虹色のキャンディー

 秋の日の昼下がり、木枯らしが吹き木々がガサガサと音を立てて、冬の訪れを今か今かと告げている。そんな季節の変わり目、ある喫茶店がclosedの看板をひっくり返す。

 その古風な喫茶店は知る人ぞ知り、まるで隠れ家のようにひっそりと佇む。外見に特徴があるとすればそのアンティークさを重視した黒茶色の壁を持ち、玄関前に花々が爛々と咲き誇りながらもなお、誰にも見つからないように隠れられている事だろうか。

 平日はほとんど客の来ない店であるが、今日この日に限ってはそうではないようだ。マスターがコーヒーカップを磨いていると、カランカランとドアベルの音が小気味よく店内に響く。

「いらっしゃいませ」

 カウンター席に座った女性にマスターは静かにメニューの書かれた小さな本を出す。この喫茶店の席にはガラス細工のグラスの中に色とりどりのキャンディーが入っている。

「ねぇマスター聞いてくださいよ」

「今回は何があったんですか?」

 マスターはコーヒーカップを丁寧な手つきで磨きながら話に応じる。この店のカップはありきたりな白のマグカップだが、いつも新品同様の輝きを誇っているのは、誰あろうマスターの手入れの賜物である。

 曰く、道具へと愛情を注げば注ぐコーヒーにも深みと味わいが出るのだそうだ。

「彼氏に振られました」

「それはまた」

 マスターは話の先を促すように相槌を打つ、長年小さな喫茶店のマスターをやっていればこう言った話にも慣れているのだろうか、自然と相手の口が回り出す。

「私の愛は重いんですって」

「前回とはまた違った振られ方ですね」

 マスターは「そうなんですか?」と食器を拭く手を止めずに女性に問うがそれが琴線に触れたのか彼女は涙を流す。

「私が知るわけないじゃないですかぁ!!」

 女性が大袈裟に項垂れながら、マスターへと不平不満を訴える。店の雰囲気に当てられたか、感情は溢れど大声になることはなかった。

「それもそうですね」

 マスターはその後来るであろう大量の不満や愚痴などを聞くためにコーヒーを淹れるための準備をしだす。この女性客が来る時は決まってそうなのだ。

「ブレンドコーヒーでよろしいですか?」

「お願いします」

 ジトーッとした目をマスターの後ろの棚へと向けながら女性は返答する。項垂れた頭をカウンターへと預けるようにすると、途端に堰を切ったように言葉が流れ出す。

 ようやく一段落ついたのはマスターがコーヒーの支度をあらかた終えた後だった。

 これからコーヒーを淹れる食器達を、丁寧に洗っているマスターをボーッと見ながら女性は言った。

「愛ってなんなんでしょうね」

「と言うと?」

「重いと鬱陶しがられて、軽いと疑われる。してるだけ損じゃないですかぁ」

 今までのことを思い返しているのだろうか顔をしかめながら、苦い声を出している。

「そう言うものですかね」

「マスターはそう思わないんですか?」

「どうでしょうね」

 マスターはフフッと笑いながら少し考えをまとめるように、ガリガリとコーヒー豆を挽いて、濾紙へ運ぶ。小さなコンロから丁度いい温度になったコーヒーポットを取り出し、濡れたタオルの上に乗せる。

 それから挽いたコーヒー豆をじんわり蒸らすように円を書きながらお湯を注ぐ。するとたちまち店内にコーヒーの良い香りがフワッと広がる。

 女性はそれの一連の動作を止めることなく、話しかけることなく、ただじっとまるで奇術でも観るかのような面持ちで楽しんでいた。それがここでの鉄則なのだろうか、少しもすればマスターお手製のブレンドコーヒーが目の前に差し出される。

「オリジナルブレンドです」

 ミルクなどはお好きにどうぞ、とそっと横に角砂糖とミルクが置かれる。女性がミルクと少しばかりの角砂糖を入れて、クルクルとスプーンで馴染ませる。

 一口含んだ女性は「美味しい」と声を零し、ほっと一息を吐く。

 それを和かに見ていたマスターは先ほどの話を続けるように口を開く。

「これは例え話ですが、愛情は十人十色、色々な形があるんだと思いますよそのキャンディーのように」

 とマスターはカランとガラスの中のキャンディーを一つ取り出し女性に渡す。そのキャンディーは水色で店内の明かりを反射してキラキラと輝いていた。

「この水色のように透き通る事が美徳のキャンディーもあれば、この白いキャンディーのように濃厚な味わいを秘めているものもあります。だからきっと恋愛もそういう物なのでしょう、様々な色があり、また様々な味がある。貴方に合う色や味を探して見るのも楽しいですよ」

「マスターはまだ探してるんですか?」

「さぁ?どうでしょうね」

 含みのある笑みをしながら、マスターはドリップした後のサバーやドリッパーを洗っている。

「ですがひとつだけ言えるのは」

と一呼吸置いて、悪戯っぽい笑みを浮かべて告げる。

「この歳になっても恋愛とは面白く、そして奥が深いものですよ」

 それを言い終えると、マスターは食器を片付け、またコーヒーカップを磨いている。

「なんか元気出てきました」

 そう女性が言うと、お金をテーブルへと置きながら席を立ち「お釣りは相談に乗ってくれた分です!」と告げ、軽い足取りでまたカランカランとドアベルを鳴らして、喫茶店を後にした。

「ご来店ありがとうございました」

 マスターはそう誰もいなくなった店内でポツリと呟く。強く揺らされたドアベルの音がまだ、店内に響いていた。


 

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