この才能はやばい、これが一等賞かも( ;∀;)

僕は割とくつろいでこの俳句を読もうと思いました。

どんな俳句なのだろうかと、ワクワクして開いたそこには、迸る才気が爛々と輝いておりました。果たして何人の方がお気づきになるかは疑問ですが、僕は慌ててレビューを書かせて頂いております。

現代俳句の世界は、古典に対するコンプレックスの塊。そう言うと少し語弊がありますが、基本的に日常を表現しつつ、その奥に想いを馳せるという伝統のスタイルです。

だからどこか「言葉が古典を意識し過ぎている」と僕は解釈しております。技法も知識も古典に学び、いざ作るなら現代語。つまり、どうしても生み出す言葉達が「かつての言語との時差を埋めきれていない」のです。すこし厳しい評価で申し訳ありません。わびさびはあります、だけど、それでいいのか? と僕は思うのです。

では、ここに詠まれている俳句はどうかというと、軽く驚愕するのですが、瑞々しいまでに無垢でございます。凄い事です。

いわゆる現代俳句のもう一つの流れ、川柳。季語や切れの約束のない口語主体、雑排とも言われておりましたが、サラリーマン川柳などで一般に親しまれるものです。ただし、どうしてもネタに走りがちであります。

そして、そのネタ感を外し、若者の感性で読む俳句を「何と呼ぶべきか」、これが今回のコンテストで産声をあげる「新たな俳句の形」、それが求められていると僕は思っております。

ここに書かれた俳句は、その「新たなる俳句」のど真ん中であると僕は感じました。

例えば、すこし変な口語体で不思議言語のポエマー俳句などは、既に垢にまみれた予想の反中です。売れないガールズバンドのツイートレベルです。求められるのはそういうモノではないのです。

僕の勝手な解釈では、「仕事や恋や家庭に疲れた20代から50代の女性が、コーヒーや紅茶を片手に、少し癒される心の俳句」、これが商業ベースに乗れる現代俳句のターゲットです。

ここに詠まれた俳句は、その素養を僕に強く感じさせるモノです。僕はこの筆者様の小説を幾つか拝読し、その無垢なる煌めきを最大の魅力と考えています。そしてその煌めきがこの俳句には凝縮されているのです。

お勧めさせて下さい。

ここにある何気ない言葉の、何気ない配列、しかし、そこには他とは違う確かな煌めきが存在しております。是非、皆様も、この清々しく、瑞々しく、無垢な、「心の俳句」をお知りになって下さいませ。

宜しくお願い致します。