第14話 儚い声

 もちろん大騒ぎになった。


 有名アイドルがいきなり転校してきただけではなく、婚約者がいるとその口で公言してしまったのだから、騒ぎにならないはずがない。


「まさかこんな事態になるとは……」


 二年二組には、天之川千世を一目見ようとほぼ全校生徒が集結し、詰めかけた人の圧で教室の扉が吹き飛ぶほどの大混雑。

 その上、霞青斗の婚約者であるというショッキングなニュースまで出回り、完全に収拾がつかなくなってしまった。学校は今、パニック状態にある。


 クラスメイトどころか、顔も見たことないような連中から質問攻めにされた俺は命からがら人混みから這い出て、校舎裏に逃げ込んでいた。


「冗談抜きで殺されるかと思った。これはしばらく戻れそうにないな……」


 天之川ファンは、うちの学校にも決して少なくない数いるらしい。そいつら全員が俺にどんな感情を抱いているか。そんなことは考えてみるまでもない。


 こうなってしまった以上、俺が助かる方法は、天之川さん本人に自分の発言を否定してもらうことだけだ。ついでに、婚約についての詳しい事情も説明してもらわないと。


「でも、ここまでの騒ぎになると、天之川さんに会うのも一苦労だよな……」

「────私がどうしたって?」


 気づけば、目の前にトップアイドルのご尊顔があった。


「ぎやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ⁉」


 どれだけ整っている顔だろうが、急に目の前に現れたらビックリする。むしろ整っているからこそ、迫力があって怖い。


「なっなんなななななっなんななななんんなんんあんななっなんなんあんなあなんななっなっなななんあっ」

「何語?」

「なんで天之川さ……お前がここにいるんだよ⁉ あれだけ囲まれてたのに……⁉」

「それは青斗だって同じでしょ。私からすれば、むしろ青斗の方こそよく抜け出せたなぁと思うけど?」

「俺は地味だからな。包囲網の突破は簡単だ」


 まだ転校して来たばかりで、ほとんどの人が俺の顔を覚えていないからな。霞青斗というのが転校生の名前であるとわかっていたとしても、あれだけ人がごった返している中で、俺個人を特定し、連携して囲い込むことなんて不可能。

 反対に、天之川さんの顔なんて誰でもわかるし、なんなら顔を見ずとも空気感だけで存在を察知されそうなものなのに、無事にここまで辿り着くなんて大したものだ。


「ふぅ~ん。私は忍に全部押し付けて来たよ。今頃私の変装をした忍が、学校中を駆け回ってるはず」

「気の毒過ぎる……」


 毎度毎度、名張さんは厄介事に巻き込まれる体質なんだろうな……どことなく幸薄そうだし。というか、天之川さんが厄介事を持ち込み過ぎなだけか。


「それより、どう? 私、青斗を追いかけて来ちゃった」

「どうって言われても……え、俺を追いかけるためだけにわざわざ転校を? 本気で言ってるのか?」

「元々、そろそろアイドル引退しようと思っててさ。普通の高校に転校する予定で、ここが第一候補だったんだけど、その予定を早めたって感じ?」

「待て待て! い、引退? あんなに人気なのに? それに、今はドッキリ企画の途中なんだろ?」

「ん? 細かいこと気にしすぎじゃない?」


 駄目だこいつ、完全にその場のノリで生きてやがる。


 明日にはフランスに行ってデザイナーになって、明後日にはアメリカ行って大学に通い、明々後日には日本の田舎で農業やっててもおかしくないぐらいの気分屋だ。


「きっと今頃、マネージャーとか、事務所の社長とかが、大慌てしてると思いますけど?」

「うーん、どうだろ。してるかな?」

「してるよ。ちゃんと話し合った方がいいよ。そういうのはさ」

「……青斗がそう言うなら、そうする。引退はやっぱナシで」


 天之川さんはシュンとしおらしくなり、顔を下げて俯いた。


 急に素直になられても、それはそれで怖い。こんなワガママアイドルが俺の言うことを聞くだなんて、俺と彼女は一体どういう関係なんだ。


「なあ、ちょっと、聞きたいことがあるんだけど」

「うん、知ってるよ。そうだろうと思って、ここに来たんだから。でも、その前に私から、ひとつ確認してもいいかな?」

「確認?」

「そう、コレの答え次第で、青斗の質問への答えも変わるから」


 どういう意味だろう。よくわからないが、質問に答える代わりに質問させろというなら対等な条件だし、断る理由もない。


「わかった。で、確認ってなんだ?」

「簡単だよ。私たちが初めて出会った場所は?」

「────なんでそんなことを……?」

「いいから答えて」


 答えられない。だって覚えていないのだから。


「やっぱり、そっか」


 口を噤んだままの俺を見て、天之川さんは諦めたようにため息を吐く。その瞬間に見せた彼女の悲し気な顔は、普段とはまるで別人のように寂しげに見えた。


「私のこと、忘れてるんだね。あの約束も、何も覚えてないんだね」


 彼女は皆に笑顔を振りまくアイドルとは思えないような、今にも消え入りそうな儚い声でそう言った。

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