キズナの唄 ~勇気の魔法を君からわたしへ~

ヒデリ

Ray

「あー今から転校生を紹介する。」

 その言葉を聞くと同時に教室はざわめき始めた。

 じゃあ自己紹介をしてくれ、と先生はわたしの背中をポンっと押しながら言った。

「あっえっとなっ長崎から親の仕事の都合で来たした。海音奏うみねかなでです。よっよろしくお願いしまふ。」

 わたしは大きく深くお辞儀をした。

 さっきまでざわざわしていた教室はしんと静まり返ってしまった。拍手一つすら起きることなく、みんなわたしを一点に見つめ、ぽかんとしていた。

 やっちゃった……。噛んだ、二回も。

 少し間を空けて拍手が始まった。それすらも先ほどの失敗を掘り返されるようでとても辛かった。

 わたし、海音奏の、転校初日の最初の挨拶は最悪なものとなった。

「じゃあ、海音は――あそこの空いてる席に座ってくれ。」

 はいっと言葉にならないほどの小さな声をわたしは喉から絞り出すと、一番後ろの、窓から二番目の席へ向かった。周りの視線がとても痛い。わたしが席に着くと同時に、朝のホームルームは何事もなかったかのように再会した。

 

 朝のホームルームが終わると、周りの生徒が一斉にわたしの方へ駆け寄って、話しかけてくれた。

 先ほどの反応とは打って変わって嘘みたいに話しかけてくれてホッとした。

 好きな食べ物何?好きな芸能人は?好きな教科は?と怒涛の勢いで質問され、誰の返事から返そう?誰が何を言ったんだっけ?などと考えてるうちにわたしの脳はオーバヒートしてしまった。

 情報河処理し切れず困っているわたしに、一人の少女が助け舟を出すように話に割って入ってきた。

「ほらそんなに質問責めしたら可哀想じゃん。一旦校舎を案内とかしたほうが良くない?」転校生で何も知らないんだからさ、と彼女は笑いながら言った。

「わたし杏奈!杏ちゃんって呼んでね〜!よろしくかなっち!」

 ……かなっち?

 杏奈さんは自己紹介を終えるとわたしの腕を掴み、先生に、学校案内してくるー!と大声で伝えたと同時にわたしをぐんっと思いっきし引っ張り、教室を飛び出した。

 全速力で廊下を走らされ、階段を勢いよく駆け降り、ついた先は西昇降口。あまりの急激かつ過度な運動に体は耐え切れるはずもなく、心臓がバクバクと危険信号をならし、息はリズムを保つことができず、このままではと思いわたしはその場で腰を下ろした。

「なんで……走っ……たの?」ゼーハーゼーハーと息を切らして俯いてるわたしの顔を覗くと杏奈さんは満面の笑みでわたしに向けて言った。

「緊張も和らいだっしょ?いい顔になってんじゃん!」

 ――気づいてくれてたんだ。

「とりあえず全部回ろ!」杏奈さんはそう言うとずんずんと前へと進んでいった。わたしも置いてかれないようにと後ろをついていく。ここが保健室。ここが自習室。ここが職員室。と一階を西から東へと案内しつつ、ゆったりと雑談しながら歩いていた。

「あっ杏奈さん」

「なに〜?」

「どっどうして私のこと助けてくれたんですか?」

「うーん――なんとなく?」

「なっなんとなくで助けるんですか?」

「そう、なんとなく。なんか体が言ってくるっていうかなんというか――助けろ!って心の深いどこかで誰かが――自分が自分にいってくる時があんの。本能?てやつ?かな?」そう語る杏奈さんの顔は少し赤くなっていた。

