魔法使いの記憶

「これは、なかなか……」


 資料室の一角で、俺ははランタンに関する資料を漁っていた。

そして、改めてこの博物館の凄さを知った。

 錬金術に関する偉大な人物の著作の原典だけではなく、走り書きのような考察も事細かにまとめられている、入館料――いや、それ以上の価値のある資料ばかりだった。


 初めは全部写すつもりだったが、その資料の多さから丸写しはとうの昔に諦めて、今はある程度、実験方法を絞って写している。


 しかし、どういうことだろうか……。


 錬金術博物館と言う名の通り錬金術に関する資料ばかりなのだが、中には魔法使いが書いたと思われる資料もある。

 一応、翻訳された方の資料には錬金術師が実験を行っているが、翻訳前の原典では魔法使いが好んで使用していたリエド文字が使用されていて、実験者も魔法使いのような人物が記載されている。


 昔は魔法使いなんてそこら中に居たという話なので、魔法使いっぽい錬金術師がいてもおかしくないけど……。

なんと言えば良いのか、消化不良を起こしたようなモヤモヤがあった。


 それに、なんだか――。


「三塚くん!」

「はいっ!」


 樹墨さんの呼び声に、思考を中断した。

 調べ物に夢中になりすぎて時間制限を忘れていた。

 腕時計はしていないし、携帯もカバンの中にしまっていて時間を確認していなかった。

 樹墨さんが、怒っていそうな気がする。


「三塚くーん!」

「ちょっと待って。すぐに行く!」


 机の上に広げていたノートやペンをカバンにしまい込み、資料を本棚へ返した後に、急いで資料室を出た。


「三塚君」

「はい、はいっと……あれ?」


 呼ばれた方に走っていき、樹墨が居ると思われる展示室へ入ったが、そこには誰も居なかった。


「樹墨さーん、どこー?」

「三塚くーん、どこー?」


 呼びかけに答えるように、オウム返しで返ってきた。

 増築に増築を重ねた博物館は、部屋や通路が複雑になっているので声が反響し、少し離れると何処から呼ばれているか分からない。


 しかし、オウム返しで応答するなんて、「博物館初心者の自分で遊んでいるんじゃないのだろうか?」と思えてくる。

 だが、この博物館の暫定管理者になっている樹墨さんを待たせるわけにはいかないので、急いで声の発生源を見つけに歩く。


「さてさて、どこにいるもんかね」

「こっちだ――」


 低い男の声が聞こえたような気がした。

 しかし、それは気にならなかった。


 なぜか分からないが、俺の耳にはただ樹墨さんに呼ばれたようにしか聞こえなかったから。

 だから、違和感を覚えることなく、声のした方へ歩いていく。


「……そっちか」


 声が聞こえた展示室へ入ると、そこに飾られていた絵画を見て足がすくんだ。


 背景は赤一色。


 勢い良く燃え上がる炎の中央にははりつけにされた、悪しき魔女の刻印がされた魔法使いが焼かれていた。


「な……んだ……何でここに……」


 天井から床まで届きそうな、大きな等身大の絵のタイトルはそのまま『魔女裁判』

 夢で見た物と全く同じだった。


 恐ろしい――恐ろしいのだが目を離すことができなかった。

 焦点の定まらない眼球に直接絵の具を塗るように、俺の視界は白一色に染まった。



『えっ……?』


 気づいた時には、目の前の景色が一瞬にして変わっていた。

 丘から見下ろす風景には見覚えが無く、「ここはどこだ?」と周囲を伺おうとした瞬間、大爆発が起きた。


 ビリビリと震える大気。


 続いて来る爆風。


 爆風に巻き上げられて飛んでくる小石が体に当たり痛かった。


「来た、来た、来た! 錬金の化け物共が来やがったぞ!」


 頭の先から地面につくギリギリまで、すっぽりとローブを被った男が俺の前に飛び出し喜ぶように叫んだ。


『どこだここは? 一体、いつの間にこんなところに来たんだ?』


 空から降り注ぐ太陽光は強く、気温と合わせて冬とは思えない。

辺りを見渡そうにも、体には鉛を乗せたように重く全く動かなかった。


「防御円陣を起動させて様子を見ますか? それとも、一瞬で破壊した方がよろしいでしょうか?」


 音もなく隣に立った女性も、頭から足元までローブをすっぽりと被っていた。

 女性が隣に立つと、俺の意思とは別に体が勝手に動き周囲を見渡した。

 俺を先頭に、後ろに立つ全ての者がローブに身を包み、静かに目の前の状況を見ていた。


 そこに立つ全員のローブには、金糸で縫い描かれた円と、その中には薔薇と剣と鎌。

 そして、それらの頂点に立つように配置されている重さが均一になっていない天秤。

 魔法考古学会の中では有名すぎるその紋様は、史上最強の魔法使いと名高いエリィ・アルムクヴィストが、魔法使いの各部門を集め纏め上げてできた『リエドの集会』のものだった。


「そんなこと聞かなくても分かってるでしょ? 錬金術師が作る化け物は馬鹿ばっかだから、防御円陣を起動させて勝手に突っ込んでくるのを待つのよ。辺りを汚す戦いをエリィは望んでいないわ」


