謎のラブコメX ③
夏の開放感に乗じて白状してしまうと、虹村はマチルダとの出会いを覚えていない。高校生になりゴールデンウィークへ突入する頃にはゴシップ同好会を結成していたため、かなり早い段階で知り合ったのは間違いないのだが――
気が付けば一緒に居た。
どれだけ丁寧に記憶を遡ってみても、結局はその一言を結論として過去回想を終えることになる。
まあ自分達のことだ、同級生だか上級生だかはたまた教師だか、どこかの誰かの色恋沙汰を陰から覗いていたら偶然居合わせて意気投合したとか、切っ掛けはそんなところだろう。
きっと運命的でもなんでもなく、とことん俗っぽい出会いからマチルダとの関係は始まったのだ。
俗っぽいのは俺たちらしくて良いよな、と虹村は思う。
そんな噂好きの自分たちだから、忘れてしまうのもむべなるかな。
人の噂も七十五日。
強烈でも鮮烈でも無い揮発性の高い邂逅は、その時に得た噂話と一緒に消えてしまったに違いない――
と、そんな風にまとめてしまうのも悪くない気はするが、恋心を自覚したいま、好きな子との思い出は一つ残らず持っておきたい。是が非でも取り戻したいと願っている。
果たしてそれが賢明な判断であるのかは分からないけれども。
もしかするとあまりに趣味が悪すぎて自ら封印しているのかもしれないし……などと顧みるのも程々に、虹村は目の前の光景へと意識を移す。
仲良くじゃれ合う男子高校生と女子中学生。
女子中学生が持参した底の抜けた柄杓をそれぞれ握り込み、鍔迫り合いを演じている。
「ぐぬぬ……互角ですね」
「おいおい虎南ちゃん。僕が手を抜いてるとは考えないのかな?」
「精神面が」
「貴様っ……!」
出会いといえば。
姉倉と初めて言葉を交わした時のことはよく覚えている。
六月に入る前の日。
姉倉は他愛のない雑談に盛り上がるクラスメイト達を退屈そうに眺めていて、どこか寂しげだけれど羨んでいる風ではない、上手く言えないが妙に気になる空気を醸していた。
だから好奇心のまま話しかけた。
『よう姉倉。暇だから相手してくれねえかな』
『……僕? いいけど、余計退屈かもよ』
意外そうな顔をされたものの、嫌な顔はされなかった。
それから話す機会が増えていった。
といっても毎度こちらが話を振って姉倉が反応を返すという一方通行の否めないものばかりで、会話をしている感覚はあまりなかったけれど。
だから姉倉がたまに自分の話をしてくれた時には思わず喜んだくらいだ。
そんな感じ。
受け答えはしてくれるし表面上問題は無かったが、間に明確な一線が画されているのは明らかだった。
壁は無いが線があった。
――もう一つ白状すると。
いつかその線を超えてやりたい、なんて密かに企んでいた。
たまに見せる笑顔を自分の前ではもっと気楽に自然に出せるようになってくれたら良いな、と。
なんとなく、思ったのだ。
決意してからは姉倉が嫌がらないギリギリの距離を維持しつつ、知り合い以上友達未満の関係を続けてきた。
いつかの雪解けを夢見ながら。
まあ結局。
自分には成し得なかったけれど――
けれど、姉倉は変わった。
灯台娘との出会いを切っ掛けに、関わって、変わった。
最初は「そりゃあんだけ可愛い連中と一緒に過ごしてれば変わるよな」――と分かった気になっていたが、浅はかもいいところだ。
見当違い。
とんだ間違い思い違い。
今なら分かる。姉倉を変えたのは彼女達の生き方だ。
無理やり踏み込み、果てには間の線を取っ払ってしまうような、ともすればただただ無遠慮に終わる強引なやり方だ。
虹村が思い付きこそすれば実行に移さなかったそれが、まさか覿面に効果のあるものだったとは。
試してみれば良かった――いや、自分には無理だっただろう。
賢しくあろうと利口ぶっていた自分には。
「なにやってんのよあんたら。あたしも混ぜ込みなさい」
「葉火さん! へいらっしゃい! 来ちゃいましたよ驚きましたね?」
「来なかったら驚いてたわ。あんたが来る方に命賭けてたし」
