謎のラブコメX ②

 待ちに待って待ち続け――ついに当日。

 憂と灯台娘、虹村にマチルダの計六名は、無遅刻無欠席のフルメンバーにて海水浴場を訪れた。


 お天道様も心待ちにしていたのだろう、自身を遮る一切を排除した日本晴れの空が広がっている。まるで夏の終わり頃を思わせる空模様は、憂の目に映る世界を殊更燦然と輝かせる。


 今日も世界は美しい。

 そしてこれからもっと美しいものを見る。


「いよいよだな、姉倉」

「うん。いい世の中だ」


 綺麗な直立の姿勢で水平線を眺める憂と虹村。

 ただいまの二人は更衣室にいる女子勢の登場を心待ちにしているところである。


 出迎える準備は万全。

 ここへ到着した直後の憂と虹村は、以心伝心「任された!」と声を揃えて走り出し、素早く場所を確保。必要な荷物を持たせて夜々たちを送り出したのち、レジャーシートを広げサンシェードテントの設置、浮き輪など遊具の用意までを手際よく行い、瞬く間に拠点を作り上げた。


 次いで、当たり前に家から水着を着ていた二人は服を脱ぎ捨てて。

 憂はいつだか虎南から授かったアロハシャツに。

 虹村はラッシュガードに袖を通し、両者とも上着の前を開け、完璧な海辺の装いへ変身した。


 その後、仕上げとばかりにクーラーボックスから取り出した瓶のコーラで乾杯(未開栓)し、足下に置いて、現在。


「今日は雲が無いし、普段以上に熱中症を警戒しよう」

「だな。適宜補充していこうぜ」


 と、背後のテントを振り返る二人だったが、すぐに海へ向き直る。


 ――危ない危ない。ネタバレを食らったら台無しだ。

 女性陣の登場を目前に控え、強烈な一瞬を味わうために更衣室へ背を向けて待機中なのである。


 てっきり夜々たちも服の下は水着だと思っていたためこの待ち時間は想定外だったが、これはこれで楽しいので感謝せねばなるまい。

 果てしなく感じられるがなんのことはない。

 今日までの一週間と比べれば儚い程に一瞬だ。


「ところで虹村。そのサングラスは?」


 格好つけるためか、虹村の目元はラウンド型のサングラスに覆われている。


「かっこいいだろ。あいつが喜ぶと思って、藁にも縋る思いで用意した」


「ああ、そういえばレオンとマチルダだったね」


「どうだ、似合ってるか?」


「似合ってるけど……」


 憂の歯切れの悪さが気になったのだろう、口角を上げて余裕を見せていた虹村が、訝るように眉を寄せる。


「なに言い淀んでんだ。不安になるだろ」


「視線を隠すといやらしい男の烙印を押してきそうな気がして」


「危ねえ助かった! お前は命の恩人だ!」


 自身をぶん殴るようにしてサングラスを外す虹村。

 愉快な奴だと憂は笑った。

 この調子をマチルダの前でも発揮していければ、これまでより格段に距離を縮めていけることだろう。


 虹村が憂の肩に手を置く。


「やべえ、なんか緊張してきた。なあ、マチルダは水着で現れると思うか?」


「美奈子ちゃんのことだから、靴だけ履き替えて来そうじゃない?」


「うわ……めちゃくちゃしっくりくる。でも、そういう空気読まないとこも可愛いよな。おいおいどっちに転んでも幸せ者じゃねえか俺は!」


 などとテンションの調節機能が狂い始め。

 あらんばかりの恋心を口にし始めたところで――


「なにやら面白そうな話をしてますね」


 背後から。

 計っていたかのようなタイミングで、鋭い一声が投げ込まれた。

 二人は飛びのくようにして身を翻し、声の方を向く。


 まさか聞かれていたのでは――憂の脳裏を過ぎった危惧は、マチルダの姿を見た途端に塗り潰されてしまった。


 白く。

 白に。

 白。


「なんですかその反応は。題するなら、アホの色違い」


 マチルダは虹村の諦念に唾を吐きかけるように。

 あるいは手を差し伸べるかのように――

 純白の水着を身に纏っていた。


 固まったまま一向に動かない憂と虹村に対し、マチルダは僅かに目を細める。


 そんなもの言いたげな視線もなんのその。

 憂はマチルダの顔から下に目線をずらしていく。


 肩口から胸元に掛けてと腰回りにフリルが施された、ワンショルダーのビキニスタイル。羽織っているパーカーが黒だというのもあり、鮮やかなコントラストにより意識を引き付けられる。

