吸血鬼ちゃんとニンフちゃん

吉武 止少

吸血鬼ちゃんとニンフちゃん

「進路希望調査表、集めるよー!」


 ざわつく教室内に元気の良い声が響いた。


「先生からもらった封筒に入れて、記名してから私に直接頂戴ね!」


 そう言って手を上げたのは華奢な少女だった。スッと通った鼻梁に陽光を閉じ込めたかのようなキラキラの瞳。弾けんばかりの元気さを表すかのように黄緑色のショートカットにいくつもの白い花を咲かせていた。

 稀少種族、ニンフ。

 多くの稀少種族が集まるこの学園においてもなお貴重な、実体を持った精霊種族だ。


「明日以降は受け付けないから、出せない人は直接担任に持っていってねー!」


 元気よく宣告したところで、進路希望を未提出の何人かが慌てて動き始める。

 机上に適当に置かれた封筒を整理して名簿にチェックを入れていく。


「楓も大変ねぇ……進路志望なんて担任の仕事でしょうに」


 楓の背後、ふんわりと眠たげな声をかけたのはクラスメイトの一人だ。ハーフエンジェルに相応しい柔らかな物腰だが、甘く痺れるような声にはある種の毒を含んでいる。


「生肉をキロ単位で買い込んでサブスク消化するって息巻いてたし、いくら狼男って言ってもちょっとどうかと思うわねぇ」

「満月休暇は公に認められてるからね。万が一、血とか月とか見て興奮しちゃったら大暴れだろうし」

「へいへい。優等生だねぇ楓ちゃんは。さすがはクラス委員」

「そんなんじゃないよ。やっておかないと担任が面倒臭くなりそうだなって思っただけ」


 ハーフエンジェルの同級生は楓の頭を優しく撫でる。


「んー、良い香り。ジャスミン?」

「うん。今朝ハーブティー飲んでからこんな感じ。欲しい?」

「やめとく。この後デートだし、お気に入りの香水とぶつかるから」

「えっ、彼氏できたの?!」


 楓の言葉にハーフエンジェルはピースサインだけ送って去っていく。後に残された楓は封筒を並べかえながらも唇を軽く尖らせていた。

 友達に先を越されたというよりも、友達を見知らぬ誰かに取られた寂しさである。

 生肉を齧りながらサブスクを見ているであろう担任に八つ当たりをしながら名簿を確認する。

 チェックマークが抜けているのはたった一ヶ所。


「……どうせ独り身でやることないし、回収するかー」


 普段から熱血漢なところがある担任は、満月付近になると余計にアツくなる。普段は悪人ではないのだが、さすがにたった一人の未提出者のために明日朝のホームルールで「進路とは」「将来とは」みたいな暑苦しい話をされるのは御免だった。


「十六夜・結月ちゃんか……確か、文芸部だったかな」


 本校舎、特別棟、特殊異族棟を通り抜けて部室棟へと向かう。大小さまざまな部活がひしめき合う中、部員数一名の文芸部は三階端の物置小屋みたいなところを宛がわれていた。

 斜陽に染まる階段に廊下を抜けて部室の戸をノックするも反応はない。

 一人きりで占いというのも微妙だし、やってないのか、と踵を返したところで室内から物音。ごそりと動いたそれは確実に誰かがいる証拠で、文芸部は目的の人物以外にメンバーがいない。


「居留守だったか……おっ邪魔しまーすっ!」


 クサクサした雰囲気を吹き飛ばすように勢いよく戸を開ければ、


「あっ」


 薄暗い室内で金色の瞳孔を輝かせた吸血鬼がいた。どういった目的か、目張りまでされた窓からは微かに光が漏れるのみ。暗がりの奥にはビスクドールのような、人間的ではない美しさの少女が己の身を掻き抱いていた。