戻って来た剣ヶ峰の腰に名瀬妹がまとわりつく。
日常的に行われているのか剣ヶ峰は一切気にする様子もなく、追手を振り切ったと姉倉に自慢しはじめる。
「次はあたしが追いかけるから、逃げてみなさい、憂。昔のようにはいかないわよ」
「そんなこともあったっけ。いまはすぐに捕まりそうだ」
「あんたの背中にあたしの足跡を刻んであげる」
「中学生と同じ発想だぞ」
「お揃いですねー! ねーっ、ねーっ! もしやわたしの進化系が葉火さんなのではっ……!?」
「いまあたしの尊厳が一つ失われたわ。永遠に」
「もー冗談言っちゃって! なんでやねん!」
変わったのは姉倉だけでなく剣ヶ峰もだ。
失礼を承知で薄めのオブラートに包んで言わせてもらうと、人間らしくなった。
着こなす自信はそのままに、自分と他人を同列に並べるようになったというか、相手を尊重する意思が言動の端々から感じ取れる。
もしかすると以前からそうだったのかもしれないが、いまは親しくない者にも分かりやすい。
一緒に居ても苦しくない、愛くるしい存在だよね――とは先日の席替えで隣になった子の弁である。
楽しげな三人を眺めていると、名瀬と古海、そしてマチルダも戻って来た。
「待っていたわ虎南ちゃん。いえ、先生、師匠」と、三耶子。
「精々C賞? 買い被りでは」マチルダが続く。
「おねーちゃーん! 師匠とみゃんこ先輩が意地悪言う!」
「私は言ってないじゃない!」
「だいじょぶ。案外C賞くらいが一番欲しかったりするからね」
「フォロー下手ですねホッグちゃんは」
傍観者気質の虹村は、こうして一歩引いた位置から賑わいを観察するのが好きだった。特に姉倉たち愉快な仲良しは眺め甲斐がある。
そうして輪の一番外側を満喫していると、ふとマチルダが隣に並んできた。
「どうした? 引き続き楽しんでろよ」
「保護者面をされるのが癪だったので」
冷めた表情で憎まれ口を叩くマチルダ。
相変わらず愛嬌の無い、しかしそこが虹村の好みど真ん中である。
可愛げのないことばかり言うが実際心根は――とそこで一つの予感、希望的観測が虹村の脳裏を過ぎり、そのまま口から飛び出るに至った。
「もしかして気遣わせちまったか? ありがたいけど、俺は好き好んで輪に入ってないから気にしなくていいぞ」
「可哀想に。そんな言い訳を用意するのに必死だったんですね」
「憐れむな。でも、ありがとな」
「礼など不要です。レオンの心は飛び出す絵本くらい読みやすいので」
「いーや、お前に俺の心は読めねえよ」
虹村が挑発的に言うと、マチルダはこれ見よがしに大きく溜息をつきながら肩を竦める。
「焼きそばが食べたいんでしょう? いってらっしゃい」
「待て。飽きたのは分かるが雑に締めようとするな」
「そもそもレオンに心なんてありませんでしたね」
「心無いこと言うな。傷付くだろ」
「塩を撒いておくのでご自分で塗りつけてください」
「せめてお前の手で塗ってくれ」
「足なら考えます」
「それなら一つ条件がある。俺のことは足湯、転じてアッシュと呼べ」
――やべえ、超楽しい。
虹村はかつてないマチルダとの応酬に心が躍っていた。
格好つけずに打ち返せばこんなにも発展していくのか。
姉倉と古海との特訓の成果。
手応えを感じずにいられない。
「傷口に塩を塗るぬり絵を発売したら売れると思いません?」
「思わねえよ。対象年齢がいくつになるのかいまいち想像つかねえ」
「商売は難しいですね。手を出すのはやめておきましょう。あーあ、私の将来がぐっと狭まりましたよ。責任取れますか?」
もうこれプロポーズだろ。
心臓が跳ね上がった虹村は返答に窮し口を噤んでしまう。
が、せっかく作り上げた流れを堰き止めてしまうのは悪手だ。
今日の俺は一味違う――見ていてくれ姉倉、古海さん。
「それじゃあ将来は俺とぬり絵屋さんを営もう」
「なんですかそれ。ほんとジミヘンさんって――」
「おい。おい!」
「失礼、間違えました。さっきからジミヘンさんのようなバカを言うアッシュにも責任があります」