 パーカーのサイズが大きいのは夜々の物を拝借したためだろう――


 とにかく。

 驚くべきことに。

 望み薄だったマチルダが、ごく普通に当たり前に、可愛らしい水着で登場した。


「やれやれ。感想の一つも述べないとは。私だって鳥肌を立たせたい気分の日があるんですよ」


 そう言ってマチルダは足元の砂を蹴り上げる。

 憂は顔を背けて回避したが、虹村は微動だにせず直撃を受けた。心配になって頬を軽く叩いてみたが反応はない。


 なので仕方なく先手を引き受けることにする。


「ごめん。美奈子ちゃんが素直に水着で来たのが、正直意外で、驚いてた」


「そこには私も同意します。まさかこんな恥を晒す日が訪れるとは。恥ずかしくはありませんが」


 これ見よがしに溜息を吐くマチルダの佇まいは堂々としたもので、手だけはパーカーのポケットに突っ込んでいるものの、他の部分を隠す素振りは見られない。


「恥じらってしまえば奴らの思う壺です。それに羞恥心を抱くほど自惚れるはずもなし。笑われたところで別に気にしませんよ」


 憂は肘で虹村をつつく。

 今だ。マチルダが自身を貶める発言をしている今こそ、嘘偽りない本心でフォローすべきだ。


 しかし待てど暮らせど虹村は言葉を発さない。ただひたすらに見惚れて黙り込むばかりだ。


 なので重ねて仕方なく、憂が返答を担った。


「だから驚いただけだって。しっかり似合ってるよ。それと、冗談だってのは分かるけど無闇に自分を卑下するのはやめよう。前に僕も怒られた」


「……そうでしたね。失礼しました」


 平坦だった声音をわずかに跳ねさせ、目を伏せる。

 きっと夜々を想い、自らを省みているのだろう――と感心したのも束の間。


「私の身体が驚くほど魅力的で病みつきになりそうだと。怒られたいとのことなので、ホッグちゃんに報告します」


「伝言ゲームの果てみたいな真似はやめろ! 僕は夜々さんの身体にしか興味ねえよ!」


「うわあ」


「僕は夜々さんの身体にしか興味ねえよ」


「ううむ二度目は想定外。強くなりましたねジミヘンさん」


 いけない。

 どうしてもこのお喋り娘を前にすると本音を引き出されてしまう。


 これ以上の失言を重ねるまいと閉口する憂。

 対するマチルダはのけぞってドン引きアピール。

 その動作に虹村がぴくりと肩を震わせた。


「で。先程からその男はなんのつもりですか」


 どこか恨みがましさの感じられる声でマチルダが言う。

 矛先にいる虹村はマチルダの水着姿に、予想だにしなかったカラーリングに衝撃を受けて頭の中がぐちゃぐちゃになったためだろう――


「見惚れてた。あんまりにも綺麗だったから」

 

 と、驚くほどすんなり、本心を口にした。


「……何を企んでやがるんですか」


「後先なんて考えてねえよ。思ったこと言っただけだ」


「はあ」


「高級店のコース料理でいきなり肉を出された気分だぜ」


「やはり二枚舌。まさかここまでコケにされるとは。ジミヘンさん、この男をただちに埋葬してください」


 いまのは虹村が悪い。途中まで好調だったのに。

 似たような手口を用いたことのある憂としては、もっとふざけようなんて助言した憂としては擁護したかったが、下手に介入して二対一の構図を作るのはよろしくない。


 後は二人に任せよう。

 虹村の生還を祈って、静観。


 憂の助力を得られないと悟ったらしいマチルダは、ポケットからおもむろに小さな熊手を取り出すと、足下の砂を掘り始める。

 虹村は憂の肩に手を置いたのち、平謝りしながら作業に加わった。


 潮干狩り?