 いゃ〜熱いね〜。と小言を呟きながら、上がった熱を冷ますかのように、手をパタパタと顔に仰いでいた。

 東昇降口前の階段に着いた頃杏奈さんは私の方へ振り向いた。

「杏ちゃんって呼んで。」

「えっあ――え?」

「私のことさっきから名前で呼んでるでしょ。あだ名で呼んでほしいなーって?」

「えっえっと……」

「友達でしょ?」

 友達……。

 私は顔を上げた。

「……杏ちゃん。」

「おおっ!」

「杏ちゃんっ!」

「おおっ!!」

「杏ちゃん!!!」

「おおおお!!!!」

 よろしくかなっち!!と杏ちゃんは私のことをギューっと抱きしめた。

 転校して初めての友達ができた。今日はなんだかんだでいい日になりそうな予感がする。


 わたしたちは二階、三階へとまわっていき、とうとう四階へ向かっていた。

 二、三階は各学年の教室、そして四階は部活動の特に、吹奏楽部や美術部などの文化系の部活の活動場所だ。

 とりあえずわたしは杏ちゃんの後についていくことにした。

 塗装が剥げたボロボロのクラス札にはそれぞれ美術室、音楽室、演劇部部室、吹奏楽部倉庫、囲碁将棋部などと書かれていた。しかし、一番奥の部屋だけクラス札に何も書かれていない。

「杏ちゃんあれはなんの部活の部室?」

「さぁ?入ってみればわかるよきっと!」

 杏ちゃんはそう言うと、部屋のドアの引手に手をかけ、思いっきり引いた。

 ガラリ。と音が響くと同時にバーンとドアと壁がぶつかる音が広がり、私の耳にジンジンと響いた。

 まじ!?開くんだこの部屋。と杏ちゃんも開いてたことを想定していなかったみたいでとても驚いていた。

 部屋の中には散らばったコードに、ドラムとピアノと数個ほどのスピーカー、そして真ん中にはアコースティックギターがスタンドに立てかけられていた。

「あーここは軽音学部の部室だね。」

「中学にもあるなんて初めて知った。」

「まー基本的にないからねー」

「……ぎっギター触ってもいいのかな?」

「――え?」


 かなっちが突然、ギター触ってもいい?なんて言った時はびっくりした。学校案内している時に自分から見たい、行ってみたいなんて言わなかったからだ。

 私は大丈夫っしょー?と言ってしまった。よくよく考えたら勝手に部室に侵入した挙句、部活で使う道具を自分のものにでもないのに使わせてしまうなんて明らかにダメだ。でも私はかなっちがどうしてギターそんな興味を示してるのかを知りたかった。

 かなっちは私の言葉を聞くと同時にギターへ一直線に向かっていった。ギターを手に取ると、その場であぐらをかくようにすわり、ギターの瓢箪ひょうたんのようなボディのくびれに合わせるように、太ももにのっけた。ピンと伸びた六本の弦が張られている長い板を、左手で上から、二本目、四本目、五本目の数本の弦を押さえ、右手の親指の腹で、大きな穴の空いてる部分の弦を上から二番目の弦から一つずつ丁寧に鳴らしていった。

 美しい音色が部屋中に広がり、そして次第に空中分解していった。

「――すごい」

 私は思わず声が出てしまった。たった一回弦に触れただけ、まだ曲とか全然弾いてないのに、この部屋の空気が一瞬で変わった。たった二人しかいないこの部屋に緊張がビリリと走る。体が言ってる。今私は観客なのだと、かなっちはアーティストなのだと、もうすでにコンサートは始まっているのだと肌で感じた。

 かなっちは右手の指をバラバラに動かして音を奏で始めた。バラバラになる音はどこかまとまりがあり、心地よさを感じる。ギターというと腕を思いっきり振ってジャカジャカしているものだと思っていたが、かなっちのはまるで違う。まるでハープを弾くかのように繊細な動きをしている。かなっちは息を軽く吸うと同時にギターのボディでタンタンとカウントをとった。