おのれ姉倉。
踏み切る際に湧き出した勇気を、そのまま八つ当たりの嫉妬心へと転換する虹村だった。
もちろん冗談。
冗談七割、本気三割の健全な配合である。
しかし意識しての発言だったとはいえ、姉倉に対するイメージがマチルダと一致したことを嬉しく、そして面白く思った。
さて次は話をどこへ繋げようか――考えていると、
「全員揃ったことだし、念願の海でそれらしいことやりましょうか」
剣ヶ峰が言い、場の視線を独り占めにする。
すかさず名瀬が「それらしいこと?」と合いの手を入れた。
「貝殻とか流木とか、海ならではの物を拾い集めて見せ合いましょ」
「待て待てはひちゃん。さては食べる気だな? いくらなんでもお腹を壊すって」
「どてっぱら貫くわよ」
「冗談だ。にしてもさ、もっと他にあるんじゃないかな。水かけっことか」
「氷佳へのお土産に綺麗な貝殻見つけるのはあたしに一任するってことね」
「違う。早く始めようって最初から言ってただろ僕は」
剣ヶ峰があっさり姉倉の操縦に成功したところで、浮き輪を外して身軽になった古海が場を取り仕切る。
「それじゃあ組み分けをしましょうか。この人数なら、そうね、三チームに分かれましょう」
なるほどこういう段取りか。
虹村は姉倉たちの企図を察知し、感謝の念を胸のあたりに蓄え始めた。
「憂と夜々は決まりよね」
「私はすぐに足を攣るらしいから葉火ちゃんと組んで守ってもらうわ」
「えー、それじゃわたしはどうしよっかなー」
と、顎に手を添えより取り見取りとばかりに周囲を見回す名瀬妹。
そんな中学生の首に腕を回して引き寄せる剣ヶ峰。
「あんたは大物狙いで実力以上の無茶しそうだから、あたしの監視下にいなさい」
「分かりました! わたしから目を離さないでくださいね、葉火さん。くくく」
拘束を振りほどき剣ヶ峰の背後に回ろうとした名瀬妹だったが、あっさり捕獲されてしまう。剣ヶ峰が正面から、古海が後ろから抱きしめ挟み込む形。
そして残るは虹村とマチルダのみ。
マチルダ本人の意思はさておき、こうして予定調和のチーム分けはつつがなく成されていく。
虹村は感謝などの様々から口元が緩むのを自覚しながら、隣のマチルダを窺う。無表情のままわずかに首を傾げていた。
「これでは四組になるのでは?」
「希望に沿えず申し訳ねえが、俺と組むんだよ」
「あなたは消去法で一番に消しました。まあ最後には誰もいなくなったんですが」
「一番ならそれも悪くねえな」
虹村の奇妙の発言を受けたマチルダが訝るように目を細めた瞬間、助け舟を出す、あるいは横槍を入れると表現する方が正しいだろうか、葉火が声を張って散開を命じた。
各チームが違った方向へと歩いて行くのを眺め、やがて姿が見えなくなった頃、マチルダが「では」と歩き出す。
「おうまた後でな――じゃなくて。置いてくなよ」
「私の完璧な計画が」
「そんなに俺と二人じゃ不満か」
自分で言うのは情けないが、そりゃそうだろうな、とも思う。
マチルダは灯台娘、特に名瀬に大変懐いているし、表にこそ出さないがかなり可愛がっている後輩で弟子の名瀬妹まで加わったのだ。
残念がっているに違いない。
マチルダの心境を思うと胸が痛まなくもないが、それでもこちらが折れるわけにはいかない。協力してくれた友人の善意を無下にするような奴が、他人に好きだなんて言っていいはずがないのだから。
「そういうわけではありませんよ、らしくもない。私は元々単独の方が性に合っています」
「でも、誰かと一緒にいるのも好きだろ」
「む。私を可愛げのある女だと勘違いしてますね? これから人気の無い岩陰で良い雰囲気になっている男女を観察するので、一人の方がバレづらいというだけの話」
さっそく姉倉の計画が奏功へ向けて走行しているらしかった。
好きな子は、妬けるくらい名瀬に夢中のようである。
ほんと強敵だよなあ、名瀬さん。
もはや笑うしかない状況に思わず笑っていると、ふとした違和に気付いた。
――姉倉と名瀬さんが向かったの、こっちだったか?
