錬金術師博物館
錬金術師博物館
昼食をとらず午後一時三○分まで続けられたテストが終わった。
俺は暗記瓶が外れなくなったと騒ぐ砂月を無視して、今は学園の図書館に居た。
テスト中に見た夢について調べようと思っていたのだが、目当ての歴史に関する本が無かった。
そもそも夢について調べてみると、それなりに力のある魔術師なら対象の夢に干渉することができるそうだ。
こうなってくると話が変わる。
夢について調べることを諦めた俺は、明日のテスト範囲の勉強に入った。
「う~ん……う~ん……」
モクモクと勉強をする俺の隣で、この図書館の司書も務めている斯枝先生が、俺がテストに書きつづった考察について、積み上げた歴史書や様々な文献を崩しながら照らし合わせていた。
他の生徒はとうの昔に下校していて、今、この図書館に残っているのは俺と斯枝先生だけだった。
「斯枝先生」
「どうかしたー?」
「最終下校時間がそろそろなんで、帰ります」
「そう? 気をつけてね」
斯枝先生は、ペンのノック部で頭をコリコリと掻きつつ答えた。
普段の斯枝先生に見られない行動のため今はかなりイライラしているのだろう。
触らぬ神に祟り無し、と言うわけではないが早めに帰ったほうがいいだろう。
「それでは、失礼します」
「はーい、気をつけてね」
「はい」
図書館には蔵書を日焼けさせないように窓がなかった。
斯枝先生に別れを告げて外に出た頃には、日は完全に沈んでおり校門に立てられている水銀灯が申し訳程度に辺りを照らしていた。
「結構、遅くまでいたな……」
暦の上では春でも、日が沈むのはとても早く気温も低い。
美優から貰ったマフラーがとても重宝した。
「おっと、そういえば……」
美優で思い出したが、ランタンを長く灯す方法を博物館で調べたいと言っていたんだった。
博物館の閉館時間を知らなかったが、たぶん7時とかその辺りだろう。
それなら、調べものをするくらいの時間はあるはずだ。
そう考えて走ってきたのだが、問題が起きた。
時間的にはまだ開館している時間にも関わらず、入場券を買うための完売所にはだれも詰めていなかったからだ。
しかし、博物館の門とその奥の扉は開いている。
不思議に思いながら博物館の中に入るも、館内に人の気配はなくただ無機質な展示物が並んでいるだけだった。
「誰も居ないのか……?」
ポツリと呟いた声が、やけに大きく聞こえるくらい静かな館内をゆっくりと進む。
お金を払っていないのであまり奥へ行かないように気を付けているはずなのに、歴史的に価値の高い展示物に惹かれて、少しずつ少しずつ奥へと入って行ってしまった。
「お客様、当館はまもなく閉館となります。展示物を鑑賞中、申し訳ございませんが閉館時間にご注意くださいますよう、お願いします」
「――すみませんッ!」
突然、声をかけられて驚いてしまい声が裏返ってしまった。
振り返ると、そこに居たのは博物館の職員ではなく俺と同じ聖城学園の制服を着た女子生徒が立っていた。
胸に付けられた科章から、彼女が錬金科の生徒で同学年だと見て取れた。
「あれ?」
「あっ……」
似たような驚きの声を上げる二人。
近くに博物館の職員が居るのかと見渡すが、彼女の他に誰も居ない。
つまり、閉館時間を知らしてくれたのは彼女ということになる。
「えっと……入場券って何処で買えばいいか知ってる? 俺、まだお金払ってないんだ」
「あっ……あなた、魔法考古学科の斯枝先生のクラスの三塚君よね?」
「……何で俺の名前を?」
こう見えて
それに、品行方正とは言えないまでも人様に恥ずかしいと思われる行動もしたことがなかった。
「――ちょっと……斯枝先生を訪ねたときに知っただけよ。それより、あなたは魔法考古学専攻よね? ここは錬金術博物館だから魔法考古学で使えるような資料は無いと思うわよ」