 すっと息を吸った音が聞こえたと同時に部屋中に透き通った声が響き渡った。

 私は言葉を失った。ここまで綺麗な歌声は間近で聴いたことがなかった。水のように透き通りつつも、とても小さい波の音のような少し掠れたハスキーボイスで瑞々みずみずしさと大人らしさを両立させ、そこに柔らかさと切なさを含んだウィスパーボイスはさらに歌の物語性を強調させていた。事実、かなっちは洋楽を歌っていたためどんな歌かは知らなかったが、わたしの中では愛を伝える曲のように聞こえた。サビにさしかかるとかなっちの歌声と演奏も最高潮に達する。ギターは打って変わってロックのように力強くジャカジャカと弾き、それに反して歌声は力強くもどこか切なく、ジャズやバラードのように繊細に歌っていた。高い裏声がすぅーっと私の体を突き抜けていく。

 気づいたら歌を終わっていた。時間は五分経っていたが、体感ではものすごく短く感じた。体は小刻みに震えていて、まだ興奮が治ってないことがわかる。

「――すごい!すごいよ!かなっち!!めっちゃ歌上手い!!」

「ふっふへ……ありがとうございます。」

 かなっちの笑顔は今まで見たことのないくらいの笑みが溢れていた。

 かなっちと何の曲だったの?いつからギターをやってたの?とか色々話そうと思った時、突然、扉がガラガラと開いた。

「誰だ?はぁ……はぁ……さっきの曲。歌ってたやつ。」

 金髪で目がエメラルド色の青年がそこにいた。

 やっば!軽音楽部の蓮介れんすけじゃん!!

 身長は百六十センチの私よりも、頭ひとつ分は確実に大きい。見ての通りイギリス人と日本人のハーフで顔は整っており、学年の中でもぶっちぎりのイケメン。

 いや、今はそれよりも早くかなっちと一緒に逃げなければ!!

 私はかなっちの手をとり、蓮介のいる扉とは逆の扉から一目散に飛び出した。おいっまて!と私達を制止させる蓮介に目もくれず自分たちのクラスへ逃げ込んだ。笑いながら逃げる私を見て、かなっちも笑っていた。


 

どうも、海音奏です。

 学校生活馴染めるか心配でしたが、クラスメイトが優しいこともあってか無事平穏で楽しい学校生活を送れています。

 ただ一つの問題を除いては。

「海音奏はいるか?」

「はっはい……私です。」

 わたしは今、四組の矢上蓮介やかみれんすけくんに呼び出されています。彼の視線がわたしに深く突き刺さり、うつむくことしかできません。

 つい先週、わたしは軽音学部の部室に無断に入った挙句、他人のギターで弾き語りをしてしまいました。

 アーティストにとって楽器とは体の一部で、それを他人に許可無く勝手にいじられるのは、この上なく重い罪です。それをわたし自身知っておきながら、誘惑に負けギターを触れてしまいました。あそこまでしっかり手入れされているギターは見たことがなくて、一度でいいから弾きたいと思ってしまったのです。しかも逃げ出してしまったため謝るタイミングを逃してしまい、今に至ります。彼がわたしを探してるのは重々承知でした。廊下を歩いていると他のクラスの子達がキャーキャーと蓮介くんがある子を探してるんだって?えーうそ!?いいなーわたしのことも探し出して欲しい!と騒いでいるのを耳にしたからです。


「ほっ本当にすみませんでしたっ!」

 わたしは床に頭をつける勢いで深く深く謝罪をした。

 心臓がバクバク鳴っている。わたしは早口になりながら言い訳を重ねた。

「とっとても、手入れがされていて、あそこまで愛されているギターを見てたら、弾きたくなっちゃったというか何というかですね……どっとにかくすみませんでした!!もうしません!!許してください何でもしますので!!」