確か逆方向だったはずだと記憶を辿ってみるが、二人きりの高揚感ばかりが蘇りいまいち確信を持てない。
ひとまず迷いなく歩むマチルダに合わせて進んでいると、見えてきたのは海の家。
「やっぱり疲れたので休みましょう。大丈夫、かき氷の容器でも持ち帰ればあとは詫び錆びだなんだと容易に言いくるめられます」
「マジか。覗きを推奨するわけじゃねえが、海ならではの……いや、あれもそうだな」
二人でのんびり雑談に耽るのも悪くはない、どころかかなり魅力的ではあるのだが、目論見の急接近からは遠ざかる。
とはいえ虹村次第でいくらでも成果は挙げられる状況には違いないのだから、ここは一つ、恋の急急如律令より授かった会話術を物にするとしよう。
決意と同時に賛意を示そうとしたところで、どこからともなく現れた人物が虹村たちの前に立ちはだかった。
オレンジの人。
ライフジャケットを装着した、古海である。
分かりやすく一番変わったのはこの人だよなあ、と虹村は入学当時の古海を想起して微笑んだ。
「あらどうしたの二人とも。こっちには何も無かったし居なかったわよ」
「コトちゃんこそ何をやってるんですか。さては迷子ですね」
「ふふふ。好奇心を優先して抜け出して来ちゃった」
古海がそれとなく虹村に目配せをする。
虹村はこの出現には姉倉のもとへ誘導する意図があるのだとただちに理解した。
「ねえねえ美奈子ちゃん。三人で憂くんと夜々ちゃんを尾行してみない?」
「お断りです。それよりこの間貸してくれたゲームの話をしましょう」
目を輝かせ口を開いた古海は一も二もなく賛同しかけたようだったが、拳を握り、音を発さないまま閉口する。
余程語り合いたいのだろう、下唇を噛んでロックを掛けた。
そして短くはない沈黙ののち、小さく吐息をつく。
「……ギリギリで覗きたい衝動が勝ったわ」
「ふうむ。奇妙。どうやらこのコトちゃんは偽物のようですね」
それには虹村も同意見だった。
明らかに古海らしくない。
虹村でさえそう判断してしまうのだ、警戒心が強く、近頃は古海とも友好を深めているマチルダがその差異を見過ごすはずがなかった。
「本物よ本物。鑑定書もあるし、夜々ちゃん達の行動を先読み解説して証明してみせるから、ほら行きましょう」
古海自身もきっと分かっている。
自分らしくないことも、マチルダに疑念を持たれていることも。
その上で強行しようとしている。
頑張ってくれている。
だったら。
虹村の取るべき行動は、一つしかない。
「いいじゃねえか。行ってみようぜ、俺も興味ある」
マチルダの手を掴み、そう告げる。
「はなしてください。行くならお二人でどうぞ。私はかき氷をお灸のようにして身体を冷やすんです」
「どうしたんだよ。お前もなんか――」
偽物っぽいぞ、と言いかけて。
ピンとくる。
ピントが合う。
「ねえ美奈子ちゃん」
「古海さん、大丈夫だ」
任せてくれと伝えると、古海は小さく頷き口を閉じて、行く末を虹村に委ねた。
マチルダもまた耳を傾けるように無言。
「俺は名瀬さんのこと全然知らねえけどさ。お前のこと嫌いになったりはしねえよ。それくらいは、知らないなりに知ってる」
よくよく考えてみればすぐに分かることだ。
彼女を知っていれば簡単に辿り着ける結論だ。
マチルダは――虹村の好きな女の子は。
すぐ悪態をつくし無愛想で性根も曲がっているが、そんな自分が多くに好かれる人間ではないと断じているから、一緒にいてくれる人を大事にする。
大事にしようとする。
寂しがりで、友達想い。
けれど恥ずかしがりだから素直になれない。
好きな人に嫌われたくない、なんて当たり前を表に出すことすら、不器用に。
