最終話.結婚

 二人で最上階にあるバーに向かった。


 それぞれ飲み物を注文し、窓際の席に並んで座る。田舎とはいえ一応駅前なので、眼下にはそれなりに夜景が見えた。


 美咲は怒りは収まったようで、しなやかな細い指でカクテルをすっと飲んでいる。その横顔はバーの雰囲気もあって色っぽい。


 俺はビールを一口飲むと、さっさと話を終わらせようと先に口を開いた。


「結婚するんだって?」


「うん。8月ね」


 やっぱりそうなのか。屈託もなく答える彼女の態度が寂しい。


「入籍も8月?」


「そう。入籍して式を挙げる感じ」


「そうなんだ」


 まだ彼女が人妻でないことに意味もなくホッとしていた。


「相手は誰なの?」


「うちの会社の専務。社長の息子」


 前に送られてきた写真の中の誰かなのだろう。


「そっか。玉の輿ってやつだな」


「フフッ。ほんとそう」


 彼女は幸せそうに微笑んだ。その笑顔にチクリと胸が痛む。同時に、幸せそうな彼女を素直に祝ってあげられない自分の心の狭さに嫌気がさした。


「いつから付き合ってたんだ?」


「うーん、一昨年おととしの11月くらいじゃないかなぁ」


 彼女と最後に会ったのは去年の2月。メッセージのやり取りは去年の6月頃までしていたので、半年近く二股を掛けられていたことになる。


 浮気されていたことに怒りが込み上げたが、今更文句を言っても仕方がない。


 それより、過去の事とはいえ、悪びれもせず浮気をすんなり白状した彼女の気持ちが分からなかった。前はもっと正義感の強いだったと思う。きっと、もう俺のことなんて眼中にないのだろう。


「紀之は? 最近どう?」


「ん? まあまあかな」


 お前の結婚の話を聞いて、心はグロッキーだけどな。


「そっか。ご飯ちゃんと食べてる? 少し痩せた?」


 確認するように、彼女は俺の顔を覗き込んだ。


 久しぶりにまじまじと見た彼女の顔は、別れる前より綺麗に見えた。逃した魚は大きいなのか、実際綺麗になったのかは分からないが、なんとなく悔しい。


「ちゃんと食べてるよ。痩せたかどうかは……、わからないけど」


「そう。イギリスはどうだった?」


「とにかく忙しかったよ。毎日、お客さんと工場を行ったり来たり。出荷したのに届いてないとか、不良品が紛れ込んだとか、とにかくトラブルが多くてね。まぁ、俺がうまく立ち回れてなかったところもあるけどさ」


「でも、紀之は頑張ってたんでしょ?」


「うーん、まあな」


「ならいいじゃない」


 私がいなくても大丈夫ね、とでも言いたげな感じだ。


「観光は? バッキンガム宮殿とか、どっか行ってないの?」


「そんな余裕はないよ。遠目にビッグベンを見た程度。まぁ、今度は少し周ってみようかと思ってるけど」


「ふーん」


 なぜか彼女はニヤけている。


「日本に帰ってきても仕事はまだ忙しいの?」


「うーん、最近は慣れてきたのか、多少余裕が出てきたかな」


「そっか。ならよかった」


 彼女は安心したように微笑んだ。今更彼女から気遣いの言葉なんて聞きたくない。


「こっちにはいつまでいるの?」


 最初の予定では明々後日しあさってまでいるつもりだったけど……。


「明日戻るよ」


 今はできるだけ早くこの町から去りたかった。またあの忙しい日常に戻って、何もかも忘れたかった。


「えっ!? 明日? そんなに早く? もう少しゆっくりしていったらいいじゃない」


 彼女の言葉にイラっとした。幸せな自分を俺の目に焼き付けさせるために、引き止められている気がした。


 俺はもう一刻も早くこの場から立ち去りたかった。まだ半分以上残っているビールを一気に流し込む。


 これで彼女とは永遠にお別れ。年に数回帰ってきたくらいじゃ、小さな町とはいえ偶然会うこともないだろう。


 ……最後くらいはちゃんとするか。


 そう思うと少し心に余裕ができた。ふーっと息を吐き軽く笑顔を作る。


「結婚おめでとう。お幸せに」


 言えた。短い言葉だったが、お祝いの言葉を言うことができた。


 俺はなんとなく自分の中に区切りをつけられた気がした。まだモヤモヤはあるけど、前を向いていけると。


 よし。同期に合コンがないか聞いてみるかな。確か西本がその手のことには詳しかったはず。あっ、隣の部署に可愛いが何人かいた気がするなぁ。声を掛けて……、それはちょっとやりすぎか。


 目的を達成し少し晴やかになった俺は、早くヤスたちに合流しようと腰を上げた。


「わかった。伝えとくね」


 ……。


 ん? なんて言った? 伝えとく? 誰に? 婚約者に? 元カレから「お幸せに」って言われたよって?