「じゃあ俺とバンド組めよ。」

 明日四時から部室でバンド練習があるから、と彼は言い残し、教室へ帰っていった。

 予想外の返答にわたしはチャイムがなるまで口を開けたままドアの前で突っ立ていた。



 蓮介くんにバンド組もうと言われた次の日。

 わたしは言われた通り軽音部の部室の前に来ていた。

 一度深呼吸をし、心を落ち着かせたあと、覚悟を決めて扉を三回ノックした。

「んー誰ー?」

 出てきたのは、髪が茶髪の少年だった。

 少年はわたしの顔を見るとあっ!と驚いた顔をしたと思うと、ちょっと待っててねと言ってすぐさま誰かを呼びにいった。

 来たのは蓮介くんだった。蓮介くんはただ一言、入れ。というと部室の奥へ消えていった。

 わたしは恐る恐る部室に入ると、三人の生徒がそこにはいた。じゃあ自己紹介頼む。と蓮介くんが言うと、先ほどの茶髪の少年がこちらに向かってきた。

「おれ、一年三組の高梨雄也たかなしゆうや。ドラムでーす!よろしく!」

 そう雄也くんが言った後にピアノの椅子に座っていた黒髪の少年が気だるそうに立ち上がった。

「同じく、一年三組の大鷹葵おおたかあおいだ。ベース担当だ。よろしく。」

 わたしも自己紹介しなきゃと思い、足をそろえ、背筋をピンと伸ばし、自分の中で精一杯の声で言った。

「どっどうも!一年一組の海音奏です。よろしくお願いします!!」

「俺もちゃんと自己紹介してなかったな。矢上蓮介だ。今はギターボーカルをやっていた。よろしく。」

「じゃあ、今日から、フォーピースバンドとして活動していくことになる。みんなよろしく頼む。」と蓮介くんが言った。

「じゃあ早速本題に入る。」蓮介くんの声を聞いたと同時に、各自楽器の持ち場に移動し始めた。

「あっあのわたしはどうすれば……?」

 わたしはビクビクと怯えながら質問した。

「お前にはギターボーカルをやってもらう。今回演奏する曲は有名な幼馴染四人で組まれた日本ロックバンドだ。お前のギターと歌の腕前はよく知ってる。ギターは伴奏を主に、コーラスは俺たちが担当する。」蓮介くんはそう言うとわたしに、こないだのギター──アコギと、ギターに必要なその他の道具、楽譜を渡してきた。

「お前の実力なら、楽譜を見ればある程度できるだろ。」

 楽譜を見るとそこには誰もが知ってる有名なロックバンドの曲「君へ送る手紙」が書かれていた。動画投稿サイトでは一億を悠に超えていて、音楽ゲームにも必ず入ってるほどの有名な曲だ。わたしは早速ギターのチューニング、音がちゃんとなるかの確認をする。一番上の弦――六弦の音の確認をする。音はE――ドレミに直すとミに当たるところだ。チューニングの機械をギターの長い板の上にある歪な形をした部分――ヘッドにつけ、親指の腹で弦をボーンと音を鳴らすと、チューニング機にEフラットと表示された。ピッタリとずれひとつなく。

――あれ?

 わたしは次に上から二番目の弦、五弦を先ほどと同じようにボーンと鳴らした。チューニング機にはAフラットと表示された。四弦、三弦、二弦と全ての弦も同じように試したが、やはり全て半音下の音に下げられている。

「あぁ、言い忘れていた。アコギのチューニングはすべて半音下げで頼む。」と蓮介くんが言った。蓮介くんが言うには、このバンドは基本的に半音下げチューニングでのギターが特徴で、この曲はカポと言う道具を使えば、わざわざこのようなチューニングをする必要がないらしいのだが、どうしてもあのバンドをリスペクトしたくて、半音下げにチューニングをしているとのことだった。蓮介くんのこだわりは尋常ではなかった。ギターの音作りでさえ本家になるべく寄せてきていて、よく見たら髪型も少し似ている。わたしの中での彼のイメージが少し変わった。