そんな女の子。
可愛げがないだなんて自己評価を下していたけれど――虹村にとって、誰より可愛く魅力的な女の子だ。
「今よりずっと素直じゃなかったお前と仲良くなってくれただろ。もちろん限度はあるにしても、きっと名瀬さんは、嫌なら嫌って直接言うだろ。言えるような関係だろ、お前らって。だからさ、心配いらねえよ。大丈夫だ」
だからといって、来るなと言われていないからといって、覗きの免罪符になるわけではないのだが。
そも、言わずとも伝わる関係にまでなっているのかもしれないし、事前に話が済んでいるのかもしれない。
可能性を考え出すと果てしないが、まあ、構わない。
「……覗きの説得じゃなければ、喜んでいたかもしれません」
「いや、覗きはやめだ。嫌なんだろ。じゃあ俺も嫌だ」
きっぱり言い切って、やや強引にマチルダの手を引き。
「どっか日陰で休もうぜ。海に来たんだ、どうせなら自然と触れ合いたい。付き合ってくれ」
「……仕方ありませんね。付き合ってあげるとしましょう」
存外素直に応じてくれた――それはそれで少し不安になるが――マチルダと二人で歩き出す。
去り際、嬉しそうに手を振る古海へ目顔で礼を告げた。
ここまで思い切った言動を取れたのは、彼女のおかげだ。
応えなければと、報いなければと心を奮い立たせてくれた、彼女の。
握った手はそのままに先導して歩きながら、虹村は思う。
嬉しい。
なんていうか、ほんと。
どいつもこいつも。
良い奴らだなあ。
幻滅、されたくねえよなあ。
「なにをニヤついてるんですか」
隣に並んできたマチルダが言う。
虹村は緩んだ表情を直そうとして、やっぱりやめた。
「どこへ連れ込まれるのか興味が尽きません」
「お前なぁ……って、あれ。前にもこんな会話しなかったか?」
「……さて。覚えてません」
「そうか。悪かった、勘違いだ」
「あついですね、今日は」
「暑いよなほんと。いかにも夏って感じだ」
回答がお気に召さなかったのだろうか急に無言になったマチルダと歩むうち、海岸端へ辿り着いた。苔の生えた大きな岩の陰に並んで腰を下ろし、広い海の彼方を見遣る。
しばし波の音だけで間を繋ぎ、やがて虹村から口を開いた。
「海、好きか?」
「いいえ。嫌いです」
期待を裏切らない返答に思わず笑ってしまう。
このムードもへったくれもないところが、本当に魅力的なのだ。
「名瀬さん達が好きなんだな」
「相対評価でですか?」
「はいはい」
それだけマチルダにとって名瀬たちは大きな存在なのだろう。
主義や嗜好やプライドといった様々を覆してしまえる程に。
人当たりが良く人懐っこい、名瀬。
捻くれたマチルダの懐に飛び込み続け、変化をもたらして、本当にすごい人だ。
彼女は第一印象からずっと変わらない。
強いて挙げれば途中で更に明るくなった気はするが、名瀬との交流に乏しい虹村には正直分からない。
けれどやはり、間違いなく、変化はあっただろう。
姉倉たちと変化の中を共に歩んできたのだろう。
与えられて、取り込んで、相手に返す。
それを繰り返していく。
自分が変われるから、他人を変えられる。
変わることを恐れない彼女達が一緒だったから、姉倉も変化できた。
――灯台娘にしか、姉倉は変えられなかった。
改めてそう思う。
改めて、尊敬する。
あの愉快で素敵な四人組を――仲良しを。
俺もいつか、あいつらのように――
そこで虹村は首を振り、自身を叱りつけるように思考する。
いつか。
いつか。
いつか。
いつかばっかりだな、俺は。
それって一体いつになるんだ?
いつのつもりで言ってるんだ?
先延ばしただけなのに一生懸命取り組んでる気になってるんじゃないのか?
