掌編エッセイ・『#○○アレルギーです』

夢美瑠瑠

掌編エッセイ・『#○○アレルギーです』

(これは、「#私は○○アレルギー」という今日のアメブロのブログネタに投稿したものです)



  アレルギーというのか?いわゆる「自己免疫疾患」のひとつで、”難病指定”になっている「潰瘍性大腸炎」を罹患したことがある。これは難治性で、「不治の病」とされているが、僕の場合はもう寛解状態になってから20年以上経過しているので、もう完全に治ったとみていいのだろう…最初はちょっと書くのをはばかられるほどにひどい状態になって、髪の毛は抜け落ちてがりがりに痩せた。人生最大の大病でした。その時は入院はしませんでしたが、30年以上ののちに、大酒が祟って心不全と肺炎を起こして、危篤になって入院した。2年位前です。ICUというところに初めて入れられて、2日ほど療養したが、この時は全く眠れずに、全く動けないような状態で酸素吸入器を付けたままひたすら心電図を眺めていた。人生で一番苦しい時間だったかも…が、そういう集中治療室などという物々しいところで暮らすのは新奇な体験で、今でも不思議と苦しかった時間は忘却して、ああ、あの看護婦さんはちょっとイモいが可愛かったなあ?とかむしろ愉快な思い出になっている気もします。?あまりにも苦しい記憶というのは、リアルなデテイルが殺ぎ落とされて、美化されるという、こういうことは誰でも首肯する、おなじみの心理現象かもしれない。今までにも散々辛酸を舐め尽くしてきたような、これは今も変わらずに現在完了形の、トーマスマンではないが、「滑稽と悲惨。滑稽と悲惨」ばかりの人生だった。少しいいことがあると、それに数層倍する災いが降りかかってくる、そんなことの繰り返しだった。もういっそ死にたい。全部終わりにしたい。毎日そんなことばかり無理やり思わせられて、言わさせられている。が、本人は底抜けの楽天家というのか、いつのときでも案外悲観せずにやり過ごしてきたのだ。自分でももしかしたらおれはかなり抜けていて、能天気なのかな?とか疑うこともある。が、アイキューとかは非常に高いので、これは人生のどこかで、何かが間違っていたのだと思う。「十字架を背負う」とよく言うが、これはキリストの故事からきている。苦しんでいる人はすべからくキリスト…「四苦八苦」も仏教の要諦である。「生老病死」が人生の本質なのだ。が、「涙とともにパンを齧った人でなければ人生の味はわからない」とも言う。めげずに明日からも頑張ろうと思う。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

掌編エッセイ・『#○○アレルギーです』 夢美瑠瑠 @joeyasushi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