 それともなんだかんだで照れているのだろうか。

 虹村も穴があったら入りたい気分に違いないため、息ぴったりなコンビである。


 強引に一件落着として、憂は再び反転する。

 良い意味で驚かされた。

 次は誰だろう。

 いや、普通に考えれば三人いっぺんに来るはずだ――などと胸を躍らせること一分程。


「なにやってんのよあんたら」


 続いて登場したのは葉火。

 声が聞こえると同時に嬉々として振り返る憂だったが、葉火の全身を視界に収めるや、その表情に影が落ちた。


 白いシャツに紺のハーフパンツ。

 葉火が着ているのが、学校指定の体操服だったからだ。


「なんだよその恰好。脱げよ」


「あたし、みだりにお肌を露出するの好きじゃないのよね」


「それじゃ服が焼けちゃうだろ」


「あんた、着込んでる方が好きでしょうに」


「何事にも例外はある」


「やかましい奴ね。ま、案ずることないわ。ちゃんと下に着てるから、この格好があたしの水着姿よ」


「はひちゃんが嘘吐きじゃないのはよく知ってる。だけど、それでも疑いを拭えない。僕にはひちゃんを信じさせてくれ」


 食い下がる憂の姿が愉快でたまらないのだろう、見るからに気を良くした葉火が、真っすぐ伸ばした人差し指で自身の左胸を指す。


「見なさい、不格好な刺繍が入ってるでしょ。剣ヶ峰葉火、あたしの名前。これはお母さんが苦手な裁縫に挑んだ結果よ。必要ないのに、それも無断で。そんな手先以外も色々不器用な母親だけど、愛してるわ」


 と、自慢話で助走をつけて。


「この体操着に誓うわ。あたしは下に水着を着てる」

 

 葉火は憂の目を見据え、真っすぐに言い放った。

 母親と再会して。

 同じ家に住み、少しずつ親子の関係を築き直している葉火の口にしたそれは、この上なく信用できるものだ。

 それでなくとも葉火ならば、着ていなければ着ていないと素直に白状する。

 胸を張って、開き直る。


「信じるよ……はひちゃん……」


 呟くように言った憂は、続けて「その前に」と繋ぎ。

 足下のコーラの缶を手に取ると、前へ出て葉火が拾える位置に置き直した。


「そのコーラを試しに拾ってみろ」


「…………」


「拾ってみろ葉火ちゃん」


「首元から覗くつもりね! 見破ってやったわ!」


 好きな漫画の名シーンじみたやり取りに加え、憂の企みを看破できたため葉火は威張りに威張って胸を張る。


 そして憂もまた達成感に満ちた様子で天を仰いだ。

 こういうことなら、こういうことでいいんだ。


 虹村が憂の肩に手を置いて元の位置へ戻り、相変わらず穴掘りを続行しているマチルダが言う。


「この人が露出を拒んだことも、私が素直に着替えた理由です。ネタ被りはノーサンキュー」


「仲良しめ……まあいい。賢い僕は北風と太陽を知っている。問題は無い、時間の問題だ」


「氷佳も大変ね。こんなのに毎年付き合わされて」


「お、古海さん来たみたいだぞ」


 出囃子さながらの虹村の声を受け、憂は空を仰いだまま目を閉じる。

 太陽の光を瞼にたっぷり浴びせながら三耶子の到着を待ち――やがて。


「お待たせ。慣れないから少し時間が掛かっちゃった」


 照れた調子で三耶子が言い、憂は顔を正面へ向けると同時に目を開き、姿を視認して。

 そのまま視線を真っ逆さまに地面へと叩き落とした。


 見間違いか……?