そして――気付く。
薄々感じていたものを、形にする。
ああ、そうか。
線引きしてたのは姉倉だけじゃなくて、俺もだったんだ。
利口ぶって格好つけて。
超えるべき線をただ目指すだけの線にすり替えた。
辿り着けたとしても、そこで終わり。
だから結局、精一杯やってる気になって、線の内側で自己完結。
なんていうか、それは――
「……しょうもねえな、俺」
自覚と同時、そんな言葉が口を突いて出た。
マチルダがゆっくり虹村の横顔に視線を移す。
しょうもない、どこまでいってもその一言に集約される。
このままじゃダメだ。
そんなしょうもない奴が好意を伝えようだなんて失礼だ。
せめて。
せめて現時点で納得できる自分にならなければ、なろうとしなければ、好きだと言う資格を欲しがることすらおこがましい。
なれるだろうか。
自分を変えられるだろうか。
他人を変えていけるだろうか。
尊敬する友人たちのように、なれるだろうか。
「なあマチルダ」
ただ一つ事実として存在するのは。
変わりたければ関わらなければならない。
意思を持って踏み出さなければならない。
なろうとしなければ、何にもなれない――だから虹村はマチルダと目を合わせ。
「いや――■■■■■■■■」
八文字を。
名前を。
マチルダでも町田美奈子でもない彼女の本名を。
自身の元へ手繰り寄せるように、力強く発音した。
「……それを口にするのがどういうことか、分かってるんですか」
呼ばれたマチルダは睨み付けるような目つきで淡々と返す。
「いいじゃねえか。親から貰った大切な名前だろ」
「だから独り占めしたいんですよ」
立ち上がろうと腰を浮かせたマチルダの手を握り、動きを制する。
無言で刺しつけてくる視線に怖じることなく臆することなく、見返して。
そして――
「俺はお前が好きだ」
さらり、と。
なんの捻りもない、どこまでの飾り気のない本心を口にした。
「恋愛感情としての、好きだ。俺はマチルダに好意を抱いてる」
目に映るのは感情の読めない無表情だけ。
それでも溢れる言葉は淀まない。
こんなにも簡単なことがどうして今までできなかったのか不思議に思えるくらい、口に馴染む。
「俺と付き合ってくれ」
手を離さない。
目を逸らさない。
心を隠さない。
そうして虹村は彼女の答えを待ち続ける。
やがてマチルダは長い瞬きののちに、
「そうですか」
と言って座り直し、水平線に視線を置いたのだった。
再び波の音だけが二人の耳を撫で続ける。
無言。
環境音。
そうですか? え、それだけ? 返事は?
渾身の告白があっさり受け流された。もしかすると海へと放流されたのかもしれない。途端に動揺し始めた虹村は、頭を埋め尽くす疑問符を掻き分けながら次なる一手の模索に努める。
ややあって弾き出した一言は――
「俺にお前の苗字を一文字減らさせてくれ」
「なんですかその気色悪いプロポーズは」
角度を変えて放ってみるも空振り。
沈黙が恐ろしくてたまらない虹村は、間を埋めるべく足掻き続ける。
「肯定と受け取っていいか?」
「うーむ。正直決めあぐねています。大方彼女持ちのジミヘンさんを羨んで勘違いしたんでしょう。哀れなので、夏の間くらいは付き合ってあげてもいいかなと」
「違う。そんなんじゃねえよ。俺は去年の夏からずっと、お前のことが好きだった」
「へー」
顔色一つ変えずに平坦なリアクションをするマチルダ。
全く響いていないのは明白である。
「さては信じてないだろ。というかお前、あれだな。自分が異性に好意を寄せられるなんて絶無だと思ってるな」
「ご明察。そういうキラキラレアな繋がりはよく分かりません」
「一緒に居てくれるからには、少なからず意識してくれてるって期待してたんだが」
「まさか。我々の繋がりなんて、噂話が好き、その一点ですよ」
まずい、フラれそうだ。
こうなったらお情けで交際してもらってその猶予期間に対策を練るという非常に後ろ向きな延命措置も――だからそれがダメなんだよ。
染み付いた未熟を否定する。
結果がどうであれ、姉倉と古海に胸を張って話したい。
だからフラれるなら豪快にフラれて、慰められて笑い飛ばして、もう一度立ち上がって何度でも挑戦してやる。