 特殊なタペタムのお陰で金に光る瞳は獣のごとく縦に割れ、軋んだような吐息を吐き出す口からは鋭い犬歯が覗く。

 吸血鬼だ。

 自らを抑えるように両腕で自分の体を押さえていた彼女だが、楓と視線が合うなり身体を跳ね上げた。弾かれるような速度でドア付近に立つ楓へと迫るその姿には、理性などひとかけらも見当たらなかった。

 おそらくは理性がトんでいる。


「ヤバ」


 い、と言い切る暇さえなかった。

 回り込むように楓を背後から抱きしめ、鋭い犬歯を首筋に突き立てる。

 痛みはなかった。

 代わりに体内に何かが刺し込まれる異物感があり、続いて柔らかな唇があてがわれる。舌が傷口を撫でた。温かく、唾液で滑る舌でちろちろと首を舐められるたびにくすぐったさが肩口から頭へと昇る。


——あ、やばい……コレ、〈魅了〉付きの吸血だわ。


 自らの心に現れた異常をつぶさに感じ取った楓は、すぐさまその原因に思い至った。吸血鬼族は生命維持から嗜好の一部にまで吸血行為が深く絡んでいる。当然ながら獲物となる人間が毎度毎度納得して肩を差し出してくれるはずもない。

 そのため、吸血行為に陶酔感を得られるよう〈魅了〉を併用することが非常に多いのだ。

 吸血鬼の少女は衝動に負けて理性を失っている。当然、全力で吸血すべく〈魅了〉も使用していた。


「くっ、んぅ……! ダメ、こらっ!」


 理性を塗りつぶそうとする衝動を必死で押さえ、楓はクラスメイトから逃れるために身をよじった。どう勘違いしたのか、いまだに理性を取り戻していない吸血鬼は制服のすそから指を差し込んだ。氷のように冷たい感触にわき腹を撫で上げられ、思わず悲鳴が出た。


「ひゃぁぁっ?!」


 しなやかな指は壊れ物を扱うかの如く、優しく楓を撫で上げる。そのせいで却ってくすぐったさが強調されるし、何よりも、


「どこに手ェ入れてんの!? 目ぇ覚ましなさいっ!」


 思わず振り払って頭をぺちんと叩けば、吸血鬼の少女は首筋から口を放し、きょとんとした顔で楓を見つめた。


「えっ、あれ? あたし……?」

「理性飛ばして吸血してました!」


 ブラウスのすそを引っ張りながら楓が告げれば、吸血少女は耳まで赤く染めた。


「ご、ごめんなさいっ! 今日、血液パックを家に忘れちゃって! 備蓄を部室においてたんですけど、それも見当たらなくて——」


 泣きそうな表情で俯く姿は本能のままに人を襲う吸血鬼ではなく、楓の知っているクラスメイトに戻っていた。

 十六夜・結月。

 凛とした雰囲気はややとっつきづらいものの、同性の楓ですらハッとするほどの美貌。月光のような肌にまつげがばさばさの瞳。肩まで伸ばした黒髪は黒曜石みたいな光沢を湛えている。

 近づくことすらためらってしまうほど清楚なのに、唇だけは血のように紅く、どこか蠱惑的な少女だった。楓の血液を吸ったことで何とか人心地ついたはずの結月はしかし、熱っぽい視線を楓に向けた。


「楓さん、ですよね?」

「う、うん」

「先ほどはすみませんでした……会話ができるところからも分かるとおり、理性は戻ったんですが」


 嫌な予感がして楓が後ずさろうとするが、すでに結月はがっちりと肩をつかんでいる。白魚のような指のどこにそんな力が、と思うほどに力強くつかまれ、まともに動くことすらできなかった。


