第15話 一体いつから
「ち、違うんだ。その……俺は……記憶喪失で……」
正直に言うしかないと思った。
彼女とどんな関係だったかは覚えていない。けれど、どんな事情があろうと女の子を泣かせていいはずがない。
婚約者探しが不利になろうが、借金が降りかかろうが、それだけはしちゃいけないことだ。
すべて打ち明けることで何かが解決するわけじゃない。だが、多少は慰めになるかもしれない。だったら、秘密を明かす価値はあるはずだ。
「いいよ。そんな嘘つかなくても。結構昔のことだし、会ったのも一度だけだから覚えてなくても仕方ないって」
「いいや! 嘘じゃないんだ‼ 俺には、今年の四月以前の記憶がない。何も思い出せないんだ。自分の家も、家族も、婚約者のことも!」
「……本当に? 記憶が……ないの?」
「ああ、だから答えてほしい。天之川さん。君は一体、俺とどういう関係なんだ?」
駆け引き無しで、真正面から質問をぶつける。やっぱり俺には、あれこれこねくり回して考えるよりこっちの方が性に合ってるみたいだ。
「私は……青斗と結婚の約束をしたの」
天之川さんはゆっくりと口を開き、思い出のページをめくるように語り出す。
「四年前、中学に上がりたての頃、私……周りに馴染めなくて、学校でちょっと浮いてたんだよ。私ってほら、目立つでしょ? だから……何かと目の敵にされて」
別に嫌味でもなく、傲慢でもなく、彼女は美少女だ。自分で美少女を自称しても何ら問題はないほどに優れた容姿を持っている。
普通の中学校じゃ、それはあまりにも目立つだろう。謙遜しても、自慢しても、無言を貫いたとしても、顔を晒しているだけで悪目立ちしてしまうことは想像に難くない。
「言い返すのが怖くて、でも誰かに相談もできなくて。こんなこと言っても、ムカつくって思われるだけだろうし、それで……家出したんだよね。産まれて初めて電車に乗って、見たことも聞いたこともない場所で下りて、とにかく歩き回ったよ。人の目が怖くて、皆が私の噂をしてるような気がして、だから人のいないところまで行こうと思って……」
「そうやって辿り着いた先で、俺に出会ったのか?」
「うん。日が落ちて、暗くなってきてさ。公園の滑り台の下で、一人で泣いてたんだよ。そうしたら、青斗が見つけてくれたの。それが私と青斗の出会い」
彼女の話を聞いても、何も思い出すことはない。一人で泣いていた少女に声をかけた記憶はないし、公園というのがどこのことかもわからない。
「しばらく私たちは他愛のない話をして……そこで私は、自分の悩みを始めて打ち明けられた。今思えば、その時は暗くて、顔がよく見えなかったから、自分の容姿のことを口にしやすかったんだと思う」
「それで、俺はなんて答えたんだ?」
「可愛くて皆が嫉妬するなら、それが憧れに変わるまで上りつめればいいって言われたよ。誰も嫉妬なんかできないぐらい、ぶっちぎりの一番になればいいって」
「……なかなか良い事言うな。昔の俺」
俺ってそんな気の利いたことが言える奴だったのか。てんやわんやしてばかりの今の俺とはえらい違いだな。
「だから私はアイドルになったんだよ。誰にも文句は言わせない。とびっきりの一番になって、皆に認めてもらうために」
「そう、だったのか。じゃあ、きっかけは俺だったんだな」
「けど、正直甘く見てたよ。芸能界の方がよっぽど嫉妬えげつないし、ネット中心のソロ活動にして、あんまり同業者と関わらないようにしてたけど、それでもなかなかキツくてさ」
「……俺のアドバイス、完全に逆効果だな」
やっぱ、今の俺とそんなに変わってないか? 記憶があろうがなかろうが、俺は俺だな。そんなに格好良くキメられる男じゃない。
「ううん、考え方が変わったのは青斗のお陰だよ。今までアイドルをしてきたのも無駄じゃない。だってほら、私、メチャクチャ前向きになれてるでしょ?」
「……確かに、今の天之川さんが滑り台の下で泣いてるのは想像できないな」
相当な荒療治ではあったが、彼女は周囲から過剰な注目を集めることを克服できたんだ。むしろそれを自信に変え、前向きに生きていけるようになった。
……少々前向きになり過ぎな感じもするが、そこは結果オーライと言ってもいいのかな。きっかけを与えた俺は、名張さんに恨まれても文句は言えないが。
「で、結婚の約束もその時にしたんだよ。皆が羨むような人気者になれたら青斗と結婚してあげるって私が言ったら、青斗は楽しみにしてるって言ったんだから」
「……それが婚約?」
「そう、結婚の約束でしょ? 私、この約束を果たすために今まで頑張ってきたんだよ?」
そう言って、彼女は無邪気に笑う。
きっと、当時の俺は励ますつもりで言ったんだろうなぁ……まさか、再会するとは思わないだろうし。
どうしよう、他に婚約者がいるとは言い出せない雰囲気だぞ、コレ。天之川さんが十文字さんの言う婚約者と同一人物なら話は単純だったんだけど……そうじゃなさそうだしな……。
「あ、そうだ。その時の写真もあるよ。青斗にまた会えるように、ちゃんと記録として残してあるんだから」
彼女は胸ポケットから手帳を取り出し、そこに挟み込まれた一枚の写真を見る。
「……あ、あれ?」
写真と俺の顔を見比べた途端、彼女の表情が曇り始めた。
「どうした?」
「い、いや、その、なんていうか……」
なんだ? 何でも心の赴くままに言葉にする天之川さんにしては歯切れが悪いな。
「やっぱり……気のせいだったかも」
「…………は?」
「あぁ、いや、その、こうして見比べてみると、やっぱ別人だったかも。私が見間違えるわけないんだけど……どう考えても青斗そのままなんだけど、でも、こうして見ると逆に違うっていうか……」
え、嘘だろ。これだけ語っておいて? ちょっといい感じの思い出とか、約束とか語っておいて?
「人違いだった……ってこと?」
「う、うーん……人違いというか……青斗って、お兄ちゃんいる?」
「さぁ……? 記憶がないから何とも……」
「ここに写ってる青斗はさ、今の青斗そのままなんだよね」
彼女の持つ写真を覗き込むと、そこには確かに俺が写っている。
四年前の写真なのに、そっくりそのまま俺が写っているのだ。四年前の俺ではなく今現在の俺が────
「俺の……兄貴?」
俺は思わぬところから、失った記憶を取り戻す手がかりを掴んだのかもしれない。
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