 辺りから聞こえる静かで低い話し声とは全く違う、高く幼さが残る少女の声が聞こえた。

 少女は他の魔法使いとは違い純白のローブに身を包み、ローブ内にこもる熱に耐え切れなかったのか「あついっ!」とフードをとった。


 彼女をふくめ、俺の方を向いて「エリィ」と呼んだ他の魔法使い達も、俺に向かって「エリィ様」などと呼んでいる。

 多分、これはエリィ・アルムクヴィストの夢。

 ……いや、エリィ・アルムクヴィストの記憶だろう。


「防御円陣の起動は私がやるわ! ねっ、エリィ、良いでしょ?」


 振返る少女。

 その屈託のない笑顔は、少女が今から戦争に向かうなんて誰も想像できはしないだろう。

 防御円陣と呼ばれる物の起動は一瞬だった。


 少女が魔法式と呼ばれる魔法の設計図を詠唱し始めると同時に、掲げ上げた腕に式が浮かびあがり、金属を打ち合う音と共に式が膨れ上がっていった。

 詠唱が終わると、少女の腕から浮かび上がっていた式は消え去り、代わりに少女を中心に巨大な薄い紫色のドームができた。


 ドームができると同時に再び大気を振るわせる爆音がした。

 しかし、今度は熱風も爆風もなくドーム内は静かなものだった。


「ほんっと、相も変わらず真正面から突っ込んでくる事しかできないんだな~」

「前に進むしか能が無い化け物しか作ることができない錬金術師……。ホムンクルスなど夢のまた夢……。彼らはそれが夢であるといつになったら気づくのでしょう」

「自己の能力を把握している魔術師のほうがまだ扱いやすい。――いや、奴らは把握していながら上を目指すから、そのぶん性質タチが悪いか……」


 防御円陣に真正面から飛び込んでくる錬金術製の化け物は、防御円陣と後続に挟まれるような形で潰され、魔法使い達が何もしなくてもどんどん死んでいっている。

 しかし、防御円陣に突っ込んでくる化け物は減るどころか増える一方だ。


「エリィ様。奴ら、少しは学習したようですわ」


 隣に立っていた女性の魔法使いが、俺にレンズのような薄いガラスを見せた。

 そこに映っていたのは防御円陣にひたすら特攻を仕掛ける化け物と、それとは別に防御円陣の手前で地面に穴を掘っている化け物が見られた。

 魔法使いが言う、「学習した」とは多分このことだろう。


「あら、はやい。第一陣が円陣を突破しましたわ」


 レンズに映る映像が砂煙に覆われると同時に、遠くにある防御円陣との境界線でも砂煙の柱が上がった。


「下がれ化け物ども! 一気に蹴散らしてやる!」


 少女は式を握り潰すと防御円陣を圧縮させて自壊させた。

 圧縮された魔法は、自壊すると同時に逃げ場を求めて暴れまわり化け物を吹き飛ばした。


 ローブの内側から細い銀色の杖を取り出した少女は、杖の先を化け物へと向けて、先ほどとは別の魔法式を詠唱し始めた。


「来い、我が下僕となりし紅き焔の血族よ。魂の糧を喰らい、その姿をここに顕現しろ!」


 静かな戦場。

 先ほどの爆発で舞いあがった砂煙の中から巨大な赤が起き上がった。


 赤い。


 果てし無く紅い伝説の生き物が目の前に居た。


 全てを紅蓮の炎で焼き尽くすレッド・ドラゴン。


 それも、虚ろな・・・存在ではなく、複製だが限りなくオリジナルに近いレッド・ドラゴンだった。

 レッド・ドラゴンは化け物が来る方向に口を向け、開口した直後、熱線を吐いた。

 バババッ、と突風が耳に当たったような雑音が聞こえたと思ったら、その後は凄まじいものだった。


 目の前に広がる荒野が一瞬にして炎に包まれ、何百メートルもの火柱が上がったのだ。

 魔力の激流に吹き飛ばされそうになったが、すぐに何人かの魔法使いが小型の防御円陣を起動させて俺を含む全ての魔法使いを守った。


 レッド・ドラゴンは自らに与えられた役目を終えたのか、その姿を次第に薄めていき完全に消えた。

 再び静かになった戦場で、魔法使い達は少女の出したレッド・ドラゴンに驚嘆した。


「さっ、さすがエリィ様の一番弟子のアイン様だ」


 やっとのことで出したような声で一人の魔法使いが言った。


「さすがですわアイン様。錬金術師の者共に、格の違いと言う物を見せ付けるその手腕。これはもはや、エリィ様を超えるものかもしれません」


 その場に居る魔法使いに褒められたのが嬉しかったのか、アインと呼ばれた少女は嬉しそうに俺を見た。


「どう、三塚君!」


 アインがこちらに駆け寄ってくる。


「ねぇ、三塚君、大丈夫?」


 輝くような笑顔で俺の顔を覗き込んでくる。

その笑顔は、これから泥沼の戦争へと踏み込む者とは思えないほど輝く笑顔だった。

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