 クールな人かと思っていたけど、とても情熱的な人なのかなと思った。

 とりあえず楽譜もある程度読み込んで、歌も準備万全になった頃、ドラムの高梨くんがそろそろ合わせようと言ってきた。

 わたしはギターストラップ――ギターを支えるためのベルトを肩にかけマイクの電源をオンにした。

 マイクチェックに入る。アーアーアーと声をかける。

 わたしの右隣にあるスピーカーから、わたしの声が流れる。音量チェックはオッケー。

 次にアコギの音量チェックに入る。Cコードを押さえて、ピックで弦を一つずつコードを分散させて鳴らす――アルペジオだ。ギター専用のスピーカーのようなもの――アンプから音が響く。ギター本体の音よりも、より大きく、温かみを持った音がスピーカーから生まれる。これがアンプの特徴。ギターの音を変えることができるのだ。次に大鷹くんのベースの音をギターと同じようにアンプにつなぎ音を鳴らす。アンプから心臓にズンッと響く重低音が鳴った。

 大鷹くんは一通り軽く指を動かした後私達に準備できたとオッケーポーズで合図を出した。次に高梨くんのドラム確認だ。ドラムは基本的に狭い部屋ではマイクもつけないし、音量調整もしない。今確認しているのは、いわゆるドラムのチューニング、音色の調整だ。

 左にある太ももに挟まれたタイコ――スネアをタンタンと4回鳴らしたあと、次にその上にある少し小さなタイコ――ハイタム、またその隣にある少し大きいタイコロータム、さらに大きな右隣にあるタイコ――フロアタム、最後に足元の一番大きなタイコ――バスドラムをひとつずつ先ほどと同じ通りに鳴らしていった。その次に大きなシンバルを一通り叩いたあと、スネアの隣にあるパカパカと開くシンバル――ハイハットを軽く叩いた。高梨くんはグッジョブと合図を出した。

 最後に蓮介くんのギター──エレキだ。床に置いてあるエレキの音を変えるアイテム――エフェクターを巧みに踏み、音色を変えていく。一通りフレーズを軽く弾いて終わると、蓮介くんは深呼吸をし、私たちに向けてピースをした。準備オッケーの合図だ。

――ドラムのカウントが始まる。

 変則的なリズムがスティックから鳴ったとともに楽器隊の演奏がぱっと部屋中に広がる。わたしのギターはジャカジャカと鳴らして深い闇夜を作り、ベースとドラムが夜空に星を散りばめる。そこにエレキの明るいフレーズがこの部屋にほうき星を飛ばした。もうすぐボーカルが入る場所だ。わたしは深呼吸を一度し、覚悟を決めた。ボーカルが加わる。今まで見えていた景色に歌詞が加わったことで、今までひとつの曲だったのが、物語へと昇華した。暗闇で見えなかった足元はあの日の公園へと続いている。私自身が音楽になっていくような感覚がとても気持ちよかった。しかし、2番サビを過ぎると同時にこの物語はボロボロと崩壊していく。スピードが速くなっている。多分わたしが。どんどん前のめりになっていき、グラグラとこの部屋が歪み、気づいたら──もうラストのサビに入っていて、わたしは入るタイミングを残してしまっていき、演奏は空中で霧散してしまった。途中で演奏は中止され、部屋にはギターのアンプから流れるノイズがいく先を見失い、ただただ彷徨さまよっていた。