格好悪く、足掻いてやる。
――いや。
今なら分かるし言い切れる。
それは今からでも出来ることじゃねえか。
「待った。今の全部無しな」
「はい?」
「やり直す。言い直す。だからもう一度聞いてくれ」
意識されていないのなら意識させればいい。
興味が無いなら興味のある部分にこちらか食い込んでやればいい。
自分たちを繋ぐたった一つが噂話だと言うのなら――
――まずは噂話から始めよう。
「俺と噂話になってくれ」
マチルダの眉がわずかに跳ねる。
ようやくの芳しい反応。
あり得ないと思っていたはずの、目論見通り。
「なかなか私好みの口上ではありますが――」
「さらに待った。返事は詳しい話を聞いてからにしてもらえるか」
まだ終わらせない。
ただの噂話になるだけなら特別珍しくもない、虹村とマチルダだけの関係にはなり得ない。
虹村が求めるのは、唯一無二。
あの愉快な四人組にとって互いがそうであるように。
マチルダにとっての「あなただけ」になりたかった。
だから。
だから――
「マチルダが俺にベタ惚れしてるって噂を流す」
こんな変化をもたらしてみようと思う。
「え」
「そんなのは序の口で、俺とマチルダが全校生徒公認にカップルになれるような流言を、ひたすらに流布し続ける。既成事実、嘘から出た実、上等だ」
「なんと悪質な」
作り物の驚愕で顔を彩るマチルダの口元は、心なしか綻んでいるように見えた。
「マチルダは、それを否定する噂を流せばいい。ゴシップ同好会らしく、噂バトルしようぜ俺と」
「私が勝てば諦めると?」
「俺の望む返事をくれたらな」
「断らせないって言いました?」
「そう言ったつもりだ」
どこまでも自分本位な、かっこ悪いめちゃくちゃ。
それでも虹村は、自分がこんなにもバカなやり方を選べることが嬉しかった。
どうしても諦められない恋心を、はっきり伝えられるのが嬉しかった。
マチルダがジト目で呆れたように言う。
「私が嫌がることはしないのでは?」
「悪いが自分を優先させてもらった」
「やはり二枚舌ですね、この似非紳士」
「仕方ねえだろ。こうでもしないと俺を意識してくれねえんだから。どんな手を使っても好きになってもらいたいくらい、お前のことが好きなんだよ。嫌なら断ってくれていいぜ。別のやり方を考える」
「…………」
そして小さく息を吐いたマチルダは、口を結んで水面を見遣り、数拍置いて。
「……そこまで。そんなに」
一度言葉を切り、ゆっくりと虹村を向き直し、言った。
「物好きな男ですね、あなたは」
「惚れたか?」
「まさか。面白くない冗談を」
きっぱり否定しながら目を伏せたマチルダは、やがて我慢できないといった感じで――
おかしそうに笑った。
あまりにも自然なその笑顔に意識を奪われ手を離してしまったが、目は離さない。
離せるはずがない。
そしてマチルダはいつもの調子でいつものように舌を回す。
「分かりました。おバカっぷりに免じて、受けて立ちましょう。あなたの評判を地底人のエンタメにしてやります」
「――面白え。だったら俺は、そうだな。今度はマチルダから告白させてみせる」
「できるものならどうぞご自由に」
「手始めに姉倉に頼んでお前からのラブレター偽造してもらうとするか」
「……好きにしてください。傷を負うのはあなた方ですよ」
「ああ。俺のこと、好きにしてみせる」
かくして苦し紛れの悪足掻きは奇跡的な着地を果たし。
この恋路はまだまだ続く。
先は見えないけれど――望むところだ。
一段落ということで二人はどちらからともなく立ち上がり、来た道を戻り始める。
同じ歩幅の、同じ調子。
「まったく。ジミヘンさんから変な影響を受けましたね。ミーハーな男」
「褒めるなよ。お前だって似たようなもんだろ。姉倉と似てるとは思ってたけど、名瀬さん大好きなとこまで一緒とはな」
「告白直後に好きな子を貶すとは。立派な精神をお持ちのようで」
「姉倉を悪く言うと名瀬さんが悲しむぞ」
「なんてうっそー。私はジミヘンさんが大好きです」
「おい」
「ふふ。嫉妬ですか? 可愛いですよ」
わずかに口角を上げた意地の悪い顔に、からかうような抑揚。
子ども扱いされて喜ぶ趣味は無かったが、虹村は見事に胸を撃ち抜かれた。