「メイプルシロップのような……さわやかで、香り高く……でも頭の芯が痺れるようなお味でした」

「ニンフだから、かな? それよりちょっと近い気がするから、」


 言葉は最後まで紡がせてもらえなかった。

 唇をこじ開けて、舌を這わせるようなキス。口内を蹂躙するように無理やり、しかし愛撫するように丁寧になぞられて楓の体から力が抜けていく。


「私たち、きっと相性ぴったりだと思うんです」

「……はい?」


 驚愕と懐疑の入り混じった視線を結月に向ければ、白磁の頬を染め、熱っぽい視線で楓を見ていた。

 あ、と思い至る。


「……もしかして、ニンフの〈魅惑〉が刺さってる……?」


 もともと、ニンフも人々をたぶらかす能力を持った精霊だ。血液を求める吸血鬼とは違って精力を吸い取るのだが、大雑把な区分で言えばほとんど差はないと言って良かった。


「うふふ……大丈夫ですよ。楓さんも、すぐ私無しでは生きていけなくしてあげますから」


 熱に浮かされた結月の瞳が怪しく光り、楓に強烈な〈魅了〉が働く。楓の血液でエネルギーを補給した上に、全身全霊で楓を欲しているので全力全開だ。

 めまいがするほどの圧。


——やばっ。

 

 意識をトびそうになった楓は慌てて〈魅惑〉に力を入れる。理性はあるものの常識をすっ飛ばしてしまった結月を止める方法は二つ。

 腕っぷしに訴えて物理的に行動不能にするか、結月の体がいうことを利かなくなるほどに〈魅了〉漬けにするかである。ニンフは——というよりも楓は前者を選べるほど身体能力が高くなかった。

 結果、吸血鬼とニンフによる理性のトばし合いが始まったのである。


「あら……今更〈魅惑〉なんて使わなくても、私はもう楓さんに夢中ですよ?」

「知ってる! それが問題な——ぐうぅっ、押し込まれる……!」

「楓さんの血を吸わせてもらったんですもの。当然ですわ……うふふ、一滴残らず私のものにして差し上げますわ」


 じりじりと圧された楓は、自らの末路を悟る。


——このままだと負ける……!

 

 楓の〈魅惑〉によって正気を失った結月は、楓を求めていた。このまま負ければ攫われてどこかに監禁されるだろう。殺されるような可能性はないだろうが、失踪した楓が助け出されるまでに言葉にできないようなことをされたり、させられたりする可能性は否めなかった。