 今度は下から――ビーチサンダルに黒のフレアスカート。

 ここまではいい。

 しかしその上は――


「……三耶子さん、それは?」


「ふふふ。これはね、ライフジャケットよ」


 そう。

 三耶子の上半身は、オレンジ色のライフジャケットによって彩られていた。

 折角のポニーテールに言及する余裕が根こそぎ奪い取られる違和。


「どうして……どうしてっ! 泳げるようになったじゃん!」


「だからこそよ。力を手にしたことで、それに伴う恐ろしさへの理解が深まったの」


「確かに数秒で足攣りそうだけど……」


「む。見くびられている気がするわ」


 偉い……偉いけど。

 特訓に付き合ったという教官役の虎南から「みゃんこ大先輩はド級の貧弱なので一人にしないように」と警告されていたけれども。

 まさかこのような対策を講じてくるとは。


 憂はこれ見よがしに頭を抱えて俯いてみせる。


「僕はただただ水着姿を褒めたいだけなのに……!」


「チラチラこっちを見てて愛らしいわ。氷佳ちゃんの苦悩が目に浮かぶわね」


「苦悩はしてない! 僕が褒めると嬉しそうにくるくる回ってくれるーぷ!」


「ふふふ。良い機会だし私はバク転に挑戦してみようかしら」


「尻餅つくだけだからやめときなさい。ていうか三耶子、あんた自分を氷佳枠に入れてるわけ? よくもまあ」


「い、いいじゃない。入ってるもん」


「あたしの後にね」


 結局三耶子がジャケットをパージすることはなく、どころか追加で浮き輪を装備して。その珍妙な格好に憂は思わず笑い、動線に背を向けて待機モードへ移行する。


 虹村が憂の肩に手を置き、何も言わず穴を掘る作業へ戻った。

 先程から繰り返される奇妙な行動に首を傾げつつも、憂は思考を切り替える。


 目下考えるべきは、夜々についてだ。

 良くない流れ。

 好ましくない波が押し寄せている。

 どうして水着のお披露目が如何に予想を裏切るかの遊戯に差し代わっているんだ……?


 がしがしと頭を掻く憂。

 こうなったら事前に夜々の格好を予測して、少しでもダメージを軽減するしかない。

 水着、体操着、ライフジャケットときて――最後を飾るのに相応しいのはなんだと夜々は考えるだろうか。


「弁当箱……着ぐるみだったらどうしよう」


 と、渦巻く思考から拾い上げたものを口にした折。


「ごめんごめんお待たせ!」


 夜々の活発な声に背を引っぱたかれ、背筋が伸びるのと同時に鼓動が数段ギアを上げる。


 さあどうくるのか。

 少なくとも声はくぐもっていない。


 多少の怖さはあるものの一刻も早く姿を拝みたくて仕方ない憂は、臆さず怯まず翻った。


 その先に。

 視線の先に立っていた夜々は。

 憂と視線が交わりちょっぴり照れくさそうに微笑む夜々の出で立ちは。


 良い意味で予想を裏切り、期待に応えて超えてくる、何の小細工もなくただひたすらに眩い、ビキニスタイルだった。


 淡いピンクのホルターネック。

 ボトムはタイサイドで、控え目なリボンが両サイドを飾っている。

 

