第二章
第16話 失くした記憶
「────お答えできません」
天之川さんが持っていた写真を借り、十文字さんに突きつけたところ、返ってきたのはそんな素っ気ない返事ひとつだった。
「答えられないって……なんで⁉」
「それがお嬢様の意思だからです」
「……俺の記憶を回復させるのに、協力してくれるんじゃなかったんですか?」
「もちろん、その言葉に偽りはありません。ですが、私は立場上、雇い主の命令を順守せざるを得ませんので」
どういうことだ。俺の婚約者は、俺に記憶を取り戻してほしくないのか? どうしてそこまで、俺が記憶を失ったままもう一度婚約者に惚れることに拘る?
「そのお嬢様が何を考えているのか俺にはわかりませんよ。本当に、その人は俺のことが好きなんですか?」
「この世の誰よりも、あなたを愛している。それだけは断言できます」
「だったら、教えてくださいよ。この写真の人は誰なんです? 四年前、天之川さんと会ってるこの人は、どう考えても俺と血の繋がりがあるでしょう⁉」
「……申し訳ありませんが、お答えできません」
クソ、なんなんだ……せっかく手がかりを手に入れたと思ったのに、回答拒否されるなんて。
「不安なんですよ……記憶がないのは。この気持ちがわかりますか? 俺は四月以前の記憶がありません。その瞬間に産まれたみたいな気分なんです。それより前のことは全部空白です。不安定で、落ち着かないんですよ」
「……忘れたことを思い出すのは、必ずしも幸福とは限りません」
「え?」
「わからないんですか? あなたが記憶を失った原因についてですよ」
「それは……火事で……」
「ええ、火事に巻き込まれ、あなたは意識を失いました。けれど、記憶喪失になったのは偶然ではないかもしれないじゃないですか。絶対に思い出したくないことがあるからこそ、あなたは記憶を失ったのかもしれません」
絶対に思い出したくないこと。
今までの記憶を全て消してまで、忘れたかったこと。
俺にそんなものがあるというのか? 事故……火事……そうだ。そもそも、一体なぜ火事は起きた? 本当に事故なのか? 俺は……一体なんで巻き込まれて……。
「十文字さんは……どう思いますか。俺は記憶を取り戻すべきだと思いますか?」
「私は……ただの使用人ですから。そんなことを口にする権利はありません」
「俺の過去のことも知ってるんですよね? だったら────」
「申し訳ありません。私も……迷っているのです。あなたとどう接していいのか、私にもわかりません。私にできるのは身の周りの世話ぐらいで、あなたを導くことはできないのです。どうか……私を頼らないでください」
珍しく、沈んだ表情を浮かべる十文字さんにそんなことを言われてしまえば、もう何も言えない。
「……わかりましたよ。記憶のことは……一旦保留にします。そこも含めて全部、直接婚約者から聞き出せばいい。俺の婚約者は、俺の味方なんですよね?」
「ええ、間違いありません。あなたの婚約者は、いつだってあなたのことを一番に考えています」
「そうですか。だったら……なおさら探し出すしかないわけだ」
俺が頼れるのは、もう婚約者しかいない。その人を見つけ出しさえすれば、全てが上手くいくはずだ。とにかく今は、それだけ考えることにしよう。
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