「か、かくなる上は……!」


 楓が気合を入れると同時、ジャスミンが香る髪がしゅるりと伸びていく。蔦のように四方に伸びたそれが結月の体を絡めとり、自由を奪っていく。

 鉄板をも引き裂く膂力の吸血鬼を繋ぎとめるほどの力はないが、


「〈吸精〉、最大出力……!」

「んっ、あんっ!?」

「なんて声出してんのよ!?」

「だって、楓さん、そんな積極的に、んぅっ……!」

「積極的も何も、このままだと私の貞操が危ないからでしょうがっ!」

「つまりィィッ、あっ、あっ、奪われぇっ、る、くらいならっ、私の貞操を、奪っんんんぅ!」

「そんなわけあるかぁぁぁぁぁぁ!!」


 絶叫とともに楓の体に自然と力が入り、〈吸精〉と〈魅惑〉も勢いが増す。びくりと体を震わせた結月が、自由の利かない体を振り絞って楓の首筋に牙を立てた。


「んふぅっ……サービスされてばかりでは吸血鬼の名折れ! 私も満足させてみせます……!」

「あっ、コラぁ!」


 〈吸精〉によって得たエネルギーが〈吸血〉で奪われる。

 奪われたエネルギーを〈吸精〉で取り戻す。

 再び奪われ、再び取り戻す。

 そのたびに互いの〈魅了〉と〈魅惑〉が重ね掛けされていく。


 そして——最悪の永久機関が完成した。


***


 翌日。

 ガラリ、と音を立てて教室の戸が開く。


「終わったかー」


 入ってきたのはざっくりした短髪にもみあげとつながった髭の男。楓と結月の担任だ。

 対する二人は机に噛り付いて作文に取り掛かっていた。


「いやー、青春が悪いとは言わんが、空き教室でその、なんだ……年頃の女の子二人で致すってのはなァ」

「誤解ですっ! あれは結月が——」

「すみませんでした……楓さんがあまりにも情熱的で」

「誤解を助長するようなこと言うなぁ!」

「あー、なんだ。学校ではそのくらいのイチャイチャに留めとけよ?」

「だから誤解ですって!」


 必死に否定する楓を見て、担任が笑う。


「分かってる分かってる。真面目な委員長がそんなことするはずないもんな」

「そうです! さすがセンセイ——」

「みんなの手前、そういうことにしておいてほしいって事だろ?」

「何も分かってなぁぁぁぁぁい!!!!」

「ほら、反省文を書く手が止まってるぞ」

「先生。私は書きあがりましたわ」

「お、見せてみ——ちょっと待て。何枚書いたんだよ!?」


 どん、と教卓に置かれた作文用紙は文豪もかくやと言った厚みを誇っていた。

 ドン引きしながらもぺらりと捲った担任は溜息を一つ。


「俺は反省文を書けって言ったんだよ。一ページ目からR指定が掛かるロマンス百合小説書けなんて言ってねぇよ」

「気持ちが溢れだしてまた行動に移してもいいんですか!?」

「良い訳ないだろ」

「ですから文学、つまり芸術に昇華して発散しているのです! 続編もすぐ書けますわよ!?」

「……えっと、まぁ、その、……頑張れ?」

「公認! これはもう学校公認のカップルってことじゃありませんか楓さん!」

「そんなわけないでしょ」


 ほおを紅潮させて嬉しそうに飛び跳ねる結月とは対照的に、楓は大きな溜息を吐いた。当然ながら筆は進んでおらず、長編官能小説どころかノルマである作文用紙一枚にも満たないのが現状だ。


「そもそもカップルじゃないし」

「ええ……私に×××したり、私に〇〇〇されて盛大に△△△ってたじゃないですかぁ……最後は自分から◇◇◇って言ってましたし」

「ああああああああ先生がいるところで何でそういうこと言うかなぁ!?」

「認めてくれないからですわ。まったく……素直じゃないんですから」

「結月が欲望に素直すぎるのよ!」


 やかましい二人のやり取りに担任が大きなため息を一つ。


「まぁ、一線を越えなければ応援してやる。俺はそういうの偏見ないから」

「だから違うんですってー!」

「ありがとうございます!」

「ただ、学校ではイチャつくのもほどほどにな。……見てるだけで胃もたれするから」

「満月休暇で食べた生肉のせいですよ!」

「人狼ナメんな。生肉は飲み物だ」

「どういう種族ですか!?」

「分かりますわぁ……種族特性ですもんねぇ。他の種族にはわからない色々があるんです」


 担任に同調した結月がつつ、と楓の背後に寄る。


「楓さんを求めるのは種族特性、種族特性ですから仕方のないことなんですわ。摂取しないと生きていけません」

「まさかの食事扱い」


 思わずジト目で突っ込めば、結月が笑った。

 どこかはにかむような、頭の芯が蕩けるような笑み。


「あら? 特性以外でも大好きですわよ? 伝わってないなら、一晩かけてじっくり——」

「伝わってる! 溺れるくらい伝わってるから!」


 無理やり抱き着こうとする結月と、それを阻止すべく藻掻く楓。


「あー……種族特性だし、一時間な。一時間だけ席外すから、俺が戻ってくる前に反省文書き上げて、服装の乱れとか教室の汚れもきちっと片づけとけよ」

「ありがとうございます先生!」

「何を見て見ぬふりしようとしてるんですかぁー! それでも教師ですか!?」

「ほら、生徒の気持ちを尊重するのも教師の仕事だから」

「待って! 本当に待って!」

「んふふふ、今日はきっちり血液パックを飲んできたので最初からクライマックスですわよぉ! 気絶するまで×××して、髪の毛に果実を実らせてあげますわ!」

「上等だぁ! ニンフを実らせるなんてそう簡単に出来ると思うなよ!? 骨まで養分にしてやるんだから!」


 この後、戻ってきた担任によって二人それぞれに反省文が10枚追加されたとかされないとか。

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