人の少年目掛けて歩いていた。相手もうつぼ君に気付いたらしい。少年が口の形を「お」とした。


「おお、うつぼかずらやないか。久しぶりやなぁ」


 破顔してみせた少年は、見たところ、うつぼ君と年の頃は同じぐらいであるか。薄水色のひとみと、見事な白髪の主であった。さらさらと揺れる直毛で、襟足の辺りはすっきりと刈り上げている。顔立ちはあっさり。物腰もあっさり。うつぼ君とは好対照な少年で、あった。


「お前も〈見合い〉にきたのか」

「せや」

「偽古庵様。どうなさいましたか?」


 大宴会場の奥から近付いてきた足音がある。ハル子さんが見やると、現れたのは、ゆったりとした物腰の青年だった。まとうスーツが生まれながらの召し物が如く、似合う。


珸瑶瑁ごようまい。うつぼや」


 答えたのは、うつぼ君の友人であったらしい白髪の少年・偽古庵様である。ゆったりとした物腰の青年は、偽古庵様の言葉を受け、うつぼ君を見、「ああ」と、さらさら笑った。さらさら、と笑うのが青年の笑いかたの癖らしい。





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