第9話 趣味仲間

「────ショコラを出せ?」


 図書室に向かうと、昨日と同じ席、同じ姿勢で、本を読んでいる名張さんがいた。


 ここにいなかったら、他に心当たりなんて一切ないので、見つかってよかった。後はショコラを紹介してもらえるよう交渉するだけだ。


「そういうわけには……いかない。ショコラの正体は秘密だから」


 ……交渉の余地すらなく、突っぱねられてしまった。それどころか、彼女は読んでいる本から視線を上げてすらくれない。


「そう言わず、どうしても教えて欲しいんだ」

「どうしても教えられない」

「何でも言うこと聞くから!」

「じゃあ、帰って」


 この人……押せば折れてくれるタイプかと思ったのに、意外と強情だな。気弱なように見えて意思の強い人だ。


「だったら、要求を変える。俺もショコラに恋愛相談させてくれ」

「……あなたが?」

「それなら会わせてもらえるか?」


 こっちの要求を一方的に押し通すだけじゃ駄目だ。相手に寄り添う形で、双方にメリットがある条件にしなければ交渉は成立しない。

 俺はショコラを紹介してもらう代わりに、恋愛相談という形で壁新聞のネタを提供する。これなら悪くない話のはずだ。


「恋愛相談の予約は来月まで埋まってる。来週号の記事だってもう書き上がってるしあなたは必要ない」


 ……そう簡単にはいかないか。どうしたものかな……こうなると、もうこっちから提示できるものがないんだが。

 名張さんが何を求めているのか、何を欲しているのか、昨日会ったばかりの俺にはそれがわからない。取引を持ち掛けるには情報不足過ぎる。


「……ねえ、何でも言うこと……聞くんだよね?」


 諦めかけていたその時、名張さんがボソッとそう呟く。


「え? あ、ああ、ショコラを紹介してもらえるのなら……大抵のことは」

「大抵のこと?」

「い、いいや、何でも! 何でも聞くぞ‼」


 せっかく光明が見えたのにここで躊躇するわけにはいかないと、改めて思い切った条件を提示する。


 しかし、何でもか。どうしよう、二億払えとか言われたら……流石に困るぞ? ただでさえこっちは、記憶もないのに婚約者を探し出すという無理難題を遂行している最中なんだ。

 その上に重ねて無理難題を吹っ掛けられるようなことになったら、いくら何でも対応しきれない。


「何でも……何でも……」


 名張さんの息が荒くなり、視点も定まらなくなっていく。口角を大きく持ち上げて笑うその表情からは、よほど感情が昂っているのであろうことがわかる。


 一体どんな要求をするつもりなんだ。大丈夫だよな? 常識の範囲内だよな? 法律の範囲内だよな⁉


「……ちょっと待ってて」


 席を立ちあがった名張さんは、本棚の迷路の中へと消えていく。しばらくして戻って来た彼女の腕には、多くの本が抱えられていた。


「ん」

「……ん?」

「これ、全部読んで」


 俺の前に積み上げられたのは、辞書みたいに分厚い小説の数々。どれもこれも古い年代の海外の作品であり、かなりとっつきにくそうなものばかりだ。


「な、なぜこれを俺に?」

「何でもするんでしょ?」

「そうは言ったけど……これを俺が読んで、何か名張さんにメリットがあるの?」

「……読んだら、感想を聞かせて」


 彼女は目を逸らしながら小さい声でそう言って、自分の読書に戻ってしまった。


「読めというならそうするけど……」


 こんな難しそうな本、全部読める気がしないんだが……ひとまず、一番ボリュームの無さそうな物から手に取ってみるか。


「────面白いな、これ」


 気づけば、一時間ほどで一気に読み切ってしまっていた。思っていたより読みやすく、内容がスッと頭に入ってくる。


「……でしょっ⁉」


 ガタンと大きな音を立てつつ、名張さんが机に乗り上げて、俺に迫って来る。


「古いからとか、難しそうだからってだけで敬遠されがちだけど、昔に発売された海外の本でありながら、時と海を越えて学校の図書館に置かれるほどの名作だってことでもあるんだから、面白くないわけがないんだよ。それなのに、いつ見ても誰にも借りられてなくて、誰もこの良さをわかってくれないの。あ、ちなみにその本は日本語訳が二種類あってね。私としては古い方の訳が好きなんだけど、万人受けするのはやっぱりそっちの新しい方かなって。でも、原作者の意図をより汲み取れてるのがどっちかと言えば間違いなく古い方なんだよね。なんせ、まだ原作者が存命だった時代の訳だから────」

「ちょ、ちょっとストップ。一旦落ち着いて。どうどう」


 興奮して暴れまわる馬をなだめるように、名張さんを落ち着かせる。それでも彼女は鼻息荒く、興奮が収まる気配はない。


「私、昨日会った時から思ってたの。あなたとは気が合いそうだって」

「へ、へぇ……そうなんだ」


 でも、確かに面白かった。読書は以前から俺の趣味だったんだろうか。妙にしっくりくる感覚があった。


「今後は、俺も図書室に通おうかな」

「ほ、本当……?」

「ああ、他の本も読んでみたいし」

「……そ、そう? それなら……歓迎する」


 名張さんはようやく冷静さを取り戻し、頬を赤く染めながら椅子に座った。今さらながら、自分のハイテンションぶりが恥ずかしくなったらしい。


「えと……あなた、名前は……なんだっけ」

「名前? ……霞青斗だよ」

「そう、霞くん。私は……名張忍」

「うん、知ってるよ」

「これからも……ここに来てくれるって約束するなら、ショコラを紹介してあげる」


 照れたようにモジモジとしながら発されたその条件に、迷う余地など皆無。俺は一秒たりとも間を置かずに即答した。


「マジで⁉ するする‼ 約束するよ‼」


 こうして、俺は学校内の恋愛事情に詳しそうな、ショコラなる人物を紹介してもらえる運びとなった。

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