 思い切って一言にまとめると、可愛い彼女が可愛らしい水着を、着こなしていた。


「我々が選び抜きました」

「感謝しなさい」


 夜々の傍らで肩を組む葉火とマチルダ。誇るに足る素晴らしい成果である。

 対する憂は無言のままじっと夜々の姿を観察する。


「……な、なんだね。なにか言ってよ」


 居た堪れなくなったのだろう夜々は、後ろ手に持っていたラフィアハットを頭に乗せて口をもにゃもにゃ。

 みるみるうちに顔を赤く染めていく。


「夜々さん、おいで」


 一方で憂は大人びた笑みと優しい声に手招きを添えて呼びかける。

 そして夜々がとことこ目の前まで寄って来ると。

 帽子を外し、右手で夜々の頭を撫で始めた。


「セクシーだね」


「さてはおちょくってるね?」


「似合ってる。可愛いよ、すごく」


「憂くんが大人ぶる……」


 反撃の余地を見出したのも束の間、夜々は口をぎゅっと結んで再びもにゃもにゃ。

 されるがままといった感じだが、ただで終わらないのが名瀬夜々という憂の好きな女の子である。


「なら、もっと褒めて」


「分かった。じゃあ、もっと見るね。見せて」


「……どうぞ」


 が、あえなく撃沈。

 奪い返した帽子を憂の顔に押し付けて視界を塞ぐ、実質的な敗北宣言をする夜々だった。


「背中にもリボンがついてるんだね」


「まさか見えておられる!?」


「僕は背中にも目が付いてるんだ。丁度目にかかってる」


「私の背中にっ!? いつの間に!」


 ――そんな風にひとしきり盛り上がったのち。

 準備完了、勢揃いということで。


 夜々が葉火の隣へ移動して、虹村が憂の隣へ戻って来る。

 そして五度目、肩に手を置いてきた。


 すると憂が指摘するよりも早くマチルダが言った。


「さっきから何をしてるんですか。ジミヘンさんの身体にベタベタと」


「姉倉の名誉のためだ。心配いらねえと誰もが思ってるだろうけど、一応報告しておく」


 意味深な前置きをして、虹村は続ける。


「女性陣の登場の度にわずかな体温の上昇を確認できたが、名瀬さんの登場時は桁違いだった。今の姉倉は太陽だ」


「虹村! そういうのは言わなくていいんだよ!」


 まさか体温のチェックが行われていたとは。

 虹村なりの気遣いってやつか――と脳裏を過ぎった結論を否定して。

 恐らくこの男、僕が美奈子ちゃんに邪な感情を抱いてないか確認してたな、と再結論する。

 いまの虹村には全ての男が敵に見えているのだろう。


 だからといって嫌な気持ちにはならないし、別にいい。

 問題は――


「ふーん、そっか。そっかそっかぁ」


 我が意を得たりとでも言うように、からかうような笑みを浮かべてにじり寄って来る夜々だ。

 虹村のおかげで無理くり自制心に蓋をしていたのがバレてしまった。

 眼前の夜々がいたずらっぽい笑みを深めて見上げてくる。


「余裕ぶってたけどやっぱりドキドキしてくれてたんだー」


「なんのことかな?」


「どうして平気なフリしてたのかな?」


 澄ましてみるも効果はなし。

 夜々は追撃を緩めない。


「かーわいー」


 さっきのお返し、とお腹をつっつかれ、憂はついに顔を背けてしまった。

 そのまま横目に夜々を見つつどう逃れようか画策していると――


 悪巧みの語源かと思わされる表情をした葉火と三耶子にマチルダが、抜き足差し足、夜々の背後に迫っているのを目撃した。

 そして三人は立ち止まり。

 合図もなく同時に手を突き出して――目の前の獲物に夢中で隙だらけの夜々、その背中を押した。


「何事っ!?」


 したがって。

 三人分の力を無抵抗の身に受けた夜々が、足をもつれさせ。

 ぽすん、と。

 憂の胸に飛び込んできた。


「ひゃー!」

「ひゃあ!」


 お揃いの悲鳴が大海原へ進出する。

 憂は反射で夜々を抱き締めた。


「ひゃー! ひゃーっ! ちょ、ちょっとこれはほら! はなしてー!」


 先程までの余裕は跡形もなく消失し、夜々は調子の外れた音を放つばかりである。


 腕が熱い。

 その温度が自分のものか夜々のものかも分からなくなり、命の危険すら感じてきたので腕を離そうとしたのだが、しかし。


 しかししかし――夜々もまたしたたかにちゃっかりと。

 憂の腰へ腕を回しているのだった。

 発言と行動が清々しいほどに不一致である。


「なかなか私好みの娯楽かもしれません」とマチルダ。


「これで憂も大人しくなるでしょ。悪いわね夜々」葉火も続いて。


「私まで熱くなってきちゃった」三耶子が締める。


 ここで夜々の攻め気を恥ずかしさが上回ったようで憂の身体から腕が外れる。

 それを機に憂も夜々を解放した。

 からくも勝利。あと数秒遅ければこちらが白旗を上げていた。


「わ、私はなんてはしたなぶるを……」


 自由を手にした夜々はその場にしゃがみ込むと、そんなことを呟きながら荒い呼吸を繰り返し、やがて飛び上がるようにして立ち上がり。


「やってくれたねっ!? 弁護士を呼ばれる前に片付けるっ!」


 と、物騒な意思を投げつけながら走り出す。