なんかあざとい。
恐らく名瀬あたりの影響なのだろう。
「なあマチルダ」
「はい?」
「好きだ」
「はいはい」
「そっけねえな。知らねえぞ、俺がいなくなって後悔しても」
「おや朗報。いなくなるんですか?」
「心配するな。そんな日は終ぞ訪れねえ」
そうして噛み合わない会話に興じながら、拠点まで戻って来る。
他の面子はまだ探索中のようだったが、ほどなくして全員再集合。
顔を赤らめたびしょ濡れの姉倉と名瀬。
砂だらけで呆れ顔の剣ヶ峰に、ご機嫌に手を繋ぐ古海と名瀬妹。
各々銘々、海を満喫しているようだ。そんな仲良したちは、示し合わせたように視線を虹村とマチルダへ集中させる。
一同の楽しみの中に自分たちも入れているようで嬉しかった。
だから虹村は勿体つけることなく、胸を張って報告をする。
「聞いてくれみんな。実はマチルダ、ずっと前から俺にベタ惚れだったんだってさ」
受けた一同はそれぞれ歓喜のリアクションを取ってくれた。
マチルダだけが「げ」と下品な音を放った。
「付き合うことになった。みんなにも言い触らしてくれ」
「ちょっと何をほざいてるんですか。この阿呆共はすぐ鵜呑みにするんですから対象外です」
澄ました顔で否定を差し込むマチルダだったが、残念ながらほぼみんな虹村の味方、恋愛推進派である。
「ひゃーおめでとマチルダちゃん! 話聞くよ! 今夜は私の家でお泊り会だっ!」
「あたしも行くわ。取れたてのタコを捌いてあげる。吸盤ぶるまいってやつね」
「ひゅーひゅー師匠! そういえば前にそんな話を聞いたような! いえ、聞きました!」
「おめでとう美奈子ちゃん。お祝いに私の家にも招待するわ。ゲームでもしながら、いっぱい惚気話を聞かせて頂戴」
「じゃあ虹村は僕と打ち上げしよう。花火買おうぜ花火」
「この阿呆共め……」と呟きながらもどこか嬉しそうに、マチルダは色めき立つ一同の姿に肩を竦める。
そして虹村に目だけを向けて。
「やってくれましたね。私としたことがみすみす先手を奪われてしまうとは」
「今までの俺とは違うからな。案外すぐ勝てるんじゃねえかって希望が見えてきた」
「浮かれてられるのも今だけですよ。ここから先は泥沼です。それに、まあ、人の噂も七十五日って言いますからね。みんなすぐに飽きるでしょう」
「どうかな。頼りねえと思うぞ、その頼みの綱」
今日少しだけなりたい自分に近付けた――と言うにはまだまだ時期尚早ではあるけれど、変化の兆しは確かに訪れた。
抱いた決意を持続させていこう。
少しずつでも変わっていこう。
そうすればきっと、自分も誰かを変えられる。
好きになってもらえるかもしれない――いや、そうなれると信じて、行動していこう。
マチルダに、あなたが好きですと、言わせてみせよう。
虹村はマチルダを見る。
マチルダは虹村を見ない。
「とりあえず、これから鬱陶しいほど視界に入り込んで存在を示していくんでよろしくな」
好きな子を振り向かせるなんて言うけれど――後ろより前に居た方がお得だろ、多分。
なんてバカバカしい考えに自分で笑った。
「私の視界に入りたければ俳優を志してみては? スクリーンで会いましょう」
「やだよ。聞いてるぞ、お前って俳優じゃなくて役柄に恋するんだろ。俺の演じる役に恋されたら複雑この上ねえ」
なにはともあれ一歩前進。
昨日までとはまるで違うこれからが始まる。
果たして一体どうなっていくのか。
この恋心は成就するのか。
「いいこと思い出した。次の休み、映画見に行こうぜ。お前の好きなやつがリバイバルやってるらしい」
「む、魅力的なお誘いを。昨日行って来たばかりなのに断れない自分が憎い」
「次はいいこと思い付いた。マチルダって映画に誘ったら断らないよな、そういえば」
「それがなにか」
「人生って映画みたいなもんだよな」
「小賢しい」
結果が分かるのは――ひとまず。
七十五日が過ぎてからということで。
【番外編②】
【謎のラブコメX〈終〉】
バイト先が負けヒロイン達の溜まり場になった 鳩紙けい @hatohata
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