 周りから睨まれ、蔑まされてるような感覚におそわれて、わたしは思わずこの部屋から逃げ出してしまった。

 おいっ!と止めようとする蓮介くんを無視して、階段を駆け降りた。わたしの目から涙が溢れていた。


 そとは突風と天気雨に見舞われていて、桜はものすごい勢いで散っていき、花嵐を作っていた。

 わたしは傘すら差す気力がなくただぼーっとしながら歩いていた。わたしがCメロで走ってしまった。ラスサビに入る前の一番重要な部分なのに……。

 そんなことを考えてると後ろからおーいと叫んでる人の声が聞こえた。後ろを振り返るとびしょびしょになりながら走ってくる蓮介くんが見えた。

「ハァ……ハァ……やっと追いついた。」

 息を切らしながらそう言うと蓮介くんは右手に持った傘を広げ、わたしに差し出した。

「……傘持ってる。」と口にしたわたしの言葉遮るかのように、

 「差さなきゃ意味ねえよ。」と蓮介くんは言った。


 結局,わたしは蓮介くんに家まで送ってもらうことになった。相合傘のようで少しドキドキした。

「俺はお前の歌が好きだ。」わたしは自分のつま先を見つめたまま話を聞いた。顔が少し赤くなる。

「お前の歌を聞いた時、自分の中でビビッと来たんだ。この声、この演奏技術ならきっと次の新入生歓迎会は成功して――新入部員が入ってくれるって思ったんだ。」

「……新入生歓迎会?」

「あぁ、お前には言ってなかったか。四月八日――入学式の二日後に新入生歓迎会があるんだ。そこで部員が入らなきゃうちの部活は廃部だ。今は俺たち一年三人しかいないからな。……廃部にしたくないんだ。親父の思い出の場所だから。」

「お父さん好きなの?」

「あぁ、親父は俺の目標だからな。」

 わたしもお父さんが好きだ。長崎の海辺の、無人駅と学校、廃れた商店しかない港町でわたしはお父さんと住んでいた。お父さんは仕事の都合でよく九州を飛び回っていて、あまり構ってはくれなかった。学校でも人が過疎になっていて同い年の子が一人もいなくて、友達がいなかった。ずっとひとりぼっちだった。でもお父さんはそんなわたしにギターをくれた。一人でも寂しくならないようにと。いつしかわたしの中ではギターは唯一父との絆を繋ぐものだった。

 気づいたらわたしは家の前に着いていた。

 蓮介くんはわたしの目をじっと見つめて言った。

「今回合わせるのを失敗したのはお前のせいじゃない。俺にはお前が必要だ。来てくれ。お前を信じてる。」

 じゃあまた。と去っていく彼に、手を振ることすらできずただ呆然と見つめていた。



結局わたしはそれ以来部室に行くことはなかった。

 気づいたら進級して二年生になっていて、あっという間に新入生歓迎会の日になった。

 朝の号令が終わるとクラス全体で体育館へ移動した。

 体育館へ移動すると、前から一年の席を開け、二年、三年へと横並びに詰めて座った。ステージまでの距離は案外近く、小さくではあるが人の姿がくっきりと見えるほどだった。

 いよいよ、新入生歓迎会が始まる。まずは吹奏楽部の演奏だった。高らかに響く行進曲は入場する一年生を祝福する。

 一年が席を着席するとともに、新体操部が演技を始めた。観客は大いに盛り上がり、熱気が高まった。次に午前の部――運動部の紹介が始まる。それぞれ得意の技を見せつけるパフォーマンスは観客を沸かせた。運動部の紹介が終わると次はいよいよ午後の部――文化部の紹介。まず最初に美術部が作ったアニメーション、その次は演劇部の白雪姫、囲碁将棋部の囲碁解説などそれぞれの発表が終わり、最後の大トリにとうとう、軽音楽部の発表――ライブが始まった。

 ステージの幕が上がるとすでに楽器やスピーカーは置かれていた。入場曲がかかると同時に裏手から矢上蓮介くん、高梨雄也くん、大鷹葵くんの三人がステージに現れた。

 わぁーと黄色い歓声が上がる。三人はそれぞれ自分の楽器の位置へ着くと、最後の音出しを兼ねて、入場曲に重ねて演奏し始めた。スピーカーから流れる音源に彼らの世界が混じっていく。会場は一瞬にして彼らの作る星空――音楽に包み込まれた。曲が止まると同時に彼らの演奏も止まり、みんなが寝静まった夜にも似た静寂が生まれた。体感数秒経った後蓮介くんがマイクに口をつかづけ、「大切な人に送る歌です。聴いてください。」と言った後に、夜の世界を光で切り開くかのように、ドラムスティックでのカウントが始まる。