 標的である実行犯の三人は逃走を開始。

 楽しげな笑い声を響かせる四人を見送って、憂はその場に座り込んだ。


「姉倉、生きてるか?」


 同じく腰を下ろした虹村が言う。


「可愛かった……知ってる? あの子、僕の彼女」


「よし、正常だな」


「三耶子さんも葉火ちゃんも、似つかわしくないだけで似合ってたし。それに美奈子ちゃんも――」


「見たのか」


「見てないっぽい」


 難癖をつけられるのも覚悟してとぼけてみたが、虹村は静かに笑うだけだった。


「まさかあいつが水着とはな。楽しそうでこっちまで嬉しくなった」


「今日を一番楽しみにしてたの、案外美奈子ちゃんかもね」


「俺がいるからかな」


「夜々さんたちがいるからだよ」


 虹村が笑って。

 憂も笑い返す。


「いやはや全く勝算が見えねえ。が、引き下がるつもりはない」


「それを聞いて安心した。そして安心しなよ虹村。美奈子ちゃんと二人きりにする作戦がある」


「ありがてえ。一から十まで聞かせてくれ」


「よかろう。この間、四人で話合ったんだけどさ」


「待て待て待て。ちょっとどころか永久に待て。俺が知る人数の倍多いぞ。まさか、話したのか」


 虹村の疑念にきっぱり否定で返し、憂は事情を説明する。


「葉火ちゃんって恋愛脳でさ。美奈子ちゃんが虹村と仲良いのは気があるからに違いないって言い出して、夜々さんも同調したみたい」


 突如としてマチルダが海へ行こうと言い出したのには、そういった背景があったのだ。もちろん憂と三耶子は虹村側の事情を明かしていないため、本日の全容を知るのは変わらず三人のみである。


「そういうことか。いっそ話しちまうのも良いと思うが――まだやめとこう。勘違いから始まる恋って王道だもんな」


 葉火と夜々も味方に勘定したらしい虹村が、前のめりで作戦の続きを促してくる。

 期待されて申し訳ないが作戦と言うにはあまりに大雑把なため、憂はさらりと説明を済ませた。


 ――僕と夜々さんがこっそり二人きりになろうとするから覗きにおいでよ!


 聞き終えた虹村は怪訝な顔をする。


「なあ姉倉。感謝してるしかなり効果的だと思うんだけどよ。俺達の外野感すさまじくねえか」


「美奈子ちゃんって野次馬根性猛々しいし、外野の方が好きそうかなって」


「確かにな。ぐうの音も出ねえ」


 虹村はおかしそうに笑うと、納得してくれたのだろう拳を握り立ち上がる。


「ありがとな。物は試しだ魂だ、必ずものにしてみせる。で、いつ実行する?」


「ひとまず定番の水かけっこをして――」


 言いながら立ち上がった憂は、彼方よりこちらへ接近する人物に目を留め、口を噤んだ。一目散に駆け寄って来たその人物は、憂も、そして虹村も知る少女だった。


「お待たせしましたっ! サプライズゲストです! わたしを仲間外れにしようだなんて周年早いんですよバカタレがっ! ちゃんと誘って!」


 と笑い出すような叱りつけるような言い草をするのは。

 学校指定のスクール水着に身を包む妹ハムスター、虎南。


 虹村は苦笑いしつつ憂を窺う。

 憂は無言で虎南と相対する。


「ふふん。どうやら見惚れて言葉も出ないようですね。ほらほら写真撮ってもいいんですよ? わたしの美貌で備忘録を作りましょう。許可する!」


 予定に無い人物の登場に、暗雲が立ち込めたとばかりに複雑そうな表情をする虹村。縋るような視線を受け、憂は澄ました顔のまま鼻で笑い、言った。


「想定済みだ。計画に変更はない。来ると思ってたよ虎南ちゃん」


 今回はゴシップ同好会へのお節介が主題だったため人数を絞ったが、虎南のことだ、三耶子の泳ぎの指導をするさなかで、そして夜々の様子から予定を感じ取り、勝手に現れると思っていた。


 というかそもそも頭数に入れておくつもりだったが、この小娘、予定を聞いたら「友達と遊びに行きます!」と言い放ったのである。

 誘ってるよ。ちゃんと。


 しかしこちらは全て読み切っていた。

 妹のことは手に取るように分かるのだ。


 さてさて正真正銘勢揃い、ということで。

 虹村のアシストという本題が控えているが――友達と海ではしゃぐのも同じくらい大切なことだ。

 だから、まずは。


「よーし虹村! 虎南ちゃん! 水かけっこしようぜ! 僕が虎南ちゃんを海に投げ込んだらスタートな!」


「やれるもんならやってみさらせ! 返り討ちにしてくれます!」


 言って駆け出した虎南が腹目掛けて頭突きを放ってきやがったので、憂は風に舞う紙片のような身のこなしで華麗に回避し、虎南にフロントチョークをお見舞いした。


「大人しくやられてください! わたしはお兄ちゃんのお腹に手形の日焼け跡を残すんです! はなせーっ! こなくそーっ!」


「身が入ってないな! 実は喜んでると見た!」


「み!? 虎南くそ!? 許すまじ!」


「言うかそんなこと! 虎南ちゃんは最高だ!」


「でしょー! そのシャツ似合ってますよ! さすがわたし!」


 と戯れ始めた兄妹を見て、虹村はおかしそうに笑った。

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