「ん!?」


「ん!?」


 俺たちは顔を見合わせた。


「うん。に伝えとくよ。……なにか変?」


 彼女が首をかしげた。俺も首をかしげる。


「お姉ちゃん?」


「そうだけど……。紀之、誰が結婚すると思ってたの?」


「お、お前じゃないの?」


「はぁー!? なんで私がー!?」


 静かなバーに彼女の叫び声が響き渡る。


「えっ!? だって……、はっ!」


 俺はここで気づいた。


 母ちゃん! ちげーじゃんか! なにが美咲みさきが結婚するだよ! 美幸みゆき(姉)の方じゃん!!


「もしかして紀之、私が結婚すると思ってたの?」


「えっと、その、まぁ、そうかな」


「なんだぁ。だからずっと変な感じだったのね」


 彼女はまったくといった感じで大きくため息をついた。そして俺もやれやれとため息をつく。


「お姉ちゃんが誰かいい人いないって言うから、私がうちの専務を紹介したのよ。そしたら、いつの間にか付き合ってて結婚することになって」


「アハハ、そっか。そうだったのか……」


 俺は席に座り直しビールをもう一杯頼んだ。なんか安心して喉が渇いていた。


 外の夜景を見ていた彼女が、ふとため息混じりで言う。


「あのさ、私のことは紀之がもらってくれるんじゃないの?」


「えっ!?」


「忘れたの? 迎えに来るって言ってたじゃない?  そう思って私ずっと待ってるんだけど」


 確かに言った。就職する少し前に落ち着いたら迎えに行くと。


「紀之、就職したばっかで忙しいのかメッセージもほとんど返信ないし、そんで、そのうちイギリスに行っちゃうし。私もね、高校卒業して就職した時はかなりいっぱいいっぱいで、あんまり周りのこと考える余裕がなかったの。だから、紀之もそうなのかなぁと思って、連絡するのを我慢してそっちから来るのを待ってたのに……」


 考えてみると、忙しさにかまけてこっちから連絡しなかったし、メッセージの返信もあまりしてなかったかもしれない。


「俺、てっきりもう別れたものだと……」


「なにあんた。今更私を捨てようとしてたわけ?」


「いや、そういうことじゃなくて」


「そういうことじゃないって、どういうこと?」


「あの、お前の方から離れていった気がしてたから……」


 俺の言葉に彼女は下を向いてハァーっと豪快にため息をついた。


「あのさ、あんだけ色々されて他にお嫁に行けると思う? 言ってあげようか?」


「えっ!?」


「お尻に入れられたり、おもちゃ突っ込まれたまま外を歩かされたり、縛られて叩かれたり飲まされたり。まぁ、たまに私が飲ませたこともあったけど。紀之、美味しそうに飲んでたよね?」


「お前、なに言って……」


「まだあるわよ。誰もいない夜のビーチでとか、あっ、そうだ、山の上でも何度もされた。私は嫌だって言ったのに」


「ちょ、ちょっ、やめろって。誰かに聞かれたら……」


「うるさい! 言っておくけど、あんたも撮ってたけど、私も撮ってんだかんね。あんたの息子に変態プレイをさせられましたって、写真や動画をおばさんたちに見せようか? どう責任取ってくれるんですかって!」


 なんか恐ろしいこと言ってる。あんなん親に見られたらある意味人生終わるって。


「いや、それはやめてくれ。えっと、あの、ごめん」


「ごめん?」


「いえ、あっと、すみませんでした」


 俺はガバッと頭を下げた。


「で、すみませんでしたで何よ?」


「あの、もちろん責任取ります。はい、ちゃんと」


「取る?」


「いえ、責任取らさせていただきます。取らせてください。取りたいです……」


 更に深く頭を下げる。


「はぁ、まったくもぅ。あっ、他に女作ってないよね?」


「い、いないよ。ずっと美咲だけだって……」


 彼女は疑うような目で、怯んだ俺の顔をじっと見ている。


「うん、よろしい! じゃあ、明日、婚姻届けを出しに行こう! 大安たいあんだし」


「えっ!? 明日?」


「そう明日!」


「きゅ、急すぎやしない?」


「な・に・か?」


「いえ、はい、なんでもないです。明日出しましょう……」


 そのままホテルで愛を確かめ合った翌日、俺たちは晴れて結婚した。

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噛み合わなかった二人、噛み合う人生 瀬戸 夢 @Setoyume

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