 ワン、ツー、スリーとカウントをし、一拍間を開けたところで、ギターのなめらかなアルペジオが響いた。走った後の心臓よりも早いテンポで、ドラムとベースが淡々と進んでいき、そこにギターの音が共鳴して、宇宙を広げていく。バスドラムのドンドンと心臓に響く音が、ベースの低い重低音が歌を支えてくれている。2回ぐらい同じ音が繰り返された後にギターからやわらかくも、甲高いソプラノが響いた。その瞬間、わたしたちの聴いていた音がガラリと変わった。これは宇宙じゃない――雨だ、わたしは今雨の中にいる。わたしの心がそう言っていた。土砂降りの中、雷が鳴り響いているようで、誰かとの別れを憂いでいるそんな歌。蓮介くんがマイクを握り歌い始めた。彼が歌う曲はやはりあの歌だった。有名幼馴染四人のロックバンドの清涼飲料CMソング、「君がダイヤモンドになったあの日」だった。

 自分の中でとても大切な人が突然姿を消した日のことを描いた歌。大雨の中、君の足音がきえ、稲妻のように一瞬で過ぎ去っていき、きっと大切な人は戻ることはもうないけど、それまでの日々は宝石――ダイヤモンドのように美しく、変わらないものだと詩。わたしの中で一、二位を争うほどに好きな曲だった。

 ――もしかして、わたしに?

 そんな勘違いまがいの考えをしていた時に、隣に座っていた杏ちゃんが肩をポンポンと叩いていた。振り返ると、杏ちゃんはニヤニヤとしながらこちらを向いている。

「杏ちゃんもしかしてなんかした?」わたしは彼女の耳にそう呟くと、

「ごめーんかなっち!蓮介くんがどうしてもって言うからさ~!」

 言葉を紡ぐように、語りかけるように唄う彼の歌がわたしの心の端々を突くように感じた。私には彼が悲しそうに──まるで自分のことを詩ってるように聞こえた。一番サビが終わり、2番に入った頃、エレキの音――特に一弦のあたりからとても小さいゆがみのような音が聞こえた。音が外れているようなそんな音。まだ違和感に気づくほどではないけど、もしかしたらこれは、ペグ――チューニングするつまみが壊れているのかもしれない。

 どうしよう。どうしよう。あのままだとチューニングがみんなが気づくくらいまで音がずれてライブが失敗しちゃう!次の曲は多分「君へ送る手紙」。あれのギターは一弦と二弦を同時に鳴らすことで生み出すハモリをふんだんに使った演奏方法。バッキングならまだしもギターメロディの方だとどうしても……。

 下を向くと、強く握って汗だらけの手がそこにはあった。

 わたしならもしかしたら打開できるかもしれない。

 でも……怖い。体が震える。冷や汗が止まらない。

 ふと、そんなわたしに、杏ちゃんがポンポンと肩を叩いてきた。わたしは杏ちゃんの目を見た。

 行くんでしょ。杏ちゃんはわたしそう言っている気がした。

 ……うん。うん!わたし決めた!私の中の本能が言ってる!行ってくるよ杏ちゃん!

 わたしは立ち上がり、先生に体調が悪いのでトイレに行ってきます。と言った後、すぐさま軽音学部の部室へ走った。心臓が破裂するほどに階段を駆け上った。

 部室は鍵がかかっていなかった。

 部屋に入るとギターケースが窓際の椅子に立てかけられていた。わたしはすぐさまそれを担ぎ、ロケットみたくその教室を飛び出した。ドクドクドクと心臓はドンドンテンポを上げていく。わたしは後者を飛び出ると体育館の裏の入り口――ステージの裏側につながっている扉へと向かった。着くと扉の前に男の先生が大仏みたく立っていた。わたしはすみませんっ!と大声で謝りながら大仏先生を押し退け体育館のステージへ全力疾走した。

 止まれぇっ!と大声で叫ぶ先生の声をわたしは「あぁあぁぁー!」と叫び声でかき消した。ドクドクドク、ドクドクドクと体全体を暴れまわる血液が、はち切れそうなほどの肺が、BPM二〇〇にひゃくオーバーで刻む鼓動が、なんたが気持ちよくて、気づいたら顔の筋肉も、ものすごく張っている。多分、今わたしは笑っているのだろう。