錬金科に知り合いは居らず、この女子生徒がなぜ自分の名前を知っているのだろうと思った、がそういう理由だったか。
それに、親切にも魔法考古学に使えそうな資料を置いていないことも教えてくれた。
「そうなんだ。古い博物館だがら、何かあると思って来たんだけど。まぁ、それに妹の調べ物もついでにしようかと思ってね」
「妹って中等部の魔工学科の三塚美優さんのこと?」
「……よく知ってるな。まさか――」
「――ッ。別に……担任の先生に色々、聞きに来ていたのを思い出したのよ。うちの担任、今は錬金術に身を置いているけど、元は魔工学の人間で、その分野では結構名の知れた人だったから」
「ああ、そうなんだ」
「実験で何か被害を受けたんじゃないのか?」と言おうと思ったけど、どうやら杞憂だったらしい。
美優に限って酷い事故が起きることはないと思うけど、何かあってからじゃ遅いので安心した。
それにしても、高等部の先生に話を聞きに来るなんて、普段、美優はどんな実験をしているのか気になる……。
「――まあいいや。とりあえず、お金を払うよ。幾らだっけ?」
「……呆れた。ここの入館料も知らずに入ってきたの?」
微塵も隠すことなく大きくため息をつかれた。
「しかたないだろ。券売場に誰も居なかったんだから」
「それはそうでしょう。さっさと見て回っても4日かかる博物館に、閉館数分前に来る人なんて居ないから、券売所を早く閉めるのは当たり前よ」
「おっ、そうか。それなら納得だ」
券売場に販売員が居ない理由を聞いて納得した。
たしかに外観からの想像だけど、この博物館はかなり広いはずだ。
それに、子供の頃の記憶になるが博物館の中で鬼ごっこをしても、同じ部屋に出るまでかなり時間がかかったはずだ。
それより、さっさと見てまわって4日かかるなんて、きちんと見たら何日かかるんだよ、と少し笑ってしまう。
「まあ、とにかく入館料は払うよ。君の……」
「
自己紹介しながらネームプレートに書かれた名前を見せてくれた。
「悪い。じゃあ、樹墨さんの仕事の邪魔をしたくないしな。いくら?」
「一般入館で2800円よ。生徒手帳を持っていたら学生割引で2000円になるわ」
「たっ、高い!」
展示物の多さからそこそこ値が張ると思っていたが、さすがにこれは高すぎた。
これだけの物を保管しているのだから当たり前だと思うかもしれないが、学生割があるといっても金欠学生にとっては全く安くない。
「だから言ったでしょ。それともどうする? 辞めるの?」
「いや、男に二言はない。払うと言ったら、払うよ」
血を吐きそうな声を出しながらポケットから財布を取り出す。
「そう。じゃあ2000円ね」
「ああ、わかった」
財布から、なけなしの2000円を抜き出そうとすると、樹墨はいやらしい笑いを浮かべながら手首にはめた腕時計を見た。
「あら残念。閉館時間よ」
時計に目をやりながら、そんな無慈悲なことを言ってのけた。
「なんですと!?」
「残念ね。あなたは入館料を払って、すぐに帰るのよ」
「それって凄く酷くね?」
「酷くないわよ。あなたが払うって言ったんだもの」
「……分かったよ。払うって言ったのは俺だからな」
なんだか酷いやりようだが閉館ギリギリに来たのも、入館料を確かめずに入ったのも俺なので何も言えない。
財布からなけなしの2000円を取り出し差し出すと、貴澄はその金をまじまじと腕を組みながら見つめた。
「何だ? 安物の二つ折りの財布から出てきたお金は嫌だってか?」
俺が使っている財布は、二年前に買った三○○○円(税込み)の合成皮の財布だが質感・強度・見た目など全てに満足している一品だった。
「誰も、そんな失礼な事思ってないわよ」
呆れた口調で、樹墨は俺が考えていた被害妄想を一蹴した。
「なら早いとこ受け取ってくれ。樹墨さんも暇じゃないだろ?」
「……別に入館料なんて要らないわ」
「はあっ?」
どういうことだ?