 一曲目が終わり、次の曲が始まるまでの、インスト曲が流れる間にわたしはステージに飛び出した。

 観客からざわめきの声が上がった。もちろん軽音部のみんなも驚いた顔をしていた。ただ一人を除いては……。

 ギターケースから即座にギターを取り出し、チューニングを始める。

「……来てくれたんだな。奏。」

「うん。ごめん。わたし逃げてた。みんなに迷惑かけちゃった。それよりも蓮介くんのギター……。」

 いいんだ。と蓮介くんは言った。

「このギター親父からもらったやつで――もう長くはないって気づいてたんだ。でも最後まで一緒に使いたくて……。」

 わたしはただ頷いた。慰めにかける言葉なんて要らなかった。蓮介くんの音楽が全てを物語ってくれていたから。わたしはギターを背負うと、蓮介くんに一弦と二弦以外の弦のチューニングを完璧にしといてと伝えた。

 音の確認のためギターの弦を上から順番にそっと撫でる。綺麗なBコードが体育館に響いた。大丈夫、体は温まってる。一度深呼吸をしたら、ギターのボディを叩いてカウントをとる。

 ワン、ツー、ワンツー。


 奏の声が高らかにひびいた。あまりにも綺麗な裏声での高音は、まるでオーロラのようだった。奏は周りの視線に気を取られず、足を震わしながら精一杯歌っていた。あいつはすごい。初めて聴いた時は言葉が出ないほどだった。俺にはない才能を持ってる。今だって、ギターを半音下げにしたため、わざわざ半音下げで弾ける曲を選び、即興で弾いている。普通の人にはできることじゃない。こいつと一緒なら俺は親父に……。


 気づいたら演奏は終わっていて、わたしは拍手に包まれていた。汗はもうダラダラで息はまともに吸えなくなって、周りは若干ぼやけて見える。

 いや!まだ終わってない!

 わたしは雄也くんと葵くんに、時間稼ぎのアドリブをお願いすると、すぐさま蓮介くんの元へ駆け寄った。

 ギターとベースがリズムを刻んでいく中わたしは蓮介くんに言った。

私は蓮介くんのエレキを指さすと。

「その子をわたしに託して!」

 蓮介くんは目を大きく見開いた。

 わたしは続ける。

「この曲のバッキングは一弦と二弦を使わない。蓮介くんのギターでわたしがバッキングを弾いて、今わたしが持っているアコギであなたがリードギターを弾けば乗り切れる!お願い!」

 わたしは深く深く頭を下げた。大事な家族を預からせてください!

 彼はわたしの肩を叩いた。顔を上げると彼はわたしにギターを差し出した。

「頼む。」

 わたしはうん!大きく頷いた。


 いざ始まらんと雄也くんのカウントが始まる。

 ワン!ツー!ワンツー!

 アコギの明るくもどこか懐かしさを感じる音が体育館を覆い、ベースとドラムが私たちの行くべき道を作った。わたしもギターをずんずんと鳴らし音に厚みをだす。イントロが終わり、いよいよボーカルが加わる。今まで奏でていた景色に唄が共鳴したことで、音楽は物語となった。今までとは何処か違う景色。ピッタリと歯車が噛み合ったような感覚。それがとても心地よくて、いつまでも続いて欲しいと思った。


 ジャーンと最後のギターのキメが入る。曲が終わると同時に、体育館中に拍手の雨が降り注いだ。

 わたしは力が抜けてしまい、大きく尻餅をついた。

 わたしたちを上から照らす大きな光を遮る影がひとつ。

 見上げるとそこには蓮介くんがいた。

 「これが、バンドだ。合わせるの楽しいだろ?」

 と彼が手を差し伸ばしていた。

「うん!楽しい!」わたしは彼の手を思いっきり強く握った。

 

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