さっきまで入館料について色々と言っていたのに、何を突然……。
いや。入館料は、俺が「払う、払う」と言っていただけか。
「だって高いお金払って帰るだけなんて馬鹿みたいじゃない」
「そんなこと言ったって、入ったのは俺なんだし……」
「もう博物館は閉館。お客様はあなた以外、居ないわ。閉館後の職員は私しか居ないし、私の作業の邪魔さえしなければ完全閉館まで好きに見て回っていいわよ」
「閉館後の職員は私しか居ないって……」
同じ学生であるなら、樹墨はアルバイトとしてここで働いているのだろう。
だとしたら閉館後にアルバイト一人で作業をするなんておかしい。
正規の職員で無い人間に閉館後の作業を任していいほど、ここの警備システムは強固と言うことだろうか?
「私は、ここの博物館の偉い人と知り合いだから特別にやらしてもらっているのよ。閉館後の作業っていっても、掃除はパートの人がある程度やってから帰るし、あとは戸締りと館内チェックと警備システムを起動させるくらいだから、一人で一時間もかからないわ」
「そうなんだ」
偉い人と知り合いだとそこまでやらしてくれるんだな。
『アルバイトとして
だが、樹墨の申し出は金欠学生の俺には大変、うれしいものだった。
1時間とはいえ
「そうか。なら、お言葉に甘えさせてもらって」
「………ふむ」
「なんだよ?」
お言葉に甘えさせてもらおうとした矢先に、樹墨が自分の事を意外な目で見ていることに気がついた。
「いいえ、別に。ただ、あなたの事だから『払う物は、きちんと払う』とか何とか言うのかと思っていたから」
結構、いい線いっていた。
俺だって金の出し渋りは格好悪いと思うくらいの気持ちはある。
金さえあれば気前よく出すのだが、金欠ゆえに無い袖は振れない。
全て金欠が悪いんだ。
「せっかくの人の好意を無下にするのは失礼だからな。それに今は金欠だからお金がかからないに越したことはない」
「そう? ならいいわ。私は作業に入るから好きに回って」
「分かった。ありがとな」
お礼を言うと、なぜか樹墨は少し呆れた表情をした。
「別にお礼を言われるほどの事ではないわ。私が閉館後の作業をしている間に、あなたが勝手に見て回るだけなんだから」
「まあ、それでもありがとう、だ」
「ふふっ。くれぐれも、問題だけは起こさないでね」
笑ったのかどうか怪しいくらいの笑みで、樹墨はホールから奥へと消えていった。
雰囲気が気持ち柔らかくなったような気がする樹墨を見送ると、当初の目的であった美優のランタンに関する資料を探すために魔工学館へと歩き始めた。
□
ホールどころか、職員の詰所からも離れたモニタールーム。
ただしここは警備員が詰めているような表向きの監視所ではなく、魔力をサーモグラフィーのように映像に変化し表示するカメラのモニターがたくさん並べられている特殊な部屋だった。
その特殊な
モニターを見ているのは先ほどまで三塚亜樹と話をしていた樹墨と、もう一人はローブを目深にかぶっていて表情こそ見えないが、体つきから女性と分かった。
そして、モニターには件の亜樹が映っている。
「魔法使い……でしょうか?」
「分からないわ。少なくとも、話しただけでは怪しいところはなかった」
ローブを目深にかぶった女性は、樹墨よりもやや幼い声で問うと、樹墨を小さく頭を振った。
「でも、閉館ギリギリに来るなんて怪しくないですか? それに、こんな広い博物館をアルアさん一人で受けもっているなんて簡単に信じて……。普通の人だったら、絶対に信じませんよ」
「彼は昔からああいう人なのよ。バカみたいに、お人よしなの」
「あの人を知っているんですか?」
「彼の話しぶりだと、私は忘れられているみたいね。密室で一晩を過ごした仲だって言うのに、これは少し悲しいわね」
樹墨の言葉に、外套を羽織った人間はマスク越しでも顔が赤くなっているのが分かるほど狼狽えた。
「密室で一晩って……えぇっ!? 密室で一晩……嘘……ですよね?」
「本当よ。忘れたい出来事でもあり、忘れるには惜しい出来事ね。さっ、リリ、彼が魔法使いの可能性があるから各実働部隊に連絡してちょうだい」
外套を羽織ったリリと呼ばれた人物は、今まで恥ずかしげに話を聞いていた時の雰囲気とは一遍して背筋をただして樹墨の命令